嘘の探究者

荒ヶ崎初爪

第一章

第一章(1)

「演劇部に入る」

 姉さんとの二度目の別れを経て、出した答えがそれだ。これからどうしていきたいのか、まずは何をしていけばいいのか、一晩じっくりと考えた。

 月曜日の昼休み、僕は友人と一緒に昼食を取っている。四つの机を田の字のように合わせて、それを僕、高瀬さん、津島さん、長田君、春日さんの五人でU字になるように囲んでいる。

「うん。いいと思うよ」

「ええ、いいんじゃないかしら」

 突然の宣言にもかかわらず、高瀬さんと津島さんは快く聞いてくれた。ただ向かい側にいる長田君と春日さんは呆気にとられたままで、完全に手が止まっている。

「何か変?」

 僕がそう訊いてみて、真向かいにいる長田君が気を取り戻した。

「わりぃわりぃ……。意外だったもんで……」

 昔の僕にも伝えたら、今の長田君と同じ答えが返ってくるだろう。中学生の時、部活動に一切縁がなかった。それどころか姉さんを除いて、友達が一人もいなかったのだ。団体行動に全く馴染まない性格をしていた。今ではこうして友人と昼食を共にしているので、その性格も少しはマシになったかもしれないが、それでもまだ集団の中で生きるのが得意だとは、お世辞でも誰も言ってくれないだろう。

「でもやっぱり堤って、孤高の存在っていうイメージがまだ強いんだよな」

「そうだね」

 まさにその通りだ。人間がすぐに変わるわけがない。おそらくその内辛辣なことを平気でいうようになって他人に迷惑を掛けるだろう。そもそもその性格自体を大きく捻じ曲げるつもりはない。ただ過去の自分に縛られないようになりたいだけだ。あの忌まわしい幻の呪いに再びかからないように、僕はこれから行動する。

「みんな分かっていると思うけど、僕は他人に合わせるのがすごく苦手だ。けど、少しくらいはそういうことに慣れておかないとこの先ダメだと思う。それだと結局姉さんを言い訳にして全く成長しなくなるだけだから」

 自分を変えると決意したのだ。ならば今までしなかったことをするべきだ。

「だから、部活動に入ることにした」

 僕がそこまで言うと、今度は左側から津島さんが声を発した。

「へぇ、あなたなりによく考えているのね」

「まあ、堤君の一番の問題はそこだからね」

 高瀬さんが後に続いた。彼女はU字の底の位置にいる。

「けど、乗り越えなきゃ駄目だから」

「にしても、部活一つですげぇ大きな話になったな……」

 長田君の言うことはもっともである。普通、部活動に入ることにそこまで大きな決心を抱くものではないだろう。ただ、部活動に入ること一つが大事件になる程、僕が世間に適応していなかっただけの話である。

「まあ、お前が実は熱い男だっていうのは分かってるからよ。頑張れよ」

「ありがとう」

 長田君の励ましに対して、素直に感謝の言葉が出た。最初はつまらない人間だと思っていたが、なるほど僕のことをよく見てくれているようだ。これなら津島さんの言う通り、人付き合いを重ねていく内に、関心の持てる人に接していくことができるかもしれない。

 今度は春日さんが僕を見ている。何かいいことを思いついたようで、その表情は明るい。

「そうだね。堤君って赤いドレ……えっ……?」

 おそらく「熱い男」という長田君の流れに乗っかり、「赤いドレスが似合う」とでも言おうとしたのだろう。しかし言い切る前に、僕は視線で彼女を牽制した。おそらくこのテーブルを囲む全員の視線が春日さんに集まっているだろう。

「春日さん、それはダメよ」

 津島さんが小声で咎めるが、春日さんはまだ事態を理解していない。

「私何か……あっ……」

 ようやく自分の失言に気づいたようだ。確かにその評価自体は悪いとは思わない。実際に似合っていると自負している。しかし僕は男である。男である僕に対して「赤いドレスが似合う」と言ったら、それを聞いた事情の知らない人間は不審に思うだろう。そこまでならたいした問題ではないのだが、この学校で赤いドレスと言えば《幻の呪い姫》という都市伝説に繋がってしまう。実際は呪いなど存在せず、《幻の呪い姫》の正体は僕だ。僕と《幻の呪い姫》が同一人物であるという事実は、関係のない人にまで知られたくはない。それを匂わすような発言は控えてほしい。

「ごめんなさい。何でもないです」

「もういいよ。これから気をつけて」

 もしかしたら春日さんは僕と打ち解けようとして、彼女なりに考えて褒め言葉を見つけたのだろうが、完全に裏目に出ていた。別に怒ってはいないが、彼女には肝心なところが抜けているように思える。どうも僕は春日さんとの相性が悪いようだ。

 この重い空気を換えたのは、ムードメイカーの長田君だった。

「ところでよ、どうして演劇部なんだ?」

 当然出る質問だろう。長田君が言いたいことは大体予想できる。

「お前って、あんな難しいダンスが踊れるくらい運動神経が良いじゃねぇか。体育の授業の時だって、みんな驚いてたぜ。どうして運動部に行かないんだよ? さすがに、いきなり体育会系のノリにはついていけねぇか?」

 そんなことがあったな――。今日の三時間目は体育の授業であり、ハンドボールが行われた。少し前にも同じことをしていたのだが、その時は幽霊に憑依されていたので、手を抜いていたのだ。それが昨日解決されたので全力で動いてみたら、周りから驚愕されたというわけだ。少し前までは事情があるとはいえ反復横跳びもまともにできなかったのだから当然だ。

「身体を動かすのは好きだけど、スポーツにはあまり興味がないから」

 限られたルールで得点を競うゲームというものは性に合わない。楽しいとは思うが、所詮その程度のものとしか僕は考えられないので、本気で打ち込もうとは到底思えない。

「じゃあ、どうして演劇部なの?」

 長田君の最初の質問を、高瀬さんが訊き直した。

「まず単純に興味があるから。元々小説とかは好きだし、踊りもできるから、お芝居なんかしてみたら楽しいと思った」

 ここまではごく普通の理由だ。これからは僕個人の問題になる。

「それと――今まで僕は、ありのままの自分を見せることに拘っていたのは分かるよね」

 高瀬さんと津島さんがこくりと頷く。彼女達にはしっかりと自分の想いを届けてある。

「まあ……そう言われてみれば……」

 長田君も何となくではあるが察してくれているのだろう。むしろ僕の縛られた性格についてよく話していないのを考えればたいしたものだ。それくらいの認識があれば今からする話は充分に伝わるだろう。春日さんは置いておこう。

「僕は今まで自分を見せることばかりしていて、自分を作ることをしてこなかったんだと思う。自分がどう思われるべきかだけを考えて、自分がどう思われたいかなんてどうでもよかった」

 その結果、周りから避けられ続けてきた。でも今は違う。友人は複数いるし、これからも周囲の人間とコミュニケーションを図っていくべきだ。

「勿論、ありのままの自分を封印するわけじゃない。それは姉さんが嫌っていたことだから、それを否定しようとした僕がやってはいけないことだ。けど、自分を作る――自分を演じるって言った方がいいかな――そういうこともしていかないと、僕はただ縛られているだけになってしまう。だから、全く自分を演じないっていうのも姉さんを裏切ることになる」

 姉さんに幻の呪いを解いてもらったのだ。それで自分を変えられないようでは姉さんに合わせる顔がない。

「それに、自分でも思う。こんな自分を変えられたらって……」

 何も姉さんのためだけではない。自分のためにも自分を変えたい。それに今では新しく好きな人ができたから、その人ためにも――。

「それと、自分を演じるということは、自分を偽ることじゃないって、姉さんに教えてもらったから……」

 臆病な性格を隠しながら、頑張って生きていた。そんな姿を偽りだなんて言えやしない。

「あと、これは春日さんのお陰でもあるから、一応感謝しておく」

 折角お礼を言っているのに、春日さんの反応は芳しくない。

「どういうこと……? 私何かしたかな?」

「分からないならいい」

 本当に春日さんとは反りが合わない。きっと彼女もそう思っているだろう。

「堤君。ちょっと言い方が厳しいんじゃない?」

「そうね。直すべきところはそこじゃないかしら?」

 高瀬さんと津島さんからお叱りを受けたので、手短に話しておこう。

「自分を演じることを教わるきっかけになってくれたってこと」

 そこまで言うと春日さんも呑み込めたらしく、俯き加減ではあったが「どういたしまして」と返してくれた。

「まあ、そういうことだから。自分を演じることを学ぶならちょうど良いと思って、演劇部に入ることにした」

 僕が演劇部に入ろうとした理由はこれくらいだろう。結構真剣に考えたつもりだ。まず右を見たら高瀬さんの笑顔があった。

「頑張ってね。応援してるから」

 次に、左に津島さんの微笑みが見える。

「やりたいことが見つかったのはいいことだわ。しっかりね」

 そして正面で長田君の朗らかな笑みが待っていた。

「やっぱお前はすげぇよ。まあ、頑張れよな」

 こうして激励を浴びると僕の顔も自然と綻んでいた。

「ありがとう」

 その瞬間、教室が沈黙した。何かと思って見渡してみると、僕達五人の外にいるクラスメイトが次々と僕を見ている。そして驚愕の声を上げて、いろいろ呟き始めた。

「あの堤がすげぇ笑ってるぞ……」「何やったんだ……あいつら……」「いつもああしていれば可愛いのに……」

 自分に対するクラスの評価は分かっている。無愛想、冷酷無比、天上天下唯我独尊。そんなところだろう。そしてそのイメージが崩れたことに皆は困惑しているのだろう。

「何か?」僕が無表情に戻ってそう言うと、みんな押し黙ったり視線を逸らしたりした。

「ほらほら、堤だって笑う時は笑うんだよ。見世物じゃねぇよ」

 長田君がそう言ってくれたお陰で、僕への注目は解かれた。

「ったく……まあ、お前もちょっとは普段からにこにこしていたらどうだ?」

「そんな僕を見たら、長田君は変だと思わない?」

「言えてるな」

 無理に自分の表面を取り繕おうとは思わない。そんなことをしても意味はない。長田君もそこは分かってくれたのだろう。大事なことは他にあるはずだ。

「それより、皆は部活に入るの? 長田君は確かバスケ部だよね?」

 体育の授業の時に、長田君がそんな話をしていたような気がする。確かに彼は背が高いし、運動神経も良さそうだった。いつかはレギュラーとして活躍しそうだ。

「そうだぜ。実はお前を誘おうとしてたんだが、他に行きたいところがあるなら仕方ねぇ」

「でも僕、背が低いよ」

「あれだけ動けりゃ十分活躍できそうだけどな」

 その評価は嬉しいが、バスケとは縁がないので仕方ない。

「ところで高瀬さんと津島さんは部活入るの?」

 まず答えたのは高瀬さんだ。

「奇術部があったら入りたかったんだけどねぇ……。それがないなら帰宅部かな」

「奇術って手品のことだよね。どうしてまた?」

 そう訊くと、高瀬さんはカマキリのように両手を構えた。うらめしやのポーズ、つまり幽霊だ。全員に伝わるように敢えてそのポーズを選んだのだろう。実際に伝わったようだ。しかしその認識は日本固有の、高瀬さんに言わせてみれば甘いものではないだろうか。彼女がイギリスからの帰国子女だと知っているので、その姿は滑稽に思えた。

「まあ、同業者の偽物さんがたくさんいるわけだよ。だからあたしは手品のトリックを見破る必要があるわけで、それで自分でも手品をやってみて、ハマったってところかな」

 なるほどそういう関連もあるのか。心霊科学を研究している人は必ずしも幽霊を相手にできるわけではないということか。いろいろ複雑みたいだ。

「へぇ……てっきりオカルト同好会とか創って堤君を誘うじゃないかと思ったけど」

 そう言ったのは意外にも津島さんだ。少し前までオカルトの言葉を聞くことすら嫌がっていた彼女が、自分からオカルトを交えた冗談を飛ばした。そういうものに対する抵抗が和らいだのかもしれない。対する高瀬さんは津島さんの方に顔を近づけて、小声で反論する。

「あのね……この際はっきりと訂正を求めるよ。心霊科学はオカルトじゃないから、科学だから。それにオカルト同好会を創るだなんて、そんな馬鹿なことしないよ。津島さん、ライトノベルの読み過ぎなんじゃないの」

「あら、それは失礼したわね」

 失礼した、だなんて全然思っていなさそうに、津島さんが微笑む。

「じゃあ、津島さんは?」

「私は生徒会に入ろうと思う。今日会長に相談してみるつもりよ」

 なんとも津島さんらしい答えだ。周りを見る力がすごい彼女ならば、きっと優秀な生徒会役員になってくれるだろう。しかし一つ心に引っかかることがある。

「生徒会長でも目指すの?」

「まだそこまで考えていないわ」

 僕は浮かない顔をしていたのだろう。津島さんが心配そうに声をかけてきた。僕が言わんとしていることを察したのだろう。

「呪いなんてないことは、あなたがよく知っているでしょ」

 去年の生徒会長、白川一魅は文化祭の一週間後に、交通事故に遭って死んだ。そして文化祭の時に一緒に踊った正体不明の女の幻の呪い姫に呪い殺されたという噂がこの学校に流れた。その《幻の呪い姫》というのは僕のことであり、勿論僕が姉さんを呪ったわけではない。しかしくだらないとは頭で考えても、生徒会長と聞いて、死を連想してしまった。

「そうだね。ごめん……」

 雰囲気を悪くしてしまったかもしれない。とりあえず気を取り直そう。

「生徒会のこと今度詳しく聞かせて」

「いいわよ。なら、演劇部のことを話してね」

「分かった」みんないろいろ考えて行動しようとしているようだ。僕も自分が決意したことには全力を注いでいこう。

「堤君」そこで津島さんが僕の名前を呼ぶ。「何?」と返してみると、彼女は露骨に不服そうな表情を浮かべてみせた。何か気に障るようなことを言っただろうか。

「何、じゃないわよ。春日さんには訊かないの?」

 そういえば忘れていた。意図的に無視したわけではない。春日さんに対する興味があまりにも薄いので、彼女に質問するという発想に至らなかった。確かに一人だけのけ者にするのはよくないだろう。もしかしたらこの質問を機に、春日さんへの評価が変わるかもしれない。

「じゃあ、春日さんは何か部活動に入るの?」

「いえ……訊いてくれたところ悪いけど……私はそういうの全然考えてなくて……」

「そう」何も変わらなかった。やはり春日さんは春日さんだった。

「「堤君」」今度は高瀬さんと津島さんが同時に声を上げた。また何か不手際を指摘したいのだろうが、今回の場合僕に落ち度はないはずだ。

「何もないっていうから話が広がらない」

「だからこそ堤君が何か言ってあげないと。演劇部はどう、どか」

 何か違うような気がするが、高瀬さんがアドバイスしてくれているので、とりあえず努力はしてみよう。

「演劇は興味ある?」

「えぇと私、人前で演技なんて、恥ずかしくできそうにないよ……」

「君はそうじゃないかって僕も思う」

 その瞬間、三人から深い溜息が吐き出された。また僕は間違ったのだろうか。いや、僕は春日さんの言うことに同意してあげたはずだ。

「これは重症ね」津島さんが言う。

「だね」「だな」高瀬さんと長田君が後に続く。

「まあ、幸いにも私達がいることだし、焦らずゆっくりと矯正していきましょう」

 この昼休みで分かったことは、友達がどういう活動に勤しもうと思っているのかと、どうやら自分を変える道のりは長く険しいということだった。

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