第二十四話 バレス島

 八十名の反乱軍精鋭部隊を乗せた二隻の魔導艦は、二時間ほどで無事に目的地であるバレス島に着岸した。島の中心部にそびえ立つ山の根元に広がる高台の街《ニルヴァス》は、すでに住民たちが捕えられたせいか活気はまるで伝わってこず、今のところ銃撃や魔法による皇国軍との交戦の様子は見られない。


 島の周囲には見渡す限り大海が果てしなく広がっており、出港したリースベルの街並みはおろか世界一の規模を誇るリプレニア大陸でさえも、今は完全に紺碧の彼方にその姿を消していた。


 潮騒響く白い砂浜で一通り作戦の趣旨を説明し終えたグラウスは、毅然とした態度で新兵たちに告げた。


「——ではいま説明した通り、私が率いるA班の部隊は街の西ゲートより進軍し、中央広場にて味方部隊と合流する。B班の部隊は街の外から迂回し、南ゲート前にて私の指示があるまで待機。情報のやり取りは《想像接続術式イマジン・コネクト》を使って行う。それとB班の指揮官だが……」


 淀みない口調でそう言うと、グラウスは一人の少女を猛獣のような鋭い目つきで見据えた。


「シエル=スカーレット、君を指名する」


「わ、私ですか……?」


 突然の思わぬ指名に、シエルは困惑したように聞き返す。


「何か問題でもあるかね? 君ほどの適任者は他にいないと思うのだが」


「い、いえ、大丈夫です……」


 口ではそうは言ったが、実際のところ内心不安な気持ちでいっぱいだった。


 確かに指揮をるのは得意なほうではあるが、実際に部隊の統率などしたことはない。何より今回が初の任務ミッションなのだ。こんな大役が果たして自分なんかに務まるだろうか……。


 責任重大な役目の荷の重さに、少女が深刻に考え込んでいた時だった。


「——ちょっと待ちやがれ」


 不意に兵士たちを乱暴に押し退け、ダインが横柄な態度で前に歩み出てくる。


「なんで俺様が班長じゃねぇんだ!! しかもよりにもよって、またこの女かよ!! テメェ、コイツにだけ贔屓でもしてんじゃねぇのか!?」


 卒業式以来の彼の再登場に、これまで無表情だったグラウスの眉間に小さく皺が刻まれる。


「また君かね。私はいましがた『彼女ほどの適任者は他にいない』と言ったはずだが? それに、君に我が軍の指揮が務まるとは到底思えないのだがね。下手をすれば、部隊の潰走や瓦解を招く危険性すらある。それほどの重要な立場を、君のような戦うことだけが全ての阿呆には任せられないのだよ」


「そんなのはやってみねぇと判んねぇだろうが!!」


「やってからでは遅いのだよ」


 グラウスの冷淡さを孕んだ口調に、ダインは苛立ちを隠そうともせず浜辺の砂を乱暴に蹴り飛ばす。


「ケッ、やってられっかよ。だったら俺様一人で全部やらせてもらうぜ。こんな雑魚指揮官の下で指図されるなんてことはまっぴらゴメンだからなァー」


 それを聞いたシエルの表情が一瞬不機嫌なものになったが、すぐにいつもの爽やかな顔立ちに戻る。


 指示が出されていないにもかかわらず、ダインは踏み荒らすような足取りで島の中心部へと一人歩いていく。


「勝手にどこへ行く? 単独での行動を許可した覚えはないぞ。私の命令が聞けないのかね?」


「あァー聞けねぇなー。そんなに心配しなくても俺様が全部まとめて片づけといてやるから、指揮官様はそこの雑魚どもをとっとと撤退でもさせとくんだな」


「なるほど、では仕方ない——おい、あいつを捕まえろ」


 その指示に従い、後ろに控えていた二人の大男がダインの左右に素早く移動すると、彼の両腕に自分たちの腕を絡める。


「テメェら、いきなり何しやがる!! 離しやがれ、ふざけんじゃねぇぞ!!」


「そいつは艦内にブチ込んでおけ」


 男たちにずるずると引きずられて、そのままダインは魔導艦の中へと無理やり連れ込まれていく。


 すぐに彼の姿が消えると、出入り口の分厚いハッチが持ち上がって堅く閉じられる。数分間、彼の罵詈雑言が外にまで虚しく響き渡っていた。


 シエルとレオンはやれやれと救いようのない顔で嘆息する。


「ホント、呆れるほどバカな奴ね。軍も軍で、何であんなのを連れてきたのかしら」


「全くだぜ。あいつが素直に人の言うことなんて聞くわけないのによ」


「ははは……」


 フィールカは二人の間でただ笑っていることしかできなかった。


「——ぶはっ、これだから脳筋ノーキンは馬鹿で困るんだよなー」


 不意に横から、くすくすと不快な嗤い声が洩れて聞こえてくる。


 艶のない茶色の癖毛に猫のような細い吊り目、口の隙間から醜い八重歯を覗かせた小柄な青年、学年別総合成績《第五位》のクダ=ベラムだ。


 剣術科の成績はフィールカに次ぐ三位、魔導軍事学校の中では五本の指に入ったことだけあって剣術の腕はなかなかのものだが、性格に関して言えば《陰険》の一言に尽きる。自分が気に入らない相手を見つけては根も葉もない悪い噂を立て、さらにはとにかく陰口を叩くという、学校でも何一つ良い印象を受けない奴だった。


 フィールカたちが横目で不愉快そうに見ていると、こちらの視線に気づいたベラムが醜悪な顔を向けてくる。


「おいお前ら、何じろじろ見てんだよ。喧嘩でも売ってんのか?」


 あからさまに挑発するような口調で絡んできたが、三人は無視してそのまま受け流す。ここで問題を起こせば、先ほど連れて行かれた短気な青年のようなことになりかねないからだ。ベラムもその辺りのことは一応理解しているらしく、チッ、と軽く舌打ちするだけにとどめた。


 グラウスは魔導艦に連れ込まれた青年を蔑むような目つきで見送ると、改めて兵士たちに向き直った。


「また邪魔が入ってしまったが、諸君も彼のようなことにはならないよう充分に気をつけてくれたまえ。——ではスカーレット、君にこれを渡そうか」


 そう言って、彼は懐に入れていた島の地図を少女に差し出す。シエルは「ありがとうございます」と慇懃いんぎんに返礼し、それを受け取る。


 では話を戻そうか、とグラウスは続けて話す。


「先ほども説明した通り、我々の目的は街を占拠している皇国軍を排除して住民たちを無事に解放し、この島を速やかに奪還することだ。今回は諸君の記念すべき初陣だが、何も臆することはない。己の力を信じ、存分に活躍してくれたまえ。——それでは諸君の武運を祈っている」


 最後に不敵な笑みを浮かべ、グラウスはA班の部隊を率いて高台の街へと続く石段を上っていく。


「——シエルちゃん」


 ふとA班の最後列にいた小柄な少女が後ろを振り返り、赤髪の少女に優しく声をかけてくる。


「指揮官がんばってね。シエルちゃんなら出来るよ」


「ミィナも気をつけてね」


 二年間ともに寮の部屋で過ごした少女と別れて、シエルも自分の班に早速指示を出す。


「それじゃ、私たちも続くわよ。みんな、私についてきて」


 美少女指揮官を先頭に、続いてB班の部隊も街の南ゲートを目指していった。


                ∞


 バレス島の奪還作戦開始から三十分が経過した頃、シエル率いるB班の部隊は現在街の南ゲート前で待機していた。琥珀色の太陽が西の水平線にゆっくり沈み始め、広大な空は赤く染め上げられ、茫洋ぼうようたる海をどこまでも金色に輝かせている。


 今のところ、グラウスからの進軍命令の連絡はまだ入ってこない。シエルは残った時間で兵士たちに「装備の確認だけならいいわ」と許可を出し、全員入念に最後の準備をしていた。


 荒れた石畳の上で愛用のアサルトライフルを点検しながら、レオンがうらやましそうに愚痴を洩らした。


「いいよなー、二人とも特にやることがなくてよ」


 街の外周を取り囲む石垣に座りながらそれを聞いたシエルとフィールカは、金髪の青年を頭上から見下ろし、面白がるように反論する。


「あら、それは違うわよレオン。指揮官の私だって、これからの作戦行動やあらゆる事態に備えて案を模索してるところだわ」


「俺もこれから戦いに備えて精神統一中だ」


 当然のような二人の返答に、レオンは呆れたように肩をすくめる。


「精神統一はどうでもいい気がするけど……。でもすごいよな、シエルちゃんはよ。まさか初任務で指揮官に抜擢されるなんてさ。俺たちじゃ絶対なかった話だぜ……」


 青年が自虐的に言うのにも一応理由がある。


 フィールカとレオンが昔、チームの統率をとる壁外訓練のときに山中で自分たちの班を散々振り回してしまい、挙げ句の果てに遭難して他の班に救助されるという最悪の失態を演じてしまったのだ。


 ひょいと石垣から飛び降り、フィールカはレオンの脇にしゃがみ込むと、同情するように彼の肩に腕を回す。


「まあレオン、俺たちは頭で考えるってよりも、自分の直感を信じて行動するほうが似合ってるんじゃないか?」


「お前と一緒にするなよな……」


 この方向音痴の青年と一緒にされたことが嫌だったらしく、レオンはぷいっと唇を尖らせる。そんな二人をニヤニヤと見ながら、シエルが思わず笑いを洩らす。


「ふふっ、二人ともそう悲観的になることなんてないわよ。こんな重要な仕事を誰も自分からしたいなんて思わないもの。——さっきの馬鹿を除いて」


 恐らくダインのことを言っているのだろうが、謹慎中のあいつが聞いたらまた怒るだろうな……などと頭の隅で思いつつ、フィールカはふと周囲に視線を向けた。


「それにしても皆、表情が硬いな……」


 偏に武器の手入れに集中している者もいれば、あとは待つだけと顔を俯けている者もおり、兵士たちの張り詰めた空気がひしひしと伝わってくる。


 シエルも心配そうな顔で小さく頷く。


「これが初めての戦場だから、みんな不安と緊張でいっぱいなのよ。縁起でもないことを言うようだけど、戦死する確率がもっとも高いのは初陣の時だって言うし……」


 重苦しいその言葉に、フィールカは沈鬱な表情になる。


「……つい最近までだけど、俺は死に対してあまり恐怖はなかったんだ。多分、自分より強い敵と実際対峙したことがなかったからだろうな……。でも一週間前の卒業試験の日、洞窟であの炎竜と戦ってから今でもちょっと怖くなってる。正直、今日はしっかり剣を振れるかどうか自信がないんだ……」


 いつになく弱々しい青年の本音に、レオンも同様に表情をくらくする。


 今までに戦ったことがなかった未知の強さの化け物。それが突然自分たちの目の前に現れ、危うく殺されかけた末にシエルの魔法によって一命を取り留めたのだ。一度芽生えた恐怖心を、そう簡単に払拭することはできない。


 だが、シエルは石垣から軽やかに飛び降りると、そんな二人を元気づけるように青年たちの前にしゃがみ込み、笑顔で言ってみせた。


「大丈夫! もし二人が怖くて戦えなくなったとしても、私が一人で守ってみせるわ。私の強さはもう嫌ってほど知ってるでしょ? だからそうやって、いつまでもくよくよしない! わかった?」


 端整な顔を近づけられて、励ましの言葉をかけられる。


 なんてたくましい子なんだろうか。自分たち以上に恐ろしい思いをしたはずのに、彼女の笑顔からはそんなことを微塵も感じさせないような気力で満ち溢れている。


 少女の思わぬ不意打ちに、フィールカとレオンはたじたじと答えた。


「あ、ああ、そうだな……。シエルが頑張ってるのに、男の俺たちがいつまでも弱気になってるわけにはいかないな」


「シエルちゃんのおかげで、俺たちすっかり元気が出たぜ……」


 二人の言葉を聞いて、少女は満足げに立ち上がると、まるで教師のような口調で言った。


「よろしいー。その調子なら、もう心配しなくても大丈夫そうね」


 安心したように言われて、二人は気恥ずかしい気分で顔を逸らす。


 その時だった。突然、街の中央のほうからけたたましい爆発音と銃声が耳に届いてくる。断続的に繰り返される複数の騒音は、どうやら銃や魔法で敵と交戦しているようだ。中央広場のほうから空に向かって、次々と黒煙が立ち上っていく。


「始まったわね……」


 シエルが緊張感を孕んだ声で呟く。ついに戦いが始まったのだ。それと同時に周囲の緊張が一気に高まる。シエルは兵士たちに五分後、自分の元へ集まるようにと呼びかけた。


 それからすぐに彼らは万全の準備を整えると、全員彼女の元に集合した。激しい爆発音と銃声が響いてくる中、シエルは泰然とした表情で兵士たちをぐるりと見渡す。


「今も聞いての通り、皇国軍との交戦の状況が続いてるわ。向こう側からの連絡が入り次第、私たちもすぐに出撃する予定よ。厳しい戦いになると思うけど、これまでの二年間で培ってきたものを発揮できれば必ず勝てる! だから自分たちの力を信じ、みんな最後まで戦い抜いてほしい!」


 普段の少女とは思えないような凛々しい声で兵士たちを鼓舞する。


 ——やっぱり向いてるよな……。


 フィールカは感心したように胸中で呟く。学校での訓練のときも思ったが、やはりシエルには指揮官としての才能があるらしい。彼女の力強い言葉に応えるように、兵士たちも一斉にときの声を上げる。


 全体の士気が上がりつつある中、不意にシエルの脳内に想像連絡術式の通信が入ってくる。


『——聞こえるかね? 私だ、グラウスだ。スカーレット、応答せよ』


 術式の回線を通して、彼の低い声が明瞭に聞こえてくる。シエルはよく通る声ですぐに返事した。


「はい、大丈夫です。問題なく聞こえてます、上官」


『うむ。こちらの現在の状況報告だが、たったいま中央広場に繋がるルートを切り開いたところだ。それと、どうやら広場で待機していた味方部隊が敵軍本隊と交戦を開始したようだ。我々は予定通り、このまま広場に向かって味方部隊と合流し、彼らに加勢する。B班もこれから南ゲートより中央広場へと向かい、広場前の路地にて隠れて待機。我々が西側に敵軍を引きつけている間に、私の合図と同時に側面から奴らを叩いてほしいのだが——君にできるかね?』


 挑発的な口調で問いかけてくる。


 だが、少女は意に介した様子もなく冷静に答えた。


「了解です。今から私たちもそちらに向かいます。広場前に到着次第、こちらからまた連絡させてもらいます」


『フフッ、君の活躍に期待しているよ』


 最後にそう言い残し、脳内の通信が切れる。


 瞬間、シエルは左手を固く握り締めた。


 いよいよ戦場に入る時が来たのだ。七年前、自分の家族と村を奪った憎き皇国軍。ようやく奴らにこの煮え滾った復讐心の鉄針を突き刺すことができる、そう考えただけでどうしようもなく身体の底から激しく奮い立ってくる。


 だが今は、己の感情を一心に抑えなければならない。一個人の感情で、ここにいる全員を危険に晒すわけにはいかないのだから。


 シエルは気持ちを改めて、兵士たちに視線を向ける。


「たったいま上官から連絡が入ったわ。早速だけど、私たちはこれから中央広場に向かい、交戦中の味方部隊に加勢する。街中は当然危険な状態だけど、いきなり敵が現れてもみんな柔軟に対応してほしい」


 最後に、少女は勇ましく言い放つ。


「皇国軍や魔物に支配されたこの無慈悲な世界を、私たちが戦わずして一体誰が守ってくれるの? 今も奴らのせいで苦しんでる人たちが大勢いる。私たちは今日、そんな人たちが一人でも多く救われるようにここへやって来た。——今こそ、私たちの力を示すときよ!」


 再び兵士たちは鬨の声を上げる。シエルを先頭に、B班の部隊は中央広場を目指し、ついにニルヴァスの街へと最初の一歩を踏み入れたのだった。



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