第11話:宇宙の中

 食事中も、設楽は上の空だった。ミーティングもろくすっぽ耳に入ってこないので、自分の発言の順番が回ってきても、うっかりトンチンカンな発言をしてしまった。

 部屋に戻るなり、同室の佐藤に「ごめん、俺、ちょっと電話してくるから」とスマホを振ってみせると、佐藤は小さく「リア充めっ」と吐き捨て、「点呼までには帰って来いよ」と、何の疑いもなく部屋から送り出してくれた。


 大竹はミーティングの後、大場やツアコンの町田さん達と明日の打ち合わせを20分くらいしてからでないとフリーにはならないと言っていた。だが、部屋の中で時間を潰す気にはならなくて、設楽はさっさと部屋を出た。


 辺りに人がいないのを確認してから、非常階段のドアを開けた。階段の中は相変わらず薄暗く、岩肌が剥き出しのスロープは、それだけで設楽をワクワクさせる。


「元々ここも坑道だったんだから、ひょっとしたらオパールのボルダーくらい残ってるかもしれないよな」

 設楽は少なくとも20分は来ないだろう大竹が来るまでの間、その辺の岩肌を丹念に眺めてみた。赤茶色の岩は、しかしザラザラとして、ボルダーらしき物も見当たらない。

「やっぱり、掘り尽くしてるからホテルにしたんだろうしな。ちぇ~」


 外に出るのは、大竹が来てからにしよう。宇宙の中に放り出されるのなら、2人で放り出されたい。

 設楽はしばらくその辺の壁や床を調べて回り時間を潰した。しばらくして、ぎぃっと扉が開く音がして、細い光が差し込んだ。


「先生?」

「おう」

 大竹の姿が、薄明かりの中でぼんやりと浮かび上がる。


「こんな暗いところで待ってたのか?」

「だって、先生と2人で星空が見たかったからさ」

 設楽がわざと可愛らしく言うと、大竹がくっと笑って、設楽の手を繋いだ。


「よし。それじゃあ、一緒にドアを開けるぞ」

「うん」

 2人で暗い階段を登り、ドアの前に並んで立つ。それから2人で一緒にドアノブに手をかけて、そっと扉を開けた。


「わぁ…!!」


 そこに広がっているのは、宇宙だ。日本で見る星空とは全く違う。紺色の夜空に浮かぶ天の川に南十字星。夥しい数の星は、夜空に雲がかかっているのかと思うほどだった。


「すごい…」

 設楽は、思わず大竹に抱きついた。すぐに大竹も設楽の身体をしっかりと抱き返してくれる。あぁ、どうして身体をぴったりと重ねていると、それだけでこんなにも幸せな気持ちがするのだろうか。

 2人はそれからすぐにまた3階まで移動すると、お互いの顔を見合わせて、いたずらに成功した子供のような顔で笑った。


​ ……そして。


「先生…」

 夕方の逢瀬の時と同じように、自然と唇が重なった。何度も、何度もキスをする。唇の角度を変え、舌を絡め、ぬるぬると口蓋を擦られて、体中がフワフワになる。こんな、宇宙の中で。まるで本当に宇宙の中にいるように、重力を感じられなくなる。


 どれだけそうしていたのか、やがて名残惜しそうに唇が離れると、大竹は先程と同じように後ろから設楽を抱きしめた。大竹の広い胸に背中を預けて抱きしめられると、小さな子供に戻ったような、むず痒い感じがする。大竹に全てを委ねているような、そして大竹に守られているような、そんな安心感があるのだ。


「先生、本当に、宇宙の中にいるみたいだ」

「外に出れりゃもっと宇宙の中みたいなんだろうが、ロビーには大場先生達いるから、さすがにばれるとまずいしな」

 ごめんと小さく囁かれて、思わず苦笑する。ここで2人でこうしているだけでも破格の歓びなのに、ごめんだなんて。


「先生らしいなぁ」

「そうか?」


 腹に回された腕に、また手を重ねる。

 ああ、幸せって、こういう形をしていたんだ……。

 設楽は怖いほどの星空を見上げながら、うっとりと呟いた。


「じゃあ、何年かしたら、2人でここにまた来ようよ。その時には、こんなガラス越しなんかじゃなくて、直接星空の下で、こうして抱きしめてよ」

「ああ」


 後1年とちょっとで、設楽は大竹の生徒ではなくなる。そうすれば、2人はこうして人目を盗むようにして抱き合う必要はなくなるのだ。


 それはもちろん、卒業したての生徒と教師が、男同士で手を繋いで表を歩けるわけはない。それでも、「卒業」という大きな区切りは、2人の中では大きな目標になっていた。


「まぁ、その為にはお前が大学に無事に合格しなきゃなんねんーんだけどさ」

「うわ!ムード台無し!!」

 設楽が口を尖らせると、大竹は楽しそうに笑った。


 笑いが収まると、2人はまたどちらからともなく唇を交えた。大竹の、設楽を抱きしめる手に熱がこもる。設楽も我慢できないように、大竹に向き直ってから、大竹の背中をまさぐった。


「あぁ、やばい、先生。このままここで達っちゃいそう……」

「それ、部屋に戻れないだろ……」

「でも、だって、こんな所で先生がって思うとさ、もう俺なんか……なんかすごい、やばい……」

 設楽が自分の腰を大竹の太腿に擦りつける。そこはもうすっかり堅くなって、設楽の言葉が大袈裟な戯言ではないことを示していた。


「……バカか。も、ほら、空でも見てろよ」

 そう言って、大竹は設楽の体をまたくるりと反転させて、後ろから設楽を抱きしめた。でも……。


「……俺のお尻に、なんか当たってるんですけど?」

「気のせいだ。気にするな」

 当たり前のようにそう言う大竹に、設楽はおかしそうに笑った。


「こら、笑うな。いじけるぞ」

「だって。あはははは」


 そうして2人は時間が来るまで、宇宙の中で2人きり、焦れったいような熱に浮かされていた。焦れったくて、でも幸せで、いつまでもここにいたいと思ってしまう。あぁ、早く卒業式が来れば良い。そうして早く、2人だけでここに来たいと、そう思いながら。

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