第三章(2)

 日曜日。約束通り、僕は高瀬さんと津島さんと会長の四人で遊びに出かけた。まず映画館で、今人気があるらしい青春恋愛映画を見た。それからお昼を食べて、その後に洋服を見に行った。その時僕が店員に女性と間違われて可愛い洋服をおすすめされて、三人に笑われてしまった。

 そして喫茶店で一息つくことになった。四人掛けのテーブル席で、僕の隣に会長が、向かい側に高瀬さんと津島さんが座る。まず、会長が高瀬さんについていろいろ訊いていた。会長としては心霊現象のことで世話になった印象しかなく、彼女の私生活のことが気になっていたようだ。何か苦手なものがあるのか会長が訊いたところ、高瀬さんは運動と虫が大の苦手だと笑って話していた。それから今日観てきた映画の話に移った。聞き耳を立てていると、会長が肘で僕を小突いてきた。

「どうしたの? 全然話に入ってこないけど、映画はお気に召さなかった?」

「はい。どうも僕はああいうのとは相性が悪いようです」

 向かい側の二ヶ所から溜息が出た。それに構わず会長は続ける。

「確かに甘々な恋愛映画だったし、堤君好みの映画ではないかもしれないけど、女の子と二人きりで観たら印象が違うかもしれないわ」

 なるほどそういう見方もできる。あの映画の観客にはカップルが多かった。恋人同士の雰囲気を高めるには適しているかもしれない。

「そうですね……」

「そういえば堤君、今日は自分から話しかけてこないよね。具合でも悪いの?」

 そこへ高瀬さんが割り込んできた。

「ああ会長。いつものことですよ」

 そして高瀬さんは困ったような表情を浮かべながら続ける。

「堤君って、大事な用事がある時は積極的に話しかけてきますけど、そうじゃないのに自分から話しかけてくるのはあまりないですよ。お昼を誘う時もいつもあたしや他の人だし。まあ話し始めればそれなりに会話に参加してくれますけど」

 自覚はなかったが、言われてみればそうかもしれない。必要性がなければあまり話す気にならないのだろう。これからは気をつけよう。僕がそう考えていると、いつの間にか高瀬さんと津島さんが無言で僕を見つめていた。

「どうしたの?」

 僕が問いかけると、高瀬さんと津島さんはお互いに視線で合図を送った。それから津島さんが口を開いた。楽しい雰囲気が一転、張りつめたものになった。

「会長ごめんなさい。こういう時なのにと思うかもしれませんけど、こういう時だからこそ堤君と話したいことがあるんです。いいですか?」

「まさかラップ音の件じゃないよね。それは約束違反よ」

 今日遊んでいる間は、ラップ音や幽霊のことを話さないという約束をみんなで交わした。今日くらいは難しいことを忘れて楽しもうということだ。

 津島さんは首を横に振った。

「それではありません。あくまで堤君のことです」

 そこへ高瀬さんが続いた。

「津島さん。重い話みたいに言っちゃ駄目だよ。あたしから堤君にアドバイスしたいことがあるんです。折角こうして集まってることだし、会長も聞いてほしいかなと思いまして」

「まあ、そういうことならいいよ」

 そしてみんなが僕に注目する。そんな中、高瀬さんが口火を切った。

「堤君。津島さんから聞いたよ。君は嘘をつけないって。まあ、ありのままの姿を見せ続けてきた君のことだから、それは当然のことなんだろうけど、今は違うでしょ」

「まあ、そうだけど……」

 高瀬さんに相談したのか。津島さんは、僕が嘘をつけないことをかなり心配しているのだろうか。確かに僕は、嘘をつけないことに関する自分の異常性に気付いた。

「津島さんに嘘のことを指摘されるまで、僕には嘘をつくという発想ができなかった。それが自分を縛るってことだったんだね。それは津島さんのお陰で分かった」

 僕の成長を伝えたが、津島さんはがっくりと項垂れた。

「ごめん。まさかそのレベルでおかしかったとは思ってなかったわ」

 ふりだしに戻った。というよりはやっとスタートラインに立つことができたようだ。

「とりあえず高瀬さん、よろしく」

「うん。分かったよ」

 まだ直すべきところがあるのならば、遠慮せずに指摘してほしい。それを受け止めて、自分を変えていきたい。

「とりあえず言っておくけど、あたしも津島さんも、堤君に嘘つきになってほしいって言うわけじゃないからね。堤君の、自分を飾らない性格はできる限り尊重したいと思う。けど、津島さんの話を聞いて、やっぱり堤君は一度でいいから嘘をついてみるべきだとも思ったよ。それも、保身のための悪い嘘をね。あっ、でも軽いやつでね」

 高瀬さんも同意見のようだ。しかし納得のいかないことがある。

「簡単に言うけど、一体どんな嘘をつけばいいの?」

「例えば今日のデートで遅刻して、その理由は見知らぬおばあちゃんを助けてたからとか適当なこと言えばいいんじゃないかな」

 とても簡単なことだった。

「とにかく、嘘をつく時の気持ちを知れということだよね?」

 この質問には津島さんが答えた。

「ざっくり言うと、そういうことね」

 とにかく今の僕は、嘘をつく人の気持ちを理解していない。それはつまり普通の人間というものを知らないということだろう。自分を変えるには、今まで見えていなかったところに目を向ける必要がある。高瀬さんと津島さんはその手助けをしてくれている。

 そして話し手が高瀬さんに代わった。

「ところで堤君は、嘘をつくってどういうことだと思う?」

 高瀬さんは相変わらず抽象的な考え方が好きなのだなと思った。

「真実を偽ること?」

「そうだけど。真実を偽るっていうのはどういうこと? なんのために嘘をつくのだと思う?」

 嘘をつく目的。怒られたくないから。見栄を張りたいから。いや、高瀬さんのことだ。そういうことを訊いているのではない。もっと根本的なことだ。

「難しく考えないで。要は、ついた嘘を相手にどう捉えてほしいかってこと?」

「それが……本当だって思ってほしい」

 僕がそう答えると、高瀬さんはにっこりと笑った。

「そうだよ。だからあたしは、嘘っていうのは現実を作ることだと思う」

 事実ではないことを事実ということにする。なるほど、言われてみればそうかもしれない。

「真実を隠して、本当はそうでないことに置き換えてしまう。それはどんなに深い事情があっても、どんなに些細なことでも変わらないと思うよ。その嘘を、相手にとっての全てにしてしまいたいんだよ」

「ん……?」

 高瀬さんはおかしいことを言っていないのに、何かがひっかかった。津島さんも何か違和を覚えたのか苦い顔をしていた。そこで気付いた。

「その言葉、津島さんが言っていたことだよね」

 信じていることがその人にとっての全てになる。高瀬さんへの反論として津島さんが言った言葉だ。高瀬さんもようやく気付いたようで「あっ」と声を上げた。

「別に……ぱくったわけじゃないよ」

「ごめん。僕が余計なことを言った」

 津島さんが言ったから何なのだという話だった。ただ、高瀬さんが津島さんの言葉をしっかりと受け入れているような気がして嬉しくなった。

「まあ、あたしが言いたいのは、嘘をつく人には作りたい低い現実と隠したい高い真実があるってこと。嘘をつかないにしても、それは考えた方がいいよ」

 すごく当たり前のように聞こえることだが、全然意識していなかった。実際、八坂さんと接してきて、八坂さんが作りたい現実は分かっているが、八坂さんが隠そうとしている真実のことを今まで考えていなかった。高瀬さんは今まで口にしていなかっただけで、そのこともちゃんと考察しているのだろうか。

「ねぇ……高瀬さん」

 そこで会長が首を傾げながら訊いた。

「現実や真実が高いとか低いとかって、どういうこと?」

 僕は普通に理解していたが、よく考えてみると、高瀬さんのことをよく知らない人にとっては意味不明な表現だ。高瀬さんがどう答えたものかとあたふたしていた。そのことについては普段から当然だと思っていて、詳しく訊かれた時のことを考えていなかったのだろう。そこへ津島さんが割り込んできた。

「真実は人よりも高みにある。この子の座右の銘みたいなものですよ。絶対的に正しい真実というのは、普通の人間には把握できない高みにあるということでしょう」

「そうです。そういうことです」

 やはり津島さんも高瀬さんの言葉を真面目に受け止めていたようだ。二人はお互いに良き理解者になりつつあるのだろう。

 そして津島さんは高瀬さんの方を向いた。

「でもこの言葉、かなり極論よ。まるで一般的に知られていることが全部嘘みたいな言い方じゃない。まったく、幽霊みたいな特殊なケースばかり考えないでくれる」

 対する高瀬さんは膨れ面になった。

「それこそ言い掛かりだよ。津島さんには、真実という高みを追い続けるロマンというものが分からないのかな」

 ゴングが鳴ったような気がした。二人の視線がぶつかり、今にも相手の瞳を串刺しにしようとしているように見える。まだ二人は完全には打ち解けていないと見るべきか、それとも二人には軽い衝突も必要だと見るべきか。とにかく今は時と場所を考えよう。

「高瀬さん、津島さん。ここは喫茶店だから、ヒートアップして喧嘩しないで。会長や他のお客さんの迷惑になるよ」

 僕が止めると、二人は正面に向き直り、俯いてしまった。

「堤君に常識を説かれるなんて……なんだか屈辱ね……」

「そうだね……あたし達もいろいろ気をつけないと……」

 思いきり嫌みなのだが、常識が希薄していることは自覚しているので言い返せない。そこへ会長が口を挟んだ。

「ねぇ……君達って毎日そんな会話をしているの?」

 会長は完全に引いていた。それは当然だ。高瀬さんと津島さんの会話は女子高生のそれとは思えない。だから僕は二人に惚れたのだが、傍から見れば不気味だろう。

「いえいえ、普段の私は普通の女の子らしい会話をしていますよ」

「あたしだって、霊能者であることを除けば、よくいる普通の女子高生ですから」

「あの……僕はこの二人についていけてないですよ」

 それでも会長は怪訝そうな眼差しを僕達に向けている。どう取り繕おうが、僕達三人が高校生として珍しいことには変わりないだろう。

「いやいや、それが悪いなんて思っていないわよ。ごめんね、水を差しちゃって。どうぞ私に構わず話を続けてください」

 会長がそう促すと、津島さんが一度わざとらしく咳をしてから話し始めた。

「じゃあ堤君。高瀬さんのアドバイスを聞いてみて、嘘をつくイメージは掴めたかしら?」

 確かに参考にはなった。しかし大きな問題がある。おそらくそれはとっくに津島さんに見破られているだろう。

「いや、やっぱり嘘をつくのは怖いかな」

 どれだけ方法を叩きこまれても、それを実践する精神がなければ意味がない。

「嘘をつくと、自分が自分でなくなりそうだ」

「そんなの考え過ぎ……」

 高瀬さんがそこまで言って、言葉を飲み込んだ。津島さんも首を縦に振る。二人とも、僕が今までどのように生きてきたかを知っている。だから察してくれたのだろう。

 津島さんがゆっくりと口にした。

「それは……白川さんを見てきたから?」

 僕は首肯した。勿論、姉さんが頑張ってきたことが全部嘘だったとは思っていない。しかしありのままの姿にはなれなかったことは確かだ。嘘をつくことがそれを連想させてしまう。

「そうだよ。だから自分を縛っているってことでしょ」

 自分でなくなることを恐れて嘘をつかない。それが自分のできることを縛っている。津島さんはそのことを伝えようとしているのだと思ったが、彼女は首を横に振った。

「いいえ。それだけじゃないわ。堤君、あなたが気付いているかどうかは分からないけど、はっきりと言っておくわ」

 おそらく僕が意識していないことだ。それを津島さんが告げる。

「あなたは自分が思い描いている王子様像が壊れるのを恐れているのよ」

 王子様になりたかった。いや、今でもそう思っている。男として、好きな女の子にとって王子様のような存在になりたいと思わずにはいられない。その理想が潰えることはなんとしても避けなければならない。その思いは間違いではないはずだ。

「つまり、ありのままでい続けて、お姫様にその姿を示して勇気づけるのが、あなたの王子様像でしょ。それに間違いはないわね」

「うん。そうだね」

 今までの僕はそれが全てだと思っていた。姉さんが亡くなった今でも、僕はその思いを引き摺っているのだろう。少なくとも津島さんにはそう見えているようだ。

「嘘をつくこと、つまりありのままでいなくなることがその理想像の破壊に繋がる。堤君はそう思ってしまっていると私は思うわ。別に、根拠があって言っているのではないから、否定したかったら言って」

「いや……そうだと思う」

 言い返せない。僕は自分が変わったという実感を持っていない。それどころか、まだまだ足りないことを思い知らされてばかりだ。

「そう。なら言うわ。そんな理想は今すぐに捨ててしまいなさい。嘘をつく気持ちを知ることよりも、その方が堤君にとっては重要だと思うわ」

 やはりそうするべきなのだろう。間違っているのは理想の方だ。姉さんのための理想など、姉さんが亡くなった今では何の意味もない。いつか津島さんが言ったように、ただの枷になるだけだ。

「あなたが今好きなのは私か高瀬さんであって、白川さんではないでしょ」

 その通りだ。だから今のままではいけないのだ。

「少し厳しいようだけど、もう分かっていると思うからあえて言うわ。私も、きっと高瀬さんもそんな王子様は望んでいない。ただ馬鹿正直なだけの王子様なんてね」

 ああ十分に承知している。今僕が向き合うべきなのは高瀬さんと津島さんだ。その二人に自分の拙い理想を押し付けても、迷惑に思われるだけだ。

「だから私達のことをよく見て、それぞれに合った王子様になってほしいの。そうなったらきっと私も高瀬さんもあなたのことを好きになるわ」

 そう言って津島さんは頷いた。高瀬さんは少し身を後ろに引いて、苦笑いを浮かべながらも答えてくれた。

「そうだね……。きっとそうだよ」

 それから再び津島さんが語る。

「私はね、そのきっかけになってくれたらと思って、嘘をつけなんていう無茶なことを言ったの。別に必要じゃなかったらいいけど、手っ取り早いでしょ」

 嘘をつくことは以前の理想とは完全に相反するものだ。確かにその理想と決別するならばこれ以上のものはないだろう。

「そうだね。いろいろありがとう」

「ええ、頑張りなさい」

 これだけ真剣に助言してくれるということは、津島さんも高瀬さんも期待してくれているのだろう。少しずつでもいい、その期待に応えられるようにこれからも頑張っていきたい。

 それからは普通の談笑を交わして、喫茶店を出るともう少し遊んだ。

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