第5章:仲間の章・その3

今までにあった余裕は瞬間にして吹き飛び、賢者は慌てて状況を整理する。

よく観察してみると、ホーリィにあったはずの小さな傷が全て治っていた。

「ま、まさか、回復魔法を使っちゃったのか……?」

ボスと対峙する直前、歩きながらの詠唱はそれだったのかと、ここにきて気付く。

「だ、だって……準備はしっかりって、賢者さまが言ってたのです……だ、だから……」

賢者の焦る顔を見て状況が良くないと悟った少女は、困惑しつつ後ずさる。

彼女が最初に思いついた行動はその場からの退却。指示を待たずして敵に背を向け、来た道を引き返そうと走り出す。

「……! 逃げちゃダメだ! 回りこまれる!!」

賢者の叫びも虚しく、その通り、ライトゴーストは少女の目の前に突如現れ、見下すままに鋭く尖る爪を突きつけた。

「あぅ……っ!」

反射的に体を捻り、急所を避ける。爪に裂かれた腕に、傷が走った。

「け、けんじゃさま……ど、どうすればいいのですか……!」

目尻に涙を溜める少女が、空洞入り口で立ちすくむ男に、助けを求める。

「……まずいな、えーっと、これは……まずいな、と、とりあえず回避に専念、避けきれなければ、防御するんだ!」

「あ、あぅ……」

明らかに困惑していた賢者は、とりあえずその場をしのぐよう指示をして、何か手立てがないか、攻略本を開く。

その間、ライトゴーストは少女ににじり寄り、次の攻撃をせんと爪を立てた。

「HPは回復してるから、敵の攻撃を防御すれば後2回は受け切れるか? でもどうやって倒す……何かできること、えーっと……」

攻略本の仲間情報を閲覧し、指でなぞる。各キャラクターの特徴、使える特別なコマンド……

「あった、これだ!」

それはゲーム中でも普段使われることはなく、攻略本でも特筆されることがないような、特殊な行動。

「ホーリィ! "いのる"んだ! それで魔法の使用限界が回復することがある!」

『いのる』ことで、何らかの影響が彼女に恩恵を与える。

魔法の使用限界や体力の回復など。

微々たる影響故に本来は使われないシステムも、今唯一頼ることができる重要な要素となっていた。

「な、何に祈れば良いのです!?」

もちろん、そのシステムがこの世界に存在すればの話ではあったが。

「う、あぅ!」

突然の指示に困惑する少女は、迫る敵の爪を再び受け、悲痛に喘ぐ。

痛みが思い起こさせる、一つの姿。

少女は心の底で頼りに思う兄のことを、自然と頭に思い浮かべる。

「に、兄さま……助けて……」

魔物は無抵抗になった少女に追撃を行おうと、小さく息を吐く。

不意に魔物の背後から近づく、一つの鈍器。

銀製のメイスが幽体の頭上から振り下ろされる。

何の抵抗もなく地面に抉り込まれたそれは、一度だけ少女への注意を逸らす。

「うおぉ、こっち見た! ごめんなさい!」

すぐさまメイスから飛び退いて、岩陰に逃げる賢者。

「コォォオオォッ!」

ライトゴーストはひ弱なスーツ姿の男を睨み、それを追いかける。

すぐに追いつきそうになったところで、その背後から、一つの言葉。

「マハルータ!」

天に口を開く空洞に、再び閃光がほとばしる。

魔物の背後を取った少女がここぞとばかりに破邪の魔法を叫び、対象の幽体を引き裂いた。

「は、はぁ……はぁ……か、回復できたのか」

全力で走って息を切らす賢者は、同じように息を切らす少女を見て、安堵に立ち尽くす。

「うぅ……指示はもっと的確にするのです……」

涙目でその場にへたれ込むホーリィ。

二人は九死に一生を得た状況に、ただただ神に感謝したのであった。


キラルタ村の教会に、肩で息をしながら雪崩込むホーリィと遊学。

それを出迎えた司祭とマハトは二人に駆け寄り、すぐに傷の手当てを行う。

「賢者さま、妹を無事に連れて帰ってくださり感謝いたします……」

司祭に水の入った小瓶を見せる妹を見て、マハトはそう呟く。

「いやぁ、無傷とはいかなくて申し訳ないです……大事な妹さんにあんな傷を……」

賢者は目を伏せつつ、マハトに謝罪する。

「これぐらいなら司祭さまの魔法ですぐ治るのです……だから気にしないでいいのです」

当の少女はケロっとした様子で司祭の治療を受け、そう吐きすてる。

普段通りの元気な姿を確認した兄は、賢者と顔を見合わせ苦笑した。

「さて、早速じゃが試練の続きじゃ。二人とも清流の水を杯に注ぐのじゃよ」

早くも少女の治療を終えた司祭は、奥にしまわれていた金の杯を取り出した。

緊張の面持ちで、まずはマハトが試練の片付けへと取り掛かる。

金の杯に向けて注がれる小瓶の水。

溜まった水は青から赤へと、幻想的に色を変えた。

「うむ、確かにこれは清流の水。よくぞ試練を乗り越えたな、マハトよ」

「はい、神の御加護に深く感謝を致します……」

互いに深く礼をして、マハトに旅の許可が与えられる。

「次は私ですね」

一つ深呼吸を済ませ、ホーリィがトコトコと司祭の元に歩く。

マハトと同じように小瓶を取り出し、金の杯に中身を注ぐ。

「お主も見事、試練を乗り越えたなホーリィや。その歳でよくやったものだ……」

「ふふ、当然なのです」

司祭さまの前だぞと、兄に頭を小突かれる妹。

むっとしつつ深く頭をさげる少女は、旅の許可が与えられると、すぐ上機嫌に戻った。

「さて、二人は旅の許可を得た。だが、神の託宣によると、勇者の共になるべき人物は一人とある」

司祭は改まった表情で二人を見比べた後、賢者を見つめた。

僧侶兄妹も同じように振り返って賢者を見る。

「神の託宣に則るのであれば、それは神の御使いである賢者さまに選択してもらうべきだろう」

見つめられたスーツの男は、唐突な注目にたじろいで急いで今後の展開を思い出す。

「賢者さま、貴方さまの選択であれば文句もありません。どうかよろしくお願い致します」

マハトが深々と頭をさげる横で、ホーリィは腕を組んで賢者を睨む。

「あぁー、うん……そうか、一人だけ選ぶんだったっけ。あれ、でも確か……」

遊学は大切なことを思い出した様子で、攻略本をめくり始める。

「……」

そして黙り込む。

沈黙がしばらく続き、痺れを切らしたのはホーリィ。

「何を考えているのです! 勇者のお供ができるのはどっちなのです! さっさと教えるのですよ!」

「……」

しかし、それでも賢者は沈黙を貫いた。

さすがに訝しむマハトは、賢者に近づき静かに問いかける。

「ここで選択を下さることに、何か問題があるのでしょうか?」

「あぁ……うん。ちょっと、ヘビーな理由がね……」

攻略本をそっとしまい、頭を抱え込む賢者。

再び教会は静寂に包まれる。

そこに居る聖職者たちは、ただ一人の男の決断を待つしかなかった。


しまわれた攻略本が綴る今後のシナリオ。

この先、ここで選ばれた一人が魔王軍の手にかかり、命を落とす。

確定している事実を思い出した賢者は、この時、沈黙を貫くしかないのだった。



---第5章・その3 Fin---

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