第三章(3)
日が暮れた頃に、一同は解散することになった。利用する路線によって僕と会長の二人と高瀬さんと津島さんの二人に別れた。すぐに電車に乗るものだと思っていたが、会長が近くベンチに僕を連れて行って、二人並んで座ることになった。
「どうしたんですか?」
「ちょうどいいから、今日の感想を聞いておこうと思って」
そう言えば、会長は僕のことで何か考えがあってこの催しを開いたのだ。意図した通りの結果になったのかを確認したいのだろう。
「喫茶店での話は良かったです。また二人からいろいろ教わることができました」
また高瀬さんと津島さんに励ましてもらえた。それだけでも今回のデートは有意義なものと言えるだろう。しかし会長は僕の答えに不服のようで、眉間に皺を寄せていた。
「そんなことはいいの。それはなかったと考えて」
喫茶店での出来事は会長が意図したものではないだろう。とはいえそんなことを言われても困る。あれが今日一番印象に残ったことだから。
「それで、今日の感想は?」
「感想ですか……」
残念ながら、それ以外に会長が考えているような深い意味を見出すことはできなかった。無理矢理考えても、小学生並みの感想しか思い浮かばない。
「楽しかった……です」
そう呟くと、会長はにっこりと笑った。
「そう。その言葉が聞きたかったのよ。そのためのデートよ」
全然意味が分からない。好きな女の子と一緒に遊んだので、楽しかったのは当然のことだ。そんな当然のことを思うだけが今日の目的とはどういうことなのか。
「堤君は、高瀬さんと津島さんと一緒に遊べて楽しかったでしょ」
「はい。でも会長とも一緒にいれて楽しかったです」
「ありがとう。でも今は、私のことは考えなくていいよ。堤君は、どうして私がデートしようなんて言い出したか思えている?」
どうだろうか。あまりにも突然のことだったので、それ以前の会話が何だったのかはあまり覚えていない。ただはっきりと記憶していることがある。
「会長に、すごく馬鹿と言われました」
「そう。堤君がすごく馬鹿なことを言ったんだもの」
そうだ。その時結局、会長が僕の発言の何に気が障ったのかを、僕は訊くことができなかったのだ。とはいえ今でもやはり、僕が間違ったことを言ったとは思えない。
「ところで、何がいけなかったのですか?」
「津島さんと高瀬さんが堤君に新しい生き方を教えてくれたけど、堤君は二人にそういうことをしてあげられていない。そういうきっかけがないから二人は堤君のことを好きになってくれない。そう言ったことよ」
思い出した。確かに僕はそういうことを言った。よく考えてから、僕は反論した。
「でもその通りじゃないですか」
「ええ。その言葉自体は間違ってはいないと思うよ」
ならば何が問題なのか。そう問おうとした瞬間、会長が顔を近づけてきた。傍から見たら羨ましい場面だろうが、実際はそれどころではない。会長はすごく不満そうに僕を睨みつけているのだ。怒気は感じられないが、説教はしたそうだ。
「堤君は今日津島さんと高瀬さんと一緒にいて楽しかったんでしょ。普段はどうなの? 二人と一緒におしゃべりするでしょ」
「まあ、しますね」
「その時楽しいと思うでしょ」
「はい……。それがどう関係あるのですか?」
「大ありだよ」会長はそう叫んでから、距離を空けた。依然むすっとした態度で僕を見ている。
「つまり堤君はね、好きになるステップがおかしいの」
よく分からないが、おそらく大事なことだろう。僕は黙って続きを聞いた。
「私はこう思うの。気になる異性といて、この人と一緒にいたら楽しいとか落ち着くとか、この人は頼りになるとか、単純にこの人は可愛いとかかっこいいとか思って、それで好きになる。それでさらにその好きな人と一緒にいることが素敵だなって思うようになっていって、それからその好きな人のために何かしてあげたい、好きな人を助けたいと思うようになる。普通はそうだと思うの」
会長の考えには異論はない。実際その通りだと僕も思う。
「僕だってそうだと思いますけど」
「でも堤君の場合は好きな人と一緒にいることに対する意識が抜けているか、それが異常に弱いの。つまり堤君は好きな人を助けたいという思いだけが強過ぎて、途中のステップを一気に飛ばしている。私にはそう見えるよ」
その瞬間に悟った。僕は未だにどうしようもない人間だ。肝心なところはあの頃から全然変わっていない。そんなことで高瀬さんや津島さんのことが好きだとよく言えたものだ。
「僕って、本当に馬鹿ですね」
自分がしてきた過ちに今まで気付くことができなかった。そして僕はその過ちを繰り返そうとしていた。自分の馬鹿さ加減に腹が立つ。
「姉さんに対して……そうだったんですよ……」
臆病者に変わってしまった姉さんを、僕は救おうとしていた。それだけは必死になって果たそうとしてきた。そうすれば姉さんを幸せにできると思っていた。しかし、姉さんを救うことに夢中になるあまり、姉さんと楽しい時間を過ごすことを忘れていた。踊りの練習をしていた時だってそうだ。姉さんのために頑張ることばかり考えていて、姉さんとの練習を楽しむことを意識していなかった。折角初めて姉さんと一緒に大きなことをしようという機会だったのに、僕はその時間を大切に思っていなかった。
「そうだね。もしかしたらそうじゃないかって、電話の時に思ったよ」
姉さんのことをよく知り、姉さんとの付き合いが長く、僕と出会う以前から僕のことを姉さんから聞いていた会長だからこそ察したのだろう。
「ねえ堤君。このままだと君、津島さんや高瀬さんのこと好きにならなくなるよ」
納得して頷こうとした寸前のところで、疑問を持った。言い間違いではないのか。
「二人が僕のことを好きにならないのではなくて?」
「そうだよ。津島さんは口ではああ言っていたけど、たとえ堤君が今のままでも、やっぱり一生懸命になって助けられたら君のことが好きになるとは思うよ。それは高瀬さんだって同じ。堤君はそれくらいやってのけそうな気がするし。実際、白川先輩は君のことが好きだったわけでしょ。けどこのままだと堤君が二人のことを好きになれなくなると思うの」
やはり疑問は拭えない。会長は僕の気持を知っているはずだ。
「僕は二人のこと好きですよ。二人にはちゃんとそう伝えました」
「今はそうだね。だって、堤君はまだ二人を助けていないから」
そういうことか。高瀬さんと津島さんを助けようとしている内は、二人のことをお姫様と思っているから好きだと言うことができる。
「つまり……二人を助け終わったら、僕は二人のことをどうでもいいと思うようになるということですか?」
「どうでもいいっていうのは言い過ぎだと思うけど、助けようとしていた頃の情熱はさっぱりなくなってしまうと思うの。それでまた助ける機会があることを望んでしまう。多分今の堤君は、そうでないと好きな人を好きでい続けることができないと思うよ」
これは現在のことではなく、想定される未来のことだ。しかし見当違いとは思えない。むしろ可能性は高いとまで思える。ただ一つ言いたいことはある。
「でも、僕は高瀬さんや津島さんのことを見下してはいません」
姉さんを助けようとしていた時は、姉さんのことを弱い存在だと侮っていた。そして姉さんの頑張っている姿から目を逸らしていた。しかし高瀬さんと津島さんは違う。二人は偶に喧嘩したり、弱気になることはあるが、いつも僕のことを導いてくれる。そんな二人が僕よりも劣っているなんて到底思えない。それに、自分にとって都合のいい幻を見続けて、王子様気分に浸ることはもうやめた。
「そうだね。私もそうだったから偉そうには言えないけど、そのことはもう心配していないよ。でも、白川先輩の時のように助けようとする気持ちばかりだったら、同じことになってしまうかもしれないわ」
好きな人と一緒にいることに対する意識が希薄している。それの意味することが段々分かってきた。つまり僕は大馬鹿者だったということだ。
「つまり僕は、おとぎ話の王子様をひたすら目指していたということですね」
本当に、精神年齢がいくつなのかという話である。お姫様になって、白馬の王子様が迎えに来ることを願うのと同レベルではないだろうか。
「僕はお姫様を助ける事件にしか目を向けていなかった。おとぎ話にはそこしか書かれませんからね。王子様が活躍するのもそのおとぎ話の中だけです。王子様がお姫様と結ばれた後のことはあまり書かれません」
言えば言うほど辛くなる。しかしここで吐き出さなければならない。自分の愚かさを会長に明かさなければ、次に進めないような気がするのだ。
「僕は姉さんを変えることができさえすればそれでいいんだと思っていました。そうすれば僕と姉さんがずっと幸せに過ごせるのだと。おとぎ話のようなハッピーエンドを迎えられるのだと。今思うと薄ら寒いですね」
僕は知らず知らずに、姉さんをおとぎ話のキャラクターにしてしまっていた。物語の中の事件でしか姉さんを見ていなかった。
「たとえあのまま踊りが成功して、春日麻美さんを霊界に送って、それから姉さんが死ななかったとしても、僕達うまくいかなかったでしょうね」
あの踊りが成功していたら、姉さんが生まれ変わったかもしれない。そうするとおとぎ話が終わってしまう。その後のことを考えていなかった僕は、たとえ姉さんをうまく救い出すことができたとしても、姉さんのことをそのまま幸せにしてあげられなかっただろう。
「当たり前ですけど、僕が生きているこの世界は、おとぎ話の世界ではないんですね」
僕の人生は姫を救う話だけでできているわけではない。その前がありその後もある。そしてその全てが読み飛ばすべきではない物語であるはずだ。姫を救う話など物語全体を構成する章の一つにすぎない。それ以外の章も程度の差はあれ大切なはずだ。
「今までそんなことも分かっていなかったなんて、僕は本当に馬鹿です」
「そうだね。でも、よかったじゃない。また一つ自分の駄目なところが理解できて」
会長の言う通りだ。自分の駄目なところに気付かずに生きていていた過去とは違うのだ。少しずつではあるが、間違った考えを見直すことができている。その度に、姉さんに対して申し訳なくなり、自分を恥じるのだが、そうすることでまた一歩前進できる気がする。
「そうやっていけば、きっと津島さんも高瀬さんも君のことを好きになってくれるし、君だって本当の意味で好きになれるよ」
そう言うと、会長は満面の笑みで僕を見つめてきた。何か嫌な予感がする。というか、会長が何を訊こうとしているのかが分かった。
「でも、それには一人を決めてあげないとね。で、今日のデートではどっちが良かったの?」
電話の時と一緒だ。会長の頭の中が恋愛モードに移行した。
「それは一昨日に話したじゃないですか。デートしたからってそんなにすぐに決められません。それに高瀬さんと津島さんが二人になることが多かったし……」
さっきとは打って変わって、会長は不機嫌そうに口を尖らせていた。
「だからそういうところが駄目なんだって。好きだったらもっと積極的にいかないと。というか好きだったら、何でもないことでも自分から話したがるものよ。そりゃ……がっつき過ぎは良くないけど、退いてばかりいたら異性として意識されないよ。堤君はシャイってわけでもないんでしょ」
やはり普段の生活から変えていかなければならないようだ。そうすれば好きな人に対する意識も変わっていくだろう。
「そうですね。一つ訊きたいのですけど、会長から見て、高瀬さんも津島さんも僕のことを異性として意識していなさそうですか?」
「うん。今日の二人を見て思ったわ。あれは君を異性として意識していない」
こうもはっきりと言われてしまえば、さすがに落胆せざるをえない。とはいえ今までの僕が悪いのだから、その評価を真摯に受け止めなければならない。
「君は、二人から弟扱いされている感じだね」
身長が低くて童顔であることが原因の全てではないことは分かっている。僕も普段から、二人は僕の成長を見守っているような印象を受けるが、それが恋愛感情に発展しているような雰囲気は窺えない。
「津島さんからは、私のこと好きなんだったら頑張りなさいっていうようなことを言われましたし、今日の喫茶店での高瀬さんもそんな感じがしました。僕のこと異性として見ていたら、あんな風なこと言わないですよね。私のこと好きにさせてみなさい、って余裕に構えているように見えます」
応援してくれているだけで、好意は寄せていない。高瀬さんも津島さんもそういう態度を取っているように思える。
「でも、気になっているのは確かだと思うよ。そうじゃないとあんなに親しく接してくれないでしょ。やっぱりこれからの頑張り次第だよ」
悲観することばかりではないか。最近、自分の欠点が次々と明るみになっているのだ。直せるところがまだまだある。前向きに努力していこう。
「それはそうと、堤君って津島さんや高瀬さんのどういうところが好きなの?」
「二人とも考えていることがすごいんです。新しい価値観をどんどんくれて。最初は、こんな人と一緒にいられたら自分を変えられると思っていたんです。でも最近ではそれだけじゃなくて、こんな人とずっと一緒にいられたら、退屈しないし、安心もできるかなと思います」
拙いながらも自分の今の想いを述べてみたら、会長に肩をぶつけられた。何かまずいことを言ってしまったのかと思いきや、会長は嬉しそうに微笑んでいた。
「そうよ。なんだ……そういうことをちゃんと考えているんじゃない。その調子で、これからは自分からアタックしていけば、堤君なら大丈夫よ。でも、早く一人に絞るのよ。いつまでもふらふらしていると、そのうち愛想尽かされるわよ」
そして会長は立ち上がった。
「そろそろ帰ろう。今日は楽しかったよ」
僕も立ち上がり、会長にお辞儀をした。
「今日はいろいろありがとうございました。僕も楽しかったです」
今度は自分から、高瀬さんや津島さんをデートに誘えるようになろう。
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