第四章

第四章(1)

 火曜日の放課後、予定通り中島さんの家で招霊を行う。津島さんが担任に用事を頼まれていたので、先に中島さんに帰ってもらって、僕と高瀬さんと津島さんの三人が後で中島さんの家に行くことになった。中島さんの両親は共働きで、特に今日は二人の帰りは遅いらしい。心霊現象を起こすならば、両親が不在の内に済ませておこうという話になったようだ。

 最寄り駅からは十五分程歩くらしい。中島さんの家を知っている津島さんが先頭を歩いて、その後ろに僕と高瀬さんが続いた。

「ねえ、堤君」

 高瀬さんが僕の肩を小突いて、小声で話しかけてきた。

「津島さん、すごく不機嫌そうだね」

 僕も、津島さんに聞こえないように小声で返す。

「それはそうでしょ。まだ中島さんに謝っていないようだし」

 今日、津島さんが休み時間に長い間教室を離れることはなかった。中島さんに謝るのは彼女の家に訪れた時と決めているのだろう。

 すると津島さんがこちらを振り向いた。

「何こそこそ話しているのよ」

 さすがに何かを話していることが分かるくらいには声が聞こえていたようだ。やはり津島さんはいらいらしているように見える。ここは僕が応じた。

「ごめん。津島さんのことが心配だったから」

 そう僕が答えると、高瀬さんも大きく頷いた。すると津島さんは大きな溜息をついて前を向き直った。

「別に心配してくれなくていいわよ。もうあの子に怒ったりしない。私が悪いのは分かっているわ。今までのことはちゃんと謝るから」

 心配していたことは少し違うが、津島さんがそう言うのならばこれ以上余計な気遣いをしない方がいいだろう。津島さんの緊張を少しでも和らげようとしたいところだが、裏目に出る危険を冒すまでもないと思う。

 ふと津島さんが話しかけてきた。

「ねえ、高瀬さん。その大きな荷物は何なの?」

 高瀬さんは学生鞄の他に、それと同じくらいの幅の鞄を持っている。学校の最寄り駅のロッカーで高瀬さんが回収したものだ。あの時は人目が多かったので、中身が何かを訊かない方がいいと僕は判断した。津島さんもそうだったから今訊いたのだろう。

 高瀬さんは辺りを見回して、近くに人がいないことを確認してから告げた。

「ウィジャボードだよ」

「そう……えっ?」

 津島さんが驚いた顔をこちらに向けたが、高瀬さんが前を向くように促した。

「ウィジャボードって、あなた何する気なの?」

「だから交霊するんだよ。ってこの前似たようなことやったじゃん。どうしてそんなに怖がるの。あたしがするんだから危ないことはないって」

 春日麻美さんを招霊するにあたって、体育館のステージをウィジャボードに見立てたことがあった。それを本来のウィジャボードで行うだけの話だ。

「ということで交霊はウィジャボードで行うから。中島さんの家の霊を取り憑かせるのはあたしだよ。といっても今回は手だけの部分的なものだから、あたしが意識を失うことはないよ。高級霊も呼ぶし、堤君が憑依される心配もないから」

 準備は万全というわけだ。津島さんも納得したように頷いた。

「ねえ、高瀬さん。話は変わるけど、今日中島さんの教室に行ったのでしょ」

 打ち合わせをするために、高瀬さんだけが今日の昼休みに中島さんの教室を訪れた。

「そうだけど、どうしたの?」

「真美ちゃんは……どうしていたの?」

 昨日の今日だ。津島さんが八坂さんのことを心配しているのは当然だ。ましてや、慰めようとしたら大嫌いと拒絶されてしまったのだから尚更だ。

「教室の外からちらっと見えたけど、元気なさそうだったよ。中島さんも、今日の八坂さんは誰に話しかけられても、小さく相槌を打つだけって言ってた」

「そう……」

 普段喧しい八坂さんが静かになったということは、昨日のことは相当ショックだったようだ。それは果たして、トリックを見破られてしまったからだろうか。

 いや、八坂さんは霊能者でないと津島さんが言ったことがまずかったのだろう。僕達は未だに八坂さんのことを全然理解していない。彼女は何のために嘘をついてまで、自分が霊能者であることを証明しようとしているのだろうか。津島さんが中島さんと仲直りできるようにするためだと思っていたが、それは昨日否定された。ならば八坂さんの真の目的とは一体何なのだろうか。

「やっぱり……」

 そこで津島さんが誰に話すわけでもなく、ぽつりと呟いた。

「やっぱり……あの時、真美ちゃんは霊能者だって認めてあげればよかったんだ」

「それは違う!」「それは違うよ!」

 僕と高瀬さんが同時に声を上げた。そこで三人とも立ち止まる。さて、言葉を続けようとしたが、それは高瀬さんも同じらしい。僕と高瀬さんが顔を見合せた。そうしている内に、津島さんが身体ごとこちらを向いて、口を開いた。

「どうしてよ。あなた達は、真美ちゃんは霊能者かもしれないって疑っていたじゃない」

 津島さんの言い分は分かる。中島さん宅でのラップ音は心霊現象である可能性が高いことは、高瀬さんが認めている。そうである以上、物理霊媒がその場にいたことになり、八坂さんが怪しいとされている。しかしそういうことではないのだ。

 僕と高瀬さんは再び顔を合わせた。

「高瀬さんから言って」

 高瀬さんは首肯して、津島さんの方を向いた。

「津島さん。あたしも、八坂さんが霊能者なんじゃないかなって思ってるのは確かだよ。実際、中島さんの家に霊がいて、心霊現象が起こって、その時八坂さんはそこにいたんだから。あたしはそういう根拠があるから、そう疑ってるんだよ。津島さんはどうなの?」

 そうだ。まだ二ヶ月しか接していないが、高瀬さんが確固たる根拠に基づいて推論や結論を出すことを大切にしていることは分かる。いい加減に考えたりはしない。直感には頼らない。幽霊のことではそれが顕著になる。そういう姿勢を貫いた上で高瀬さんは、八坂さんは霊能者かもしれないと言っている。

「別に……あなたが言っていること以外に、これといって考えていることはないわ」

「でも、あたしだってまだ仮説の段階だよ」

 そうだ。僕達はまだ真実を知らない。まだその高みに辿り着いていない。

「津島さん、八坂さんが霊能者だってことを認めれば丸く収まるって考えてるんでしょ」

 僕のそれを危惧した。津島さんはただ妥協しようとしただけなのではないか。それは津島さん自身もよく分かっていたようで、首を小さく縦に振った。

「でもそうしたら、真実から逃げることになるよ。津島さんは逃げるのが嫌だからついて来たんでしょ。だったらそんなこと言っちゃ駄目だよ。あの時八坂さんにああ言ったのは、そりゃあの時はああなっちゃったけど、あたしは間違っていないと思う」

 三月の事件の真相を知ろうとしている。今ここにいるということはそういう意味だ。この三人の中でその想いが強いのは、津島さんだろう。三月の事件の当事者であり、同じく当事者である八坂さんと中島さんと仲直りをしようとしているのだから。

「そっか……私はまた逃げようとしたようね……」

 一ヶ月前にも同じようなことがあった。心霊現象があることを根拠もなく否定する津島さんに、高瀬さんが言ったのだ。「ただ逃げてるだけだよ」あの時津島さんは、自分の無力さを理由に、真実から目を背けていたことを認めている。そして今も同じ過ちを繰り返そうとしていた自分に気付いたのだろう。

「そうね。高瀬さんの言う通りだわ。今、私すごく弱気になっていたみたい」

 そして津島さんは顔を上げ、僕に視線を移した。

「ところで、堤君は何を言おうとしていていたの?」

 次は僕の番だ。高瀬さんの言ったこととは似て非なることだ。

「八坂さんが、自分が霊能者であることを津島さんに認めてほしいと思っているには何か理由があると思う」

「それは、私と中島さんを仲直りさせるためじゃ……」

 津島さんもそれくらいは考えていたようだ。僕も八坂さんからそういう風なことを聞いた。

「違う。実際君と中島さんを仲直りさせたいとは思っているだろうけど、他にも理由があると思う。そうじゃないと八坂さんの言動は説明できない」

 津島さんが中島さんと仲直りする意思を示したにもかかわらず、目的が達成されたにもかかわらず、八坂さんは拒絶した。自分が霊能者だと認められることに拘っていた。ならば、また別の目的があると考えるしかない。多分、八坂さんにとってはそっちの方が大事なのだろう。

「八坂さんが霊能者であることを認めたら、きっと津島さんは八坂さんとも仲直りできると思う。事を丸く収めるだけだったらそれでもいい。けど津島さんにはそうなってほしくない。もしそうなったら、きっと後で後悔すると思う」

 高瀬さんが言ったような立派な根拠なんてない。言うなればこれはただの願望だ。僕の勝手なわがままだ。しかし言わずにはいられなかった。

「僕と同じ道を歩んでほしくないから」

 僕は姉さんにとっての王子様になることだけを目指して、姉さんの頑張っている姿を見ないようにしていた。真実から目を逸らして、ただ理想だけを追い求めていた。そんな過去の自分と津島さんが重なって見えたのだ。

「だから八坂さんの本当の想いに目を向けてほしい。どうしてあんな嘘をついたのか。八坂さんがどんな現実を作りたかったのかを分かってほしい。そうしたら、結果はどうあれ、後悔はしないと思う」

 僕が生前の姉さんに対してできなかったことを、津島さんにはしてほしい。本当の八坂さんを見てほしい。今の津島さんにはそれができるはずだ。

「どんな現実を作りたいか……ね……」

 津島さんはそう呟くと、くすりと笑った。

「高瀬さんの受け売りじゃない」

 言われてみて気付いた。確かに、日曜日に喫茶店で高瀬さんが言っていたことだ。嘘をつくということは現実を作るということだ。まさか自分に役立てる前に、津島さんへの説得に使うとは思っていなかった。

「自分の言葉じゃないと駄目?」

「いいわよ。ごめん。私が余計なことを言ったわ。それより二人共ありがとう。お陰で勇気が持てたわ。さあ、行きましょう」

 そして津島さんは踵を返して歩き出す。僕と高瀬さんも後に続いた。僕の言葉で少しでも津島さんを元気づけられたなら嬉しい。そういうことばかり考えてはいけないことは分かっているが、今くらいは許されてもいいだろう。

「ところで津島さん」

 高瀬さんが歩きながら言葉を発した。

「何? 私ならもう大丈夫よ」

「そうみたいだね。けど……今更何か言いにくいけど……」

「何よ? いいわよ。遠慮しないで」

 やがて高瀬さんは決心がついたようで、はきはきとした声で言い始めた。

「津島さんは、今からすることの意味をちゃんと理解してるの?」

「それはどういうこと? 真美ちゃんとのことなら話したばかりじゃない」

「いや、八坂さんのことじゃないよ」

 そこで高瀬さんが何を言いたいのかが分かった。僕は最近になって当り前のように思っていたことだが、津島さんはまだ違うだろう。高瀬さんもそれが分かっているから、言うのを少し躊躇ったのだ。

「今から中島さんの家ですることを目の当たりにしたら、きっと津島さんは霊の存在を嫌でも認めなければならないと思うよ。それでもいいの?」

 その問いに対して、津島さんはこくりと頷いてみせた。

「そうね。今回は私も当事者だからね」

《幻の呪い姫》の事件では、津島さんは解決に身を乗り出していたが、彼女は当事者ではなかった。だから、その時に発生した心霊現象を信じないという立場を取ってもよかっただろう。しかし今回は、津島さんが当事者なのだ。もし心霊現象の存在が確認されれば、心霊現象の存在を認めなければならない。八坂さんのためにも、津島さんは今まで頑なに否定していたことを肯定しなければならなくなるかもしれない。

「言ったでしょ。覚悟はできているって」

 そう言って、津島さんは顔を半分だけ覗かせた。

「幽霊なんて絶対にいない――なんて、そんな下らない考えはもう要らないわ」

 何か吹っ切れたように微笑む津島さんを見て、僕も高瀬さんも言い返すことはなかった。津島さんも僕と同じなのだと思う。自分を必死で守るためだけの理想は捨てて、本当の大切なことを追い求めていくだろう。

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