第一章(4)
その日の演劇部。ゴールデンウィーク中は部活動が休みだったので、五日ぶりだ。トレーニングを終えて、台本を読む練習を始めた。ちなみに今日顧問は来ていない。一年生と二年生が横に並び、三年生の二人と向かい合っている。皆が練習用の台本を持って、一斉に読んでいく。その最中に、何だか奇妙な音が鳴ったような気がした。ノックに似ていたが、それにしては小さかったので気のせいだと思った。しかし周りの人達にもその音が聞こえていたようで、辺りを見回していた。
「何……? 今の音……?」
「さあ、外からじゃなかったか? ノックだろ」
そう考えるのは普通だが、誰も入って来ないし、再度ノックされることもない。
「僕が見てきます」
一番ドアに近かったのは八坂さんだったが、彼女に頼むよりは自分で行った方が早いと思って行動した。ドアを開けるが、目の前には誰もいない。左右を見ても誰もいない。曲がり角や階段は少し離れている。音が出てから僕が来るまでにこの場を去るには走らなければならなそうだが、そんな音はしなかったし、他の部屋のドアが開いた音もなかった。辺りを隈なく見回してみたが、音の発生源らしきものは見当たらなかった。仕方なく元に戻る。
「誰もいませんでしたし、何もありませんでした」
僕がそう報告すると、皆は浮かない顔をしつつも、練習を再開した。
台本を両手で掲げて、読み始める。すると再び謎の音が三回連続で聞こえた。その瞬間、僕は飛び出して、ドアを思いっきり開けた。すぐに廊下に出て左右を確認する。やはり誰もいない。仮にドアの前まで来て音を発した人間がいたとして、先程は時間の猶予を結構与えたので、もしかしたら音を忍ばせて去った可能性もなくはなかった。しかし今度は違う。確実にその相手を捉えられるように僕は即行動した。
だから、こう結論できる。ここへは誰も来なかった。
「何? 一体何なのあの音?」
三好先輩が怯えてしまったようだ。無理もない。僕だって不気味だと感じている。
「いや、心配するなよ。上か下で偶々何か変な音が鳴ったんだろ」
「それは違います」
神崎先輩は状況を理解していない。今は三好先輩の認識の方が正しいはずだ。
「最初の音だけならそれで済ませられますが、二度目の音は駄目です。明らかに練習が再開されたのに合わせて鳴らされていました」
「ちょっと待ってくれ。それじゃあ外の誰かが見計らってやったって言うのか」
笹村先輩の問いに対して、僕は首を横に振った。
「断言できます。廊下には誰もいなかった」
「じゃあ、中ってことになるよ」
八坂さんの一言で場が凍りついた。正解だ。この部室の様子を把握することができて、なおかつ出入り口に面した場所にいないとなると、音の発生源はこの部室になる。
「そう言われてみれば、この中から音がしたかも……」
「三好さん落ち着いて。堤君も考え過ぎだって。ただの家鳴りだよ」
僕も少し冷静になろう。二回目の音が練習再開とほぼ同時に鳴ったのは偶然であるという可能性はゼロではない。そもそも僕は、謎の音が意図的に発せられたという証拠を何一つ掴んでいない。
「そうよ。みんな両手で台本を持っていたんだし、足踏みの音でもなかったよ。この中にいる誰かが出した音とは思えないわ」
嶋先輩の言うことももっともだ。この中の人間に謎の音を発する手段がないように思える。変な挙動をする人がいたなら、向かい側にいる誰かが気づくだろう。
「分かりました。不安を駆り立ててすいません」
結局、反論はできなかった。その後、練習中に謎の音が聞こえることはなかった。そのことが疑念を強くする。もし何の作為もなく発生した音ならば、練習中に再び聞こえてもおかしくはないはずだ。再開の直後に再び鳴ったら、その音は意図的であることは明白だが、以後全く鳴らなくなったのも釈然としない。誰かが意図的に音を出すことを止めたと考えられないだろうか。とはいえ何の確証もないので、そう発言するのは控えた。
練習を終え、解散となる。掃除と戸締りは全員で行い、全員で学校を出ようとした。しかし八坂さんが僕に話があるというので、先輩達は先に帰り、僕と八坂さんは校舎のベンチに座った。後で変な噂にならなければいいと少し思ったが、もっと変な噂をされている身なのでどうでもよくなった。
「それで何の用?」
八坂さんが浮かない顔をしていることから、世間話ではないことは分かるし、大体察しはつく。津島さんに関することか、それとも――。
「今日の、あの音のこと、つっつんはどう思ってるの?」
どうやらそっちであったようだ。しかしその場合、どうしてわざわざ二人きりになってまで僕に問い質すのかという疑問は残る。最も不審を訴えたのは僕だったからだろうか。
「妙な音だったけど、先輩の言う通り偶然だったかもしれない。僕にはその判断ができない」
「でも、変だとは思ってるんだよね?」
当たり前だ。偶然を否定できなかっただけで、肯定したわけではない。
「外には誰もいなかったし、中のいる人も台本を持っていた。特に二度目は台本を両手で構えた直後だった。それを確認した上で、嶋先輩はああ言ったんだろう」
「つまり、誰にも出せなかった音だってことだね」
「今のところはそうなる。ただ、高城先輩が言うように家鳴りだと考えたいけど、そうだとしたら、あの時だけ鳴ったっていうのはおかしい。三好先輩の慌て振りからすると、きっと先輩達にとっても初めてのことだよ」
それこそ今日初めて鳴ったというのが偶然だという可能性もある。しかし偶然で納得することができない。おそらく八坂さんもそうだ。
「つっつんはこう言いたいの? 真美やつっつんがやってきたから、あの音が鳴ったって」
僕は首肯した。そして八坂さんが僕をここに連れてきた理由を言い当ててみる。
「八坂さんは僕のことを疑っているんでしょ?」
僕と八坂さんが入部してから謎の音が発生したのは、僕か八坂さんのどちらかが故意に謎の音を出していたからだ。そして八坂さんは自分が犯人ではないことを知っているので、僕が犯人だと断定した。八坂さんはそう推理したのだと僕は考えた。
八坂さんはしばらく黙っていたが、急に頬を膨らませて、それから豪快に笑い始めた。
「ははははは。つっつん考え過ぎだって。推理小説とか読み過ぎなんじゃないの。ははははははははっ。やっぱりつっつんって面白いね」
それ程おかしなことなのか。確かにミステリを読むことはあるが、マニアという程でもない。そういえば推理小説が好きなのは津島さんなのだが、八坂さんの気持ちが沈みそうなので言わないでおく。八坂さんは大笑いを止めたが、それでもまだ頬が緩んでいる。
「第一に誰にも出せない音なのに、どうやってつっつんが出すの?」
「君達の知らない手段で僕が音を出したかもしれない」
何かの機械を使う。隣の部屋に共犯者がいる。僕達はそういう可能性を精査していない。少し考えただけで偶然だと決めつけた。まだ不可能だと断定するのは早いはずだ。そもそも部室の外を確認したのは僕だけだ。僕が犯人ならば共犯者がいたことを隠すはずだ。
八坂さんはいたずらっぽく微笑みながら言う。
「じゃあ、つっつんは真美のこと疑ってるの?」
意外と頭の回転が速いな、と感心した。ただうるさいだけの子ではないかもしれない。
「いや、疑うだけの材料がない」
根拠に拘るところは、高瀬さんの影響だろうか。
「そっか。でも、真美は音を鳴らした人を見たよ」
最初はまた馬鹿なことを言っているとしか思わなかった。そしてすぐにとんでもないことをほざいていることに気づいた。手段が分かったとして、誰が犯人かはまだ分からないだろう。いや、まだ詳しく調べていないのに手段さえ分かるはずがない。自分がやったというのか。いや、そうならばすぐに自分がやったと言えばいい。
「誰?」とにかく問うことにした。すると八坂さんは微笑んだまま答えた。
「名前は知らないけど、幽霊だよ」
「は?」思わず声が出た。すかさず八坂さんが告げる。
「だから幽霊だよ。つっつんがドアを開けたでしょ。そこに女の子がいたの」
一ヶ月前の僕ならば、ここで席を立っただろう。しかし今の僕はその言葉を無視できない。幽霊が視えるという少女に既に会っているのだ。そして、自分も霊能者であることが分かった。幽霊の話を馬鹿にできる立場でない。
「幽霊が視えるということだよね。どんな人?」
「制服の女の子。って普通に信じてくれるんだね」
今回の僕の反応が非常識なのは納得できる。自分でも驚いたくらいだ。幽霊の話に慣れている人間なんてそうそういないだろう。
「信じてはいない。それはこれから決める」
「そっか。そういえばつっつんは《幻の呪い姫》って知ってる?」
やはりその噂の話になるか。僕の中では解決している問題だが、この学校のほとんどの人にとっては謎のままである。八坂さんも例外ではないだろう。幽霊の話となれば、《幻の呪い姫》に繋がるのも不自然ではない。それが直接の原因ではないとはいえ、実際に人が死んだのだ。
「知っている。けど、あれは関係ないから」
関係あるはずがない。《幻の呪い姫》は僕のことであり、去年の文化祭の後に死亡した姉さん、白川一魅は高級霊として霊界にいるらしい。もし八坂さんが幽霊を視たというのが本当だとしても、突発的に目撃するような幽霊は低級霊であり、姉さんは該当しない。《幻の呪い姫》と関係がある低級霊というのも先月にはこの学校にいたのだが、彼女も今は霊界に旅立っている。
「そう……? そのお姫様か生徒会長の幽霊だと思ったんだけど……。ってつっつんは《幻の呪い姫》のこと、噂のこと以外に知ってるの?」
しまった――。くだらない噂で姉さんを弄んでほしくないと思い、先手を打ったのが仇になった。あれでは、自分は《幻の呪い姫》について詳しいと豪語したに等しい。
「うん。《幻の呪い姫》の正体を知っている」
ならば中途半端な言い訳はしない方がいい。だがここからが問題だ。
「へぇ……それって誰なの?」
その流れになるのは必然だ。もう吐いてしまおうかとも思う。もし八坂さんが《幻の呪い姫》の正体が僕であることを周りに広めてしまったとしても、別に困ることはないと思う。僕は呪いでも何でもなく、ただ姉さんと踊っただけだ。真実は少し複雑な事情が追加されるが、そのことまでは伝わらない。ただし、八坂さんに教えたところで、僕には何のメリットもない。それが謎の音を解決する糸口にはなりえない。踊りの時とは違い、《幻の呪い姫》は全く関係がないのだ。だから僕はこう答えた。
「嫌だ。君には教えたくない」
何の利点にもならないことはしたくない。それが僕の出した結論だ。
「えー。けち……」
そう言いながら不貞腐れると思ったが、八坂さんはくすりと笑った。
「でも、つっつんって嘘で誤魔化さないんだね」
そうか。嘘をつけばよかったのだ。何か適当なことを言って八坂さんを騙せばよかった。どうせ《幻の呪い姫》について僕が言ったことの真偽を確かめる術は八坂さんにはないだろう。そうすれば僕は簡単に八坂さんの質問をかわすことができた。
「つっつんって本当に、馬鹿正直なところあるよね」
同時に僕の異常性に気づいてしまった。馬鹿正直――そんな生易しいものではない。確かに、少し前の僕はありのままの自分でいることを信条にしていた。それは僕が、八坂さんが言う馬鹿正直に由来するものだと思っていた。しかし全然違うのだ。さっきのことがそれを物語っている。僕は正直に話すことと嘘をつくことを天秤にかけて、その結果正直に話したのではない。最初から嘘をつくという発想が抜けていたのだ。
さっきのやり取りなんてそうだ。嘘が効果的に働く場面ではないのか。普通の人間ならあそこで嘘をついて難を凌ぐのではないのか。しかし僕はそうしなかった。ありのままでいるという選択肢しか持っていなかったからだ。
「ねえ、つっつん。黙っちゃってどうしたの?」
「考え事をしていただけ……」
なるほど、これが自分を縛るということか。津島さんの忠告が身に沁みる。他にも自分を縛っている要素があるかもしれない。しかし当面の課題は嘘だ。実際に嘘をつけるようになることも大切かもしれないが、たとえそれができなくても嘘を選択肢に入れることくらいはできるようになろう。
「とにかく《幻の呪い姫》は無関係だ。本題に戻ろう」
気持ちを切り替えよう。今僕がするべきことは、幽霊を見たという八坂さんの証言が本当か嘘かを見極めることだ。本当ならば幽霊がいることになり、今後新たな心霊現象が起こることが考えられる。謎の音のような些細な現象で収まるとも限らない。最悪高瀬さんに相談して、幽霊を霊界へ導く必要がでてくるかもしれない。
もし嘘ならば、八坂さんが謎の音を発したことになるだろう。演劇部の迷惑になるような行為を見逃すわけにはいかない。
「そうだね。真美は《幻の呪い姫》と女の子の幽霊に関係があると思ってたんだけど、つっつんがそう言うなら、違うということにしておくよ」
やっとスタートラインに立ったような気がする。とにかく、幽霊を見たという八坂さんの証言を無視することはできない。何も起こっていないのに幽霊がいたというのならともかく、今のところ人間の仕業では説明できない謎の音が発生したのだ。
「それで、幽霊が見えたからって、どうするの?」
僕に話したということは、何か行動をするからその相談したいと考えているのだろう。演劇部の先輩に話す手助けをしてほしいのか。幽霊を祓うから協力してほしいのか。
「別に何もしないよ。ただ……」
答えはそのどちらでもなかった。
「このことを、祥ちゃんに伝えてほしいの」
意味が分からない。どうしてここで津島さんの名前が出る。
「確認するけど、演劇部の部室で八坂さんが幽霊を見た、と伝えればいいの?」
「そうだよ。お願い」
冗談だと思いたいが、今の八坂さんにふざけた様子はない。八坂さんが僕に話しかけた目的はこれだったようだ。しかしどうして津島さんにそんなことを伝える必要があるのかが見当もつかない。無闇に幽霊の話をしてしまえば彼女を怒らせるだけだろう。
「その前に一つ訊かせて。今年の三月に津島さんと何があったの?」
八坂さんの目的を知る手がかりがあるとすればこれだろう。三月に起きた事件は幽霊が関係していると津島さんは言っていた。おそらく八坂さんに謎の音を解決する気はないのだろう。それより、幽霊を見たというのが本当か嘘かはともかく、幽霊の話をすることで津島さんがどのような反応をするのか探りたいのかもしれない。
「それはいや」
八坂さんは首を横に振る。三月のことを話してくれれば協力するという姿勢をもっとアピールすればよかったのだろうか。と思ったが違うようだ。
「だってつっつんは《幻の呪い姫》のこと教えてくれないんでしょ。だったら教えない」
少しむかついたが、筋は通っている。案外抜け目のない女だ。こっちが相手の質問に対して沈黙を貫くのに、相手にはずうずうしく答えを求めるのは公平でない。
「分かった。だったら無理に言わないでいい」
その内、津島さんから説明されるだろう。今すぐに知らなければならないことでもない。
「その代わり、津島さんには幽霊のことは伝えない。言いたかったら自分で言えば。それは邪魔しないから」
ならば協力しなければいいだけの話だ。《幻の呪い姫》の件がなくても、こうしただろう。津島さんと八坂さんは気軽に話し合える関係ではない。八坂さんとしては、自分から津島さんの逆鱗に触れたくはないので、僕に仲介させたかったのだろう。そんな甘えに乗ってたまるか。
「じゃあ……いいよ。この話はなしにしよ」
あっさり引き下がった。諦めが良すぎる。その伝言は八坂さんにとってそれ程重要なことではないのだろうか。他に本命があるのだろうか。
「そういえば、つっつんって幽霊を信じてるの?」
「うん。信じている」
「そっか……って、ええええぇぇぇぇ」
耳が痛くなる程の大声が響いた。どうやら八坂さんは本気で驚いたようだ。
「嘘でしょ。だって幽霊だよ。何で信じてるんだよ?」
「うるさいなぁ。それと、さっき幽霊の話をちゃんと聞いた時は受け流していた癖に」
「そっちが適当に合わせてると思ったんだよ」
言い分は分かる。幽霊の存在を信じているなんて堂々と告白するとは普通思わないだろう。しかし僕はもう、幽霊を信じないことを許されないのだ。僕が幽霊を信じないことは、姉さんの頑張りや姉さんとの約束を否定することになる。そんなことは死んでもしてはならない。
「じゃあ、幽霊を信じてるのに、祥ちゃんのこと好きなの?」
「うん。そうだよ」
「祥ちゃんは、つっつんが幽霊を信じてることを知ってるの」
「まあ、そうなるかな」
どうしてそんなことを訊くのかと考えた瞬間に答えが出た。当り前ではないか。津島さんが幽霊に関する話題に対して寛容になったのはつい最近の話だ。それは僕や高瀬さんといった、《幻の呪い姫》事件の解決に携わった人達しか知らないことだ。しかしそれまでの津島さんは幽霊の話題を耳にすることに耐えられないくらい、オカルトに対して抵抗があった。八坂さんの中にある津島さんは、オカルトを毛嫌いしたままのはずだ。
「ねえ、四月に何があったの? それは《幻の呪い姫》と関係あるんでしょ」
この子、馬鹿のように見えてやはり機転がきく。津島さんの変化を見抜いたようだ。今更ではあるが、嘘をつくべきだったのか。いやそれ以前に、津島さんの変化を考慮していなかったのが問題だ。とはいえ失敗してしまったのは仕方ない。これからのことを考えよう。四月の出来事を話すべきかどうかだ。あれは津島さんと直接関係があるわけではない。彼女は四月においては当事者だが、去年においては無関係だ。だから話すとしたら、津島さんが幽霊に対する抵抗を少し払拭したということだけだ。多分津島さんにはあまり迷惑をかけない。しかしこのことを詳しく話すとしたら高瀬さんについて説明することを避けられない。そうなると高瀬さんに迷惑がかかる。僕は高瀬さんのことも好きなのだ。そんな事態を許してはならない。
「分かった。降参だ」
僕は両手を上げてから言った。
「四月のことは、今は話せない。その代わり君に協力する。謎の音と、君が幽霊を見たということは津島さんに話す」
今度は嘘をつくことを視野に入れたが、すぐに効果的な嘘を思いつくわけがなかった。下手な嘘をつくよりは、妥協案を探る方がいいと考えた。僕も不公平は嫌いだ。相手の質問も頼みを聞かずに、自分の都合だけを押しつけるという卑怯な真似はしたくない。
「うん。それでいいよ」
今思うと、どの道四月の件は交渉材料に使われたかもしれない。不覚を取ったことを認めた方がよかっただろう。
「じゃあ、明後日の部活までに伝えておいてね。祥ちゃんがどう返事したかも教えてね」
「分かった」
そして八坂さんは立ち上がった。要件は済んだのだろう、ゆっくりと歩き始める。と思いきや、すぐに立ち止まって半眼で僕を見る。
「結局、あの謎の音は誰の仕業なんだろうね?」
そう言い残して、今度こそ八坂さんは去って行った。その言葉に寒気がする。先程八坂さんは、謎の音は幽霊が鳴らしたと言った。その上で、謎の音は誰の仕業かと呟いた。この二つは矛盾しているのではなく、ある一つの事実を浮き彫りにする。
八坂さんは、心霊現象が生きた人間によって引き起こされることを知っている。そう考えるのが妥当だと思う。そしてその発想が生まれるということは、八坂さんが心霊現象に大きな興味を持っているか、それとも彼女自身が霊媒であるかだろう。もしかしたら、八坂さんは本当に幽霊をその眼で見たのかもしれない。
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