第5話:初日の夜

 その後はオペラハウスだの国立海事博物館だのチャイニーズガーデンだのを見学した。あまり興味のない建物でも、ユアンがいないと思うだけで、設楽は楽しく観光できた。


 ホテルに戻ってやっと部屋に入って荷物の整理をし、夕飯を食べてからレセプションルームでミーティングを済ませると、設楽達は大宮・里田組の部屋に集まってダラダラとだべることにした。1日中なんとなくかったるいので早く眠ろうか、という話になっていたのだが、外出禁止になる10時まで後15分という所まで来て、不意に大宮が「な、ロビーのラウンジ行かない?」と言い出した。


「何で?」

「ほら、ロビーんとこ、バーあったじゃん?行ってみようぜ?」

 敢えて脱走しようとは思わないが、ホテル内で探検くらいならしてみたい。せっかく修学旅行に来たのだ。少しくらい羽目を外したいのは、誰でも同じだ。

「まさか先生達も、初日から警戒はしてないだろ?」

「そうだな。まだ10時前だし、見つかったらちょっと探検って言や良いよな?」


 佐藤はもう眠ってしまいたいような顔をしていたが、周りが行くと言えば1人だけ残っているのも気まずい。「設楽はどうする?」と声をかけられ、少しだけ考えて、設楽は「行く」と腰を上げた。寝る前に大竹の姿を見られないかな、と、恋する男の子はいつでも一直線だ。


 結局寝るのをあきらめた佐藤も一緒に行くことにして、5人はエレベーターで1階に向かった。

 ロビーの脇にカフェラウンジがあり、その端にバーカウンターがあった。先生に見つかったら、バーではなくラウンジでお茶ですよーと言っておけば良い。


 1階に下りてラウンジに向かうと……皆は一斉にガッカリした。

 バーカウンターに、よく知った背中を見つけたからだ。


「……先生達、何でそんなとこで飲んでんの?」

「ん?何だよおまえら、消灯時間までもう10分しかないぞ?」

 バーカウンターでは、大竹と森田、それにユアンが3人でコーヒーを飲んでいた。


「何で勤務中に飲んでんの?」

「コーヒーだけど?」

「イヤ、そこ座ってるって事は、飲む気満々だろ?」

「ラウンジ9時で終わったから、こっち座ってるだけだけど?」

「……酒飲むなとは言わないけど、生徒の前では遠慮しろよ」

「だから、酒飲んでないっつうの。このホテル、出入り口ここしかねーんだわ。ここに座ってりゃ脱走兵見落とさねーから、実益を兼ねて?」

 他の4人は教師3人の存在にガッカリしているが、設楽のガッカリは意味合いが違う。


 何でユアンがここにいんだよ~!!てめぇ先生に飲ませてどうするつもりだよ!!


「どうした設楽、ふくれっ面して」

 森田が設楽に声をかけると、設楽は口を少し尖らせた。

「いや、別に……。つーか何でユアン先生いんの?」 

 その口調の棘に気が付いたのは大竹だけのようで、ユアンは申し訳なさそうに言い訳をした。


『昼間、うちの生徒がこのホテルに忍び込むとか言ってただろう?もし何か間違いがあったらいけないから、俺も一応ここに張ってることにしたんだ。姉妹校である藤光の先生にご迷惑はかけられないよ』


 嘘つけテメェ!!下心あるに決まってんだろ!?何でちゃっかり先生の隣りに座ってんだよ!先生の太腿に膝押しつけてんじゃねぇよ!!


「……大竹先生」

 設楽が声をかけると、大竹はコーヒーカップを口に運びながら「ん?」と視線を返してくる。大竹にだけ分かるように、設楽は目線をユアンの膝に向けた。設楽の目線を辿った大竹は、「あぁ」と、初めてユアンの膝に気づいたように、さりげなく足を組んでその膝から逃れた。


「明日は7時レストラン集合だぞ。今日は疲れてんだろ。明後日からは怒濤のような移動の嵐だ。休めるときには大人しく休んでおけよ」

「……先生達、何時までここにいんの?」

「それ言ったら、俺らが戻った後脱走するだろ?誰が教えるかよ」

 引率3人の部屋割りは、先程チェックイン時に教えてもらった。案の定、森田と大竹は同じ部屋だった。それなら2人が1つ部屋の中に篭もるのではなく、人目のある所にいてくれた方が良いような気もする。


 ふぁっと佐藤が欠伸をしたので、それを機に5人は部屋に戻ることにした。


「くっちゃべってないで、早く寝ろよ」

「は~い。先生達も若くないんだから、早く寝なよ?」

 まだ20代の教師を捕まえてどんな言い種だと怒る気は無い。生徒達は新卒採用の新米教師にだろうと「ジジィ」と言い放つのだから。


「そう思うんなら、お前らも俺らを早く寝かせてくれよ。もう脱走しようとすんなよ」

「してません~!」

「だったらなんでわざわざロビーに出てくんだよ。良いからほら、さっさと寝ろ。点呼始まるぞ」

「はぁ~い」

 5人は口々に「先生お休み~」などと言いながらエレベーターに乗り込んだ。


「明日は学校はまた2時までだっけ。その後コアラだよな?」

「コアラ、抱っこできるんだっけ?」

 まだ部屋の前でダラダラ喋っていると、大場がやって来て「もう10時になるぞ。部屋に戻れ。すぐ点呼に行くぞ」と追い返された。


「ちぇー、しょうがねーなぁ、もう寝るか」

「おやすみー」


 それぞれの部屋に戻ると、すぐ大場が点呼に来た。その後設楽は佐藤に風呂の順番を譲って、自分はベッドに腰掛けてスマホを操る。メールを1本送信してから、ノートPCをセットした。帰国後提出するレポート用に、今日の記録をまとめて、デジカメのデータを確認する。データの中には、今日訪れたレンダム・カレッジスクールや観光先の写真に紛れて、隠し撮りした大竹の写真がある。佐藤が風呂に入っている間に、大竹の写真だけデジカメから吸い上げて、HDDとメモリースティックに保存しておいた。ヘタにデジカメに残しておいて、誰かに見られたら面倒だ。


 その後、FBやLINEのタイムラインをチェックしていると、佐藤が風呂から出てきた。


「お、どう?他の奴らの様子は?」

「イギリスの吉本達、やっとランチ終わったみたいだよ?」

「うっわ、イギリス大変だな……。あ、でもカナダも似たようなもんか」

 他のクラスメイトの写真をチェックしてから、PCの電源を落としてシャワーに向かう。服を脱いでいると、メールの受信音が鳴った。


「おっ!」


 すぐにチェックすると、それは案の定大竹からのメールだった。


《いいからさっさと寝ろ。俺は森田の惚気話につき合わされてぐったりだ》

 短いメールだ。設楽からの《森田とユアンに口説かれてんの!?》という先程のメールへの返事なのだろう。


「森田の惚気話……?」


 すぐに《森田、彼女いんの?》と返信すると、暫くして《結婚秒読み状態が、もう2年続いてんだと》と返ってきて、設楽はニヤ~っと締まりのない顔で笑ってしまった。


 何だよ~。森田彼女いんのか~。良かった~。ってことはひょっごして、森田ってユアンの毒牙から先生を守ろうとして2人の傍ウロウロしてたのか?おっしゃ!これで一安心!


《そんなら俺も安心。じゃ、俺今から風呂入るね。先生もあんまり無理しないで、ちゃんと寝てね》

《おう、お休み》


 すぐにメールが返ってきて、設楽はようやく安心してシャワーを浴び、ゆっくりと眠った。

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