第四章(4)

 翌日の水曜日。早速津島さんは、昼休みに八坂さんと中島さんの教室へ遊びに行った。昨日のことが余程嬉しかったのだろう。三人とも、仲違いをしていたものの、仲直りしたいとずっと思っていたようだ。

 仲直りが成功したことは祝福しているのだが、いくつか疑念が残っている。自分が霊能者であることを証明しようとした場で、どうして八坂さんは津島さんを呼ばなかったのだろうか。結局僕は理由を訊かなかった。あの時はその必要はないと思っていたが、今になってみると大きな謎である。僕や高瀬さんに信じてもらうことに特別な意味があったのだろうか。

 それともう一つ、八坂さんが霊能者であることを認めることを僕が匂わせてもなお、八坂さんは自分自身で霊能力の存在を証明することに拘った。八坂さんのトリックは失敗したものの、中島さんの家の幽霊が決め手となり、八坂さんは霊能者だっただろうと認められたのだ。やはりあのトリックは要らなかったのではないか。

 とはいえそんなことを考えても後の祭りである。当事者が納得しているのだ。部外者である僕が余計な口を挟むべきではない。

 そして放課後の演劇部のことだ。練習を始める前に、八坂さんが部員の前で頭を下げた。謎の音は自分が関節を鳴らしたものだと告白したのだ。さすがに幽霊に関わることは何も言わず、あのトリックで人を騙せるか試す必要があったとだけ話していた。その時、僕も少しだけ八坂さんを手助けしてあげた。とはいえ、八坂さんの事情を自分は知っていると話して、あまり八坂さんを責めないで下さいとお願いしただけだ。意外にも、誰も怒ることなく、謎の音を怖がっていた三好先輩までも笑って済ませていた。結局、二度とそんないたずらをしないようにと笹村先輩が八坂さんに注意しただけだった。

 部活が終わり、校門を出ようとしたところで津島さんと出会った。

「あら堤君。真美ちゃんはいないの?」

「先に帰った。別に同じ部員だからって一緒に帰ることはないから」

 向こうは生徒会からの帰りだろうか。津島さんの性格なら、生徒会長や他のメンバーと一緒に下校しそうなものだが、今はそういった様子がない。

「津島さんこそ独りきりでどうしたの? 生徒会じゃなかったの?」

「生徒会はもっと早くに終わったわよ。私は堤君が出てくるまで自習していたの」

 僕と二人きりで話したいということか。僕だってそれは望むところだ。とはいえ津島さんは話す内容を決めているのだろう。それが何かは予想がついている。その前に一つ津島さんに訊きたいことがあった。

「会長、八坂さんのことで何か言っていた?」

 津島さんは昨日の顛末を会長に話すことにしたようだ。会長も、演劇部のラップ音事件の真相を解明しようとしていたし、八坂さんが霊能力を証明しようとする際会長は生徒会室を提供してくれたのだ。全くの無関係ではない。それなのに一連のラップ音事件について教えないわけにもいかないだろう。

「特には。よかったねってことくらいしか」

 訊いておいてなんだが、そんなものだろうと思った。会長も深く関わっていたわけではないのだ。インタビューを求められても困るだろう。

「そう。それで僕に話したいことって、やっぱりあのこと?」

 僕がそう言うと、津島さんは意地悪そうに口角を広げた。

「あら、分かったようね。そうよ。嘘をついた感想を聞かせてもらおうと思って」

 今まで嘘をつくことができず、嘘をつくことを津島さんから課せられていたのだが、昨日の中島さんの家にてようやく僕は嘘をつくことができた。僕は、姉さんが憑依した高瀬さんとキスをしたことがあるのにもかかわらず、キスをしたことがないと言ったのだ。津島さんはその現場を目撃しているので、あの時僕が言ったことは嘘だと分かっていた。

「それにしても傑作だったわ。本当に、笑いを堪えるのに必死だったのよ」

 やはりそうだったか。それにしてもこのことでからかわれるということは、津島さんは未だに僕のことを異性として意識していないのだろうか。

「堤君なら正直に言ってしまうかもしれないとも思ったけど、さすがにそれはできなかったようね。まあ、ちょうど良い機会だったんじゃないかしら。自分を守るための嘘だといっても、それ程悪い嘘ではないし」

 嘘をつく課題がなければ、僕は正直に答えてしまっただろう。しかしあの時は嘘をつくという発想がちゃんと生まれた。課題をクリアするには絶好の状況であった。しかも悪い方の嘘をつくことができた。

「それで、ご感想は?」

「もう嘘なんてつきたくない」

 当たり前だ。自ら好んで嘘をつこうなんて思う人間はただの馬鹿だろう。まともな思考の持ち主ならば、できる限り嘘をつきたくないと思うはずである。

「嘘をつくのは、とても怖い」

 もし僕がついた嘘が他人を助けるための善い嘘ならば事情が違っただろう。たとえ嘘がばれたとしても、善かれと思って嘘をついたことが伝われば、僕への非難が少なくなるだろう。そういう意味では、この嘘は怖くない。

 しかし自分を守るための悪い嘘は違う。元から、自分が責められると思われる出来事を隠し通すことを目的としているのだ。さらに嘘をついて難を逃れようとしたのが発覚したら、自分に向けられる憎悪は倍増するだろう。

 そう考えてみれば、ものすごく当然のことだが、嘘をつくまではそのことを考えたことがなかった。その恐怖を実感したことがなかったからだ。

「そうね。あの時の堤君はものすごく怖かったのでしょうね」

 それが分かっていたならば、笑いそうにならないでほしい。

「うん。今でも怖い」

 今僕はその恐怖に直面しているのだ。高瀬さんが意識を失っている時に、故意ではないとはいえ、僕は高瀬さんと唇を重ねたのだ。しかも相手にとってのファーストキスだったらしい。高瀬さんがそのことを知れば、交霊会での事故だということで許してくれるかもしれないが、もしかしたら怒ってしまい、最悪の場合口を利いてくれなくなるかもしれない。その時点で十分怖い。

 そこへ僕は嘘をついたのだ。つまり僕は逃げたのだ。今回は、津島さんが僕に嘘という課題を与えたことを高瀬さんも知っているので、ばれたとしても許される可能性は低くないと思う。

 しかし課題のことがなければと思うと悪寒が走る。もしその状況で、キスのことで僕が嘘をついたことを高瀬さんが知ると、僕への信頼は地に堕ちるだろう。自分の非から惨めたらしく逃げる臆病者と罵られるに違いない。

「それで、以前の王子様像は壊せたようだけど、新しい自分が見えてきたかしら?」

「まあ、そうだね」

 ありのままでいなければならないという呪縛は少し弱まったと思う。

「じゃあ本当の王子様に近づくこともできたかしら?」

 馬鹿正直なだけの王子様は要らない。津島さんにそう言われた。間違った理想を捨てることが大切だというようなことも言われた。確かに歪な王子様像とは決別できるようになるかもしれない。しかし別の問題がある。

「高瀬さんに対しては遠ざかったような気がする」

 新しい理想を思い描くにあたって、高瀬さんに嫌われるかもしれないというリスクを負ってしまった。いくら津島さんに評価されようとも、これでは本末転倒ではないか。

「まあ大丈夫だと思うけど。万が一嫌われるようなことがあっても、私がいるじゃない」

「えっ」僕は立ち止った。それはどういう意味だろうか。まさか津島さんは僕に恋愛感情を持っているのだろうか。そう言われても、僕はまだ自分に納得がいっていない。とはいえそんな理由で断るのは失礼ではないか。

 津島さんも立ち止まり、こちらを向いてくすりと笑った。

「私を目標に頑張りなさいということよ」

 まあ、そういうことだろう。僕は何を馬鹿なことを考えているのだ。今回のことだって、僕はたいして津島さんの役に立っていない。ただの調度品みたいなものだった。それなのに津島さんが僕のことを好きになってくれたと考えるなんて、なんとおこがましいことか。

 僕達は再び歩き出して、話を続ける。

「と言っても、私もそれほどできた人間じゃないけどね」

「そんなことない。津島さんほど素敵な人なんてそうそういない」

「高瀬さんがいるじゃないの?」

 条件反射で返したら、速攻で反論された。確かに二人の女の子に惚れている奴にそんなことを言われても説得力の欠片もないだろう。

「真に受けないで。ちょっとした冗談よ」

 津島さんはいたずらっぽく微笑んだが、すぐに真面目な顔つきになった。

「堤君に好きだと思ってもらうのは嬉しいけど、私にも欠点くらいあるわよ。ただ誉めてもらうだけじゃなくて、そういう面にもちゃんと目を向けてほしい」

 そうだ。津島さんはただの憧れではないのだ。恋人として迎えようとする以上、できる限り彼女の本質に立ち向かわなければならない。

「私のこと好きだっていうなら、一つや二つ言えるでしょ」

 まだ一ヶ月と少しだとはいえ、時間以上に濃い経験を津島さんと経てきたはずだ。僕だってただ浮かれた気分に浸っていたわけではない。

「そうだね。意外と短気なところとか」

 高瀬さんと言い争いを始める展開を何度見たことか。深い事情があるとはいえ、津島さんの激昂にはその度に驚かされる。普段はクールに振る舞っているが、案外頭に血が上りやすい性格をしているのだろう。

 僕がはっきりと答えると、津島さんの上体がぐらついた。

「的外れだとは思わないけど」

「ええ。忌々しいくらいに大正解よ」

 自分から欠点を指摘しろと言っておきながら、その反応は酷くないだろうか。いや、津島さんが望んだ答えではなかったということだろう。短気なことより他に、津島さんには気づいてほしいけど素直に言いだせないような欠点があるのかもしれない。

「まあ、クラスの大半は今でも私のことを、いつも冷静で落ち着いた子だと思っているみたいだから。この前教室でなっちゃんに怒った時だって、皆からはすごく珍しいと言われたし。そう考えると、私が短気だって堤君に分かってもらって結構安心したわ」

 特別な人には見せられる一面というものだろうか。いや、そんなことで津島さんを姉さんと重ねるのは止めよう。津島さんは津島さんだ。

「つまり私が何を言いたいのかというと、確かに今の堤君には足りないものがいっぱいあって、それを補うように頑張ってほしいのだけど、だからといって完璧になろうなんて思わなくてもいいということよ。私だって高瀬さんだって完璧じゃないのだし、完璧じゃなければ恋人を作ってはいけないなんてこともないわ」

 それから津島さんは頬を緩めてこう言った。

「なんて、余計なお世話だったかしら」

 そんなことはない。実際、僕は心の奥底で思っていただろう。完璧な王子様にならなければならないと。津島さんはそれを見透かしていた。

「いや、津島さんはすごいね。どうしてそんなことが分かるの?」

「堤君を見ているとね、何となくこうかなって。言っておくけど、堤君が分かりやすいのであって、他の人だとこうは上手くいかないわよ」

 分かりやすいとはいえ、僕のことをよく見てくれないとそうはならないだろう。実際、僕はクラスの大半から、無愛想、冷酷無比、天上天下唯我独尊と思われているのだ。僕もこれからも津島さんと接して、彼女のことをもっと知りたいと思う。

 良いことがあれば褒めたいし、悪いところがあればフォローしたい。いつか好きな人とそういう関係になりたい。

「私から振っておいてなんだけど、堅い話はそろそろ止めましょう」

「そうだね」

 そういって僕達は駅で別れるまで他愛のない話をした。八坂さんの件では、僕はあまり力になれなかったが、だからといって無駄に落ち込むことはない。物語の劇的なシーンを目指すよりも、日常を大切にすべきだということはもう分かっている。

 これからはおとぎ話のでもなく、姉さんにとってのでもない。今好きな人にとっての王子様になるように、日々を大事に生きていこう。

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