第三章(4)
月曜日の部活の後、約束の時間だ。八坂さんが霊能者であることを証明するための交霊会を行うのだ。土曜日の時点で八坂さんから了解を得ていた。それから一度も打ち合わせをせずにこの時を迎えた。とはいえ交霊会のプロである高瀬さんに、当日のことは任せてほしいと言われたので、特に心配することはないだろう。
それと、高瀬さんは土曜日に中島さんの家を訪問したようだ。それだけは高瀬さんからメールで伝えられた。しかしその時の詳細はまだ聞いていない。八坂さんの交霊会が終わるまで内緒にしておくようだ。中島さんの家に幽霊がいるにしろいないにしろ、八坂さんに対する先入観を僕や会長に植え付けたくないということらしい。
僕は八坂さんを連れて生徒会室を訪れた。僕と八坂さんは部活動が終わってからそのまま来たのでジャージ姿だ。別にそれでもいいと高瀬さんが言っていた。
生徒会室には会長と高瀬さんがいる。机は端に片付けられていて、椅子が三脚だけ横に並べて置かれている。そこへ僕と高瀬さんと会長が座り、向かい側に八坂さんが立つのだろう。
「こんにちは。私が八坂真美です。今日はよろしくお願いします」
八坂さんはまず会長に挨拶した。対する会長は笑顔で彼女を迎える。
「ええ、こんにちは。私が生徒会長の八尾静香です。よろしくね」
それから高瀬さんが前に出る。
「あたしが高瀬涼だよ。今日はよろしく」
「うん。よろしく」
高瀬さんはかなり友好的に振る舞った。今のところ八坂さんは、演劇部ではトリックによるラップ音で混乱を招いた疑いが強い。だから高瀬さんは八坂さんに対して厳しい態度で臨むものだと思っていた。
「あなたが霊能者の人? イメージと違うね」
「日本だとやっぱりそうなのかな。それよりさっさと始めよう。荷物は置いてきてるね」
八坂さんが首肯した。荷物は教室のロッカーの中に保管しているようだ。
「じゃあ、ボディチェックするね」
「うん。お願いするよ」
ボディチェックを行うことはあらかじめ八坂さんに伝えてある。高瀬さんが八坂さんの身体に触れようとした時、八坂さんが僕の方を向いた。なぜか不愉快そうにこちらを見ている。
「つっつん。あっち向いて」
「服は脱がないんじゃないの?」
そう言うと、八坂さんは僕から大きく離れていった。
「うわ……つっつんってホントに変態……」
「堤君。あまり見られて気持ちいいものではないでしょ。すぐ終わるから」
よく考えてみると、会長の言う通りだろう。ボディチェックをするのが女の子とはいえ、身体を触られているところを男に見られるのは恥ずかしいだろう。
「分かりました。一応外に出ます」
僕は一旦生徒会室を出た。さて、ここまで厳重なチェックを行うのは、勿論今から行う心霊現象とされることがトリックである余地を消去するためである。生徒会室に仕掛けがないことは会長や高瀬さんが既に調べただろう。今は八坂さんが何かトリックに利用できそうなものを身につけていないかを確認している。
しばらくすると扉が開いて、中から高瀬さんが顔を出した。
「もうチェック終わったよ。どうぞ」
許可が出たので入室した。八坂さんが睨みつけてきたが気にしない。僕と高瀬さんと会長が用意された椅子に座り、その正面に八坂さんが立った。
「じゃあ、準備ができたら言って」
「うん。分かったよ」
これから質問する内容は全て高瀬さんに任せてある。僕と会長はただ注意深く八坂さんを見ていればいいらしい。
「いいよ。始めて」
「分かったよ。じゃあ質問するね。あなたの性別は、男なら一回、女なら二回鳴らして」
すると演劇部で聞いた音が二回鳴った。その時、八坂さんは少し体を揺らしただけで、怪しい動きはしていない。ただ演劇部で聞いた時はノックの音のような気がしたのだが、今回の音はそれよりも軽い音のような気がする。あの時はあまりにも突然のことだったので、身近なノックの音が思いついたのかもしれない。
「ああ……なるほど、やっぱり……」
高瀬さんはそう呟きながら立ち上がると、八坂さんの方へ歩み寄った。そして彼女の背後に回り、そこへしゃがみ込んだ。堪らず僕は質問した。
「何しているの? 高瀬さん」
「ネタ晴らし。どうせこんなものだと思ったけどね」
高瀬さんは両手で八坂さんの太腿をがっちりと固定した。そして告げる。
「じゃあ、あなたは高校生なの? 【はい】なら一回、【いいえ】なら二回」
しかしラップ音は聞こえない。そこで八坂さんの表情を窺ってみたところ、彼女はかなり動揺していた。もう全てを諦めてしまったかのようだ。
「どうしたの。答えないの」
高瀬さんが問い詰めるが、返答はない。八坂さんの目尻から雫が零れだした。
「ごめんなさい……。本当にごめんなさい……」
「もう降参か……。まったく……こんなことで挑戦状を叩きつけられるなんて、あたしも甘く見られたものだね」
高瀬さんは八坂さんを解放して立ち上がった。その頃には、八坂さんは両手で目を擦りながら、大粒の涙を流し続けていた。
「いいから泣かないで。怒ってないから」
言葉通り、高瀬さんは全然不機嫌そうな態度を取っていない。むしろ小さい子供をあやすように、微笑みを浮かべつつ八坂さんの頭を撫でていた。
「ただのいたずらのつもりだったら説教するところだけど、あたしは事情を知っているから大丈夫だよ。今まで辛かったんでしょ」
そう言いながら高瀬さんは八坂さんをゆっくり歩かせて、彼女を椅子に座らせた。そして八坂さんの隣で腰を下ろして、彼女の面倒を見ている。
そこへ会長が問いかけた。
「ねえ、結局今の音はトリックだったのよね。一体どうしてやったの?」
当然の質問だ。高瀬さんはすぐに確信したようだが、会長は全く分かっていないようだ。僕も察しはついている。しかし、まさかそんなに簡単にできるようなことなのかという思いの方が強く、確信が持てなかった。
「関節ですよ。この子は膝の関節を鳴らしただけなんです」
そう、たったそれだけのことだったのだ。ただし高瀬さんがいなければそれが分からなかったかもしれない。それほど八坂さんは上手に振る舞っていた。
「あまりにも動きがさりげなかったので、普通は見逃すと思います。演劇部の時は、膝を見ていなかったし、突然だったから、すごく奇妙な音に聞こえたのでしょう。ノックの音とは違うけど、割と近い音は出ていましたし。みんなを混乱させるには十分だと思います」
「でも、すぐにそれだとよく分かったね」
会長の問いに対して、高瀬さんは笑って答えてみせた。
「ラップ音トリックの常套手段の一つですからね。八坂さんに言っちゃ悪いけど、こんなペテン師は結構見てきましたから。それにこの前話をしましたよね。ハイズビル事件のフォックス姉妹も膝や足首の関節をラップ音だと誤信させてたって」
高瀬さんはかなり早い段階から、ラップ音のトリックの手段がそれだと踏んでいたのだろう。八坂さんの挑戦はあまりにも無謀だったというわけだ。
そして高瀬さんが八坂さんに優しく問いかける。
「ねえ、怒らないから正直に言って。ここでも、演劇部でも、膝の関節を鳴らしたんだよね。それを霊が出した音だってことにしたんだね」
八坂さんは嗚咽を漏らしながらも、首を縦に振った。一方高瀬さんは立ちあがり、僕と会長の方を向いた。
「ということです。反省しているようですし、同じことを二度としないように言いつけますので、これで勘弁してあげてください。演劇部のことはもう家鳴りか何かだったことで済ませましょう。堤君も、それで許してあげて」
僕も会長も首肯した。真実が判明したが、わざわざその真実を周囲に広めるべきではない。事情をよく知らない人間にそれを教えたところで、八坂さんが不必要に糾弾されるだけだ。そんな単純なことは、津島さんと出会う前の高瀬さんも理解していることだろう。
そこで、八坂さんが小さく呟いた。
「でも……真美は……」
そして八坂さんは立ち上がり、高瀬さんにしがみついた。
「真美は……霊能者だもん……真美が……」
往生際が悪い、と一瞬思ってしまったがすぐに思い直す。元々、問題は演劇部やここだけにあるわけではなかった。もう一つ重大なものが残っているのだ。
「真美が霊能者だもん!」
嗚咽混じりに叫んだ八坂さんを、高瀬さんは優しく抱きとめた。
「そうだね。分かってるよ。八坂さんが言いたいことは」
八坂さんが見上げる。高瀬さんはしっかりと視線を合わせてから告げた。
「中島さんの家に行ってきたよ。だから……」
その瞬間、八坂さんが高瀬さんを弾き飛ばした。幸いにも後ろにいた僕が彼女を受け止めた。
「いきなり何するんだ! 危ないだろ!」
僕は激昂して、それから八坂さんに食って掛かろうとしたができなかった。八坂さんの暴挙の原因が分かったからだ。いつの間にか扉が開いており、津島さんが入室してきたのだ。
「どうして……ここに……」
高瀬さんを放しつつも、視線は津島さんから外せなかった。
「つっつん! どうして? 約束が違うじゃない!」
八坂さんの怒声で我に返り、僕は視線を彼女に移した。
「僕だって知りたいくらいだ。津島さんをここに呼んだ覚えはない」
「あの……」そうおそるおそる声を上げたのは会長だった。
「実は私が……今日は生徒会に来なくていいって言ったら、すごく怪しまれちゃって。それですごく問い詰められたから、八坂さんが来ることは言っちゃったの。でも絶対来ちゃ駄目って言ったのに」
会長も抜けているところがあるようだ。絶対来るなと言ったところで、絶対来ると思っていたから津島さんには何がなんでも秘密にしようとしたのだ。それにどうしてそんな大事なことを今まで言ってくれなかったのか。
「そういうことよ。堤君も高瀬さんも会長を責めないであげて」
そう言って、津島さんは八坂さんの方へ歩み寄る。八坂さんは金縛りにあったように、視線を津島さんに固定したまま、全然動かない。それから津島さんが八坂さんの手首を掴んだ瞬間に、八坂さんが正気に戻ったようで、津島さんから離れようと腕を必死に振り始めた。
「やめて。祥ちゃん、放して」
「お願い真美ちゃん。話を聞いて」
止めた方がいいのではないかと僕は一歩前に出たが、会長に阻まれた。
「今、私達が止めるべきではないわ」
何か言い返そうとしたが、その前に八坂さんの動きが止まっているのが見えた。津島さんが彼女の両手首をがっちりと捕えている。
「お願い真美ちゃん。もう止めて。そんな嘘を並べて、それで傷つく真美ちゃんをこれ以上見たくないの。だからお願い……」
八坂さんは俯いている。とりあえず今は落ち着いているようだ。
「これから中島さんとやり直そうと思うの。今日までは勇気が出なかったけど、今決心したわ。明日中島さんに謝りに行く。それで中島さんが許してくれたら、また三人で遊びましょう」
「祥ちゃん……」
どうやら上手くいっているようだ。これで、津島さんと八坂さんと中島さんの三人で仲良くしていた日に戻るという八坂さんの願いが叶うだろう。
「だから真美ちゃんは霊能者じゃない。それで……」
その瞬間、八坂さんが思いきり津島さんの手を振り解いた。もうあまり力を入れていなかったのだろう、津島さんは簡単に八坂さんを放して、少しよろめいた。八坂さんの顔には強い怒りが浮かび上がっていた。
「なんでよ! なんで祥ちゃんも分かってくれないの!」
誰も触れていないのに、八坂さんは激しく身を振る。
「真美は霊能者なの! どうしてそれを認めてくれないの! 真美のこと信じてくれない祥ちゃんなんて大嫌い! だいっきらいなんだからっ!」
そうやって八坂さんは生徒会室から飛び出して行った。
「私、心配だから追いかけるね」
会長はそう言って八坂さんの後を追った。誰も彼女に返答することができなかった。今、会長以外の誰が行っても役に立たないのが分かり切っていたからだろう。それから高瀬さんが津島さんに近づき、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。こんなことして、また人を傷付けて。これは全部あたしが悪いの」
「いいわよ。頭を上げて」
津島さんはそう言うと手前にある椅子に座った。
「今日のことは、真美ちゃんから話を持ってきたのでしょ」
「そうだけと……」高瀬さんは顔を上げてから答えた。対する津島さんは高瀬さんとも僕とも目を合わせず、ただ下を向いたまま話す。
「なら今回は、高瀬さんは悪くないわ。それよりも罪深いのは私の方よ。私は真美ちゃんのことを全然分かっていなかった。だから私が……」
高瀬さんが一息呑んでから告げる。
「そんな……津島さんは悪くない……」
「適当に気休めなんて言わないで!」
津島さんが金切り声を上げた。その悲痛さのあまり高瀬さんも僕もたじろいでしまった。いや、僕は何を呆けているのか。高瀬さんだって、失敗したとはいえ、頑張って津島さんを元気づけようとしているのだ。それなのに、僕が黙っていてどうする。津島さんのことが好きなのだろう。ならば今ここで何か言わないと。いや、それとも少しの間そのままにさせておくべきだろうか。今は何を言っても津島さんを傷つけるだけではないだろうか。津島さんのことが好きだというのならば、一旦退くという選択も必要なのではないか。考えれば考えるほど分からなくなってきた。いったいどうすればいいのだ。
「ごめん……つい……」
「いや、今のはあたしが悪かったよ……」
それから津島さんも高瀬さんも黙ってしまった。と思いきや津島さんがこっちを見た。
「堤君。何か言いたそうだけど?」
津島さんは既に冷静さを取り戻しているようだ。少し不機嫌そうには見えるが、落ち着いて話し合うことに問題はなさそうだ。
「えっと……その……」
ところが僕の方が心の準備ができていなかった。津島さんに何を言おうか、それとも何も言わないでおくべきかを迷っている最中だったのだ。
「堤君。もしかしてまた私を助けようと必死に考えていたの。その気持ちは嬉しいけど、もう大丈夫よ。これ以上心配された方が困ってしまうわ」
今は助けが必要とされていないのだ。ならば津島さんの言う通り、気張ってしまう方が迷惑になってしまう。それに会長に言われたではないか。好きな人を助けようとする思いが強過ぎて、他に目を向けられていないと。津島さんのためになりたいと言うのならば、まずその欠点を克服しよう。その中で彼女から助けを求められたらそれに応じればいい。
「分かった。僕の方が心配をかけてごめん」
「いいわよ。それより高瀬さん」
津島さんの口調が鋭くなった。険はないが、これから大事な話をするつもりでいるのは伝わる。まだ一つ大きな問題が残っているのだ。
「中島さんの家に行ったのよね。その時のことを聞かせてくれるかしら?」
先程高瀬さんが言いそびれたことだ。高瀬さんが中島さん宅に行ったことだ。詳細は八坂さんの交霊会まで伏せられていたが、明かすにはいい機会だろう。
「でも、津島さん……」
「いいわ。覚悟はできている」
高瀬さんは真実で津島さんを傷つけることを恐れたのだろう。しかし津島さんには決意が宿っているように感じる。生半可な真実では、たとえ傷つけられてもすぐに立ち上がると、彼女の瞳が物語っている。高瀬さんもその心意気を察したようだ。
「そこまで言うなら、こっちもはっきりと言うよ。中島さんの家には小学校高学年くらいの女の子の霊がいたよ。振動数がかなり低い。つまり地縛霊になってる。自分が霊になったことに全然気づいていないかもしれない。だから、三月に中島さんの家で起こったラップ音は、その霊によるものである可能性が非常に高い。つまり、あれは心霊現象だよ。土曜日はその霊を見てきただけで、交信はできなかったけど、しかるべき準備をして、明日から紹霊を行うつもりだよ」
高瀬さんの報告を聞いても、津島さんは全然動じていなかった。さっき言ったとおり、とっくに腹を括っていたのだろう。
「分かった。私も行くわ」
高瀬さんは少しの間言葉を失っていたが、すぐに引き締まった面持ちで答えた。
「分かったよ。堤君は?」
「当然、行くよ」
ここまで来たら、八坂さんの本意に辿り着けるまで、とことん付き合ってやろう。
その後、八坂さんは会長が駅まで送り届けたことを聞き、僕達も帰宅した。
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