第15話:ケアンズの夜-1

「今日は結構盛りだくさんだったね」


 点呼が終わって風呂も終わり、設楽と佐藤はベッドに入った。佐藤は昼間の逆ナン事件をまだ面白そうに話しているが、設楽は少しだけむくれてしまった。


「まさか大竹が逆ナンされるとはなぁ。設楽ももててたじゃん」

「そういうのは良いよ、もう!俺達にはナンパ禁止って言っておいて、先生達、ホント何やってんだよ!」

「まぁそう言わずに」

 お互い自分のベットに入っても、まだ佐藤は楽しそうに笑っている。設楽が「も~!そろそろ寝ようぜ!」と声を挙げかけたとき、突然ドアがノックされた。


「ん?」

「大宮達か?」

「先生に見つかるぞ?」

 設楽がそっと起きあがって、ドアの中から「大宮?」と声を掛けると、「いや、大竹だ」と声がした。


 大竹?え?先生?な、なんで!?


「待って、今開ける」

 佐藤もベッドの上に起きあがって、訝しげな顔をしている。

「どうしたの、先生?」

 すぐにドアを開けると、大竹は真っ暗な部屋の中を見回し、小さく舌打ちした。


「いないか……。おい、大宮達がどこかに行くって聞いてるか?」

「え?脱走したの?」

「おう」

 設楽が佐藤を見返ると、佐藤が青くなって首を振った。まさか、明日には日本に帰るという夜に……!!


「先生、脱走兵出たら、班の連帯責任って……」

 佐藤が恐る恐る訊くと、大竹が「あぁ?」と不機嫌そうな声を出した。


「あ、いえ、何でもないです……」


 確かに説明会の時にそういう事は言った。1人が問題を起こしたら、見逃した班全員の責任だから連帯責任を取らせるぞ、と。だが今、そんな話をしている場合ではない。大竹は佐藤を無視して、そのまま設楽に向き直った。


「おい設楽、あいつらと連絡つくか」

「うん、ちょっと待って」

 設楽はすぐにスマホを取り出すと、大宮に電話をかけた。佐藤と大竹がじっとその姿を見守っている。


「俺がここにいることは言うな。居場所を聞き出してくれ」

「分かってる」


 コール音が鳴り続ける。このまま出ないのではないかと不安になり始めた頃、携帯がいきなり繋がった。


《もしもし?》

「あ、大宮?お前、今どこ?」

《え?今、外。何?もうばれてんの?》

「いや、さっきお前らの部屋行ってみたら、返事がないからさ」

 大宮の声の向こうに、女性の声がする。英語で何か話しかけているらしい。誰か連れがいるのか?


「脱走成功したんだ?今どこ?」

《え~っと、まだそんな離れてないよ。設楽も来る?従業員用の裏口があるんだよ》

「え?どこ?何でそんなの知ってんの?」

《ほら、昼間逆ナンしてきた子達いたじゃん?あの子達が教えてくれたんだ。えっとね、今、ホテルの裏口出て右に曲がって2つめの信号曲がったとこ。ちょっとクラブ見学にでも行こうかと思って》

 大竹の顔が見る見る険しくなり、佐藤の顔色がどんどん青くなっていく。


「分かった、俺も行く。裏口ってどこ?」

 設楽がそう言うと、大竹が設楽の携帯に自分の耳を近づけてくる。大竹の顔がすぐ耳の脇にあり、大竹の体温を感じた。


《2階のレストランの右脇の廊下進むと、従業員用の裏口があって、非常階段に出れるんだよ。オートロックになってるから、出る分には簡単に出られるぜ?》

「分かった。どっかで待っててよ」

《オッケー。近くまで来たら連絡くれる?》

「了解」

 通話を切ると、大竹が「サンキュな。助かった」と設楽の肩を叩いてそのまま外に出ようとした。


「待ってよ、先生。俺も行く」

「バカか。ここでおとなしく待ってろ」

「でも、途中で詳しい場所聞かないとすれ違うよ?」

 大竹が一瞬逡巡すると、今度は大竹の携帯が鳴った。


「はい」

《先生、そっちどうでした!?》

 森田の声だ。


「奴ら従業員用の裏口から脱走したらしい。設楽が連絡つけてくれたんだが」

 話しかけている大竹から設楽がスマホを奪い取る。

「俺が近くまで行ったら連絡して、詳しい場所をもう一度聞くことになってるんです!」

「こら、設楽!」


 森田は外を走り回っているのか、電話の向こうから、車の音が時折聞こえてくる。息づかいもずいぶんと荒い。いつからこうして探し回っているのか。


《分かった、じゃあ大竹先生と一緒に出てきて貰っても良いか?》

「おい、森田。設楽は置いてくぞ。何があるか分からないだろ!?」

《無理だよ大竹先生!足で見つけんの、無理だって!》


 ケアンズは街自体は小じまんまりとしているが、それでもファー・ノース・クイーンズランド地方の中心都市だ。そこを当てずっぽうに走り回っている森田の声は悲鳴に近い。

 ホテルは市の中心部にあるが、平日の夜は10時を過ぎるとグッと人通りが少なくなる。オーストラリアは比較的治安が良いと言っても、ここは日本ではない。こんな所で夜中に出歩いて、何かあったらどうするのだ。一刻も早く捕まえなければと、森田の声は上擦っていた。


「……分かった。今行く」

 大竹が設楽から聞いた場所を伝えている間に、設楽はさっさと服を着替えて靴を履いた。大竹も、さすがに今度は設楽を置いていこうとはしなかった。


「お、俺、ここにいて良いんですか?」

 佐藤が怯えた声を出す。少々気が小さい佐藤だが、今はこのくらいで丁度良いのかもしれない。


「佐藤、もし途中で誰か帰って来たら連絡してくれ。俺の携帯の番号知ってるな?」

「は、はい…!」

 旅行中は、教師は学校から携帯を支給されている。生徒達にはその番号が通達済みだ。


「先生、行こう」

「……ったく。じゃ、邪魔したな」

 ベッドの上で震えている佐藤がを後目に、設楽は大竹の後を追うように外に出た。


 大竹はエレベーターのボタンをイライラと連打していた。設楽が追いつくと同時にエレベーターが開き、2人はあっといまに2階に到着した。


「本当に何も聞いてないのか?」

「聞いてないよ。昼間の逆ナンの女の子達と待ち合わせてたみたいだった」

 それを聞いて、大竹は眉間に皺を寄せた。


「……まずいな」

「え?」

「いや、ほら、行くぞ」

「うん」


 2階の非常口を開けて外に出る。右に曲がって2つ目の信号にさしかかる辺りで、こちらに戻ってきていたらしい森田と合流した。

「設楽、就寝時間なのにごめんな」

「日本だったらまだ全然起きてる時間だから平気。待って、電話するから」

 設楽が大宮に電話を掛けるのを、大竹達は睨みつけるようにして見つめている。先程はなかなか繋がらなかった携帯が、今回はすぐにコール音が切れた。良かった、繋がった!


《あ、設楽?今どこ?》

 大宮の暢気な声。何でこいつはこんなマイペースなんだ!大竹達の苛立ちが移ったのか、設楽は自分が声イライラしそうなのを必死で宥め、できるだけ普通の声で電話に応対した。

「2つめの信号んとこ」

《じゃ、そこからワンブロック先にブルーのネオンサインの看板出てる店があるから、そこの脇入っ……うわ!?》

「!?」

 そこで、通話は切れた。


 一斉に3人の視線が絡まるが、それは一瞬のことだった。


「……設楽、お前、後ろからついて来い。離れるなよ。行くぞ」

 大竹と森田はそう言い置くと、いきなり走り始めた。2人とも、いつになく切羽詰まった顔をしている。


 やばい。あいつら、トラブルに巻き込まれてるんだ!

 設楽も全速力で追いかけるが、思った以上に教師2人の足が速い。何!?何であの2人、あんなに足速いの!?体育教師の森田はともかく、先生がそんな走ってるの、初めて見るんですけど!!

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