第十六話 初デート
早速二人がやってきたのは、校舎の二階にある一年生の魔導科クラスでリンゴ飴を販売している模擬店だ。
フィールカの傍らで、シエルは教室から漂ってくる甘い匂い嗅ぎながら嬉しそうに言う。
「これ、ずっと前から食べたかったのよね。さあ、早く中に入りましょ」
「あ、ああ……」
緊張に顔を強張らせながら、フィールカはぎこちなく返事をする。
学校一の問題生が、学校一の超美少女アイドルと一緒に前夜祭に二人で行動……。そう、傍目から見れば、これでは完全に——。
——デートそのものじゃないか……。
内心でひっそりと呟きながら、フィールカは顔を赤くして恥ずかしい心情になる。
現にさっきも廊下を歩いていると、男子生徒たちの前を通り過ぎるたびに彼らは、嫉妬と怨恨を孕んだ視線でこちらを見てきたのだ。もうすぐ学校を卒業するんだから最後くらいは良いよな、と無理やり自分を納得させることにして、青年は堂々と人前で振る舞うことにする。
二人が模擬店に入ると当然だろうが、中にいた生徒たちが一斉にこちらに視線を向けてくる。
——うっ……やっぱり気まずい……。
シエルは全く気にしていない様子だが、周囲から浴びせられる注目の視線にフィールカは、全身の肌を細い針で刺されるような感覚に襲われる。
「おいおい、マジかよ………」、「あいつ、スカーレットさんと一緒にデートか………?」などと生徒たちからは絶望にも似た呟きが口々に耳に入ってくるではないか。
青年が一刻も早くこの痛々しい空間から抜け出したいと考えていると——。
「——ああっ!! スカーレット先輩、来てくれたんですね!!」
不意に一人の小柄な生徒が、シエルに向かって話しかけてくる。
「卒業試験、無事合格したんですよね!? おめでとうございます!」
「ありがとう、リリィちゃん。すまないけど、リンゴ飴二つもらえるかしら?」
魔導科の後輩に祝ってもらい、シエルは笑顔で応えて感謝する。
「赤リンゴと青リンゴの二種類あるんですけど、どちらにしますか?」
「じゃあ、私は赤リンゴにしようかな。フィールカはどうする?」
急に訊かれて、青年は困ったように頭を掻く。
「えーっと……じゃあ俺は青リンゴを貰おうかな」
「わかりました! ちょっと待っててくださいね!」
そう言って、少女は注文を受けた品を急いで取りに行く。
フィールカは待っているこの時間もまた永遠のように長く感じていると、程なくして少女がそれぞれ違う種類のリンゴ飴を二つ運んでくる。シエルはそれらを受け取りながら「ありがとう、店番がんばってね」と後輩に言い、二人は周囲の視線から逃れるようにひとまず模擬店を後にする。
一目に付かない校内の端にある階段に移動すると、周囲に生徒たちがいないことを確認してから、階段に座り込んで早速リンゴ飴をいただくことにする。
「はい、フィールカの分」
「あ、ありがとう」
相変わらず硬い表情の青年に、シエルはぷくーっと頬を膨らまして不満をぶつける。
「もう。なんでさっきからそんな顔なのよ? もしかして食べたくなかった?」
「い、いや、そんなことないんだ」
慌てて首を振って否定する。
——シエルとデートしてるから、実は緊張してるだなんて言えるわけないしな……。
フィールカは内心で酷く動揺しながら、咄嗟に話題を変えることにする。
「そ、それよりこのリンゴ飴って旨いな……。初めて食べたけど」
「ホント美味しいね。やっぱり買ってよかった」
すると、シエルは何やら物欲しそうな顔でこちらをじっと見てくる。
「な、なんだ?」
「フィールカの食べてる青リンゴも美味しそうだなって……」
「あ、ああ……じゃあ、食べるか?」
「え、いいの?」
ああ、と言ってフィールカはリンゴ飴を渡そうとすると、しかし少女は耳を疑うような言葉を口にした。
「それじゃ、私の分も食べさせてあげるわ」
「えっ?」
そう言ってシエルは、勝手に自分のリンゴ飴と交換する。
特に気にかけた様子もなく、少女はフィールカの食べかけのリンゴ飴を嬉しそうに舐める。
「う〜ん〜、この青リンゴも甘酸っぱくて美味しいわね。ほら、フィールカも食べてみて」
「い、いいのか……?」
さすがにフィールカは戸惑いながら、少女から受け取ったリンゴ飴を見つめる。
——これって、シエルが口つけたんだよな……。
脳裏で
「どうしたの?」
「い、いや、なんでもない。それじゃ、いただきます……」
フィールカはごくりと息を呑んで緊張しながら、リンゴ飴を口にする。
「美味しい?」
「ああ、旨いよ」
「ふふっ、よかった。ねえフィールカ、次あれに入ってみない?」
そう言ってシエルが指を差したのは、階段の壁に張られた如何にも怖そうな雰囲気を漂わせたおばけ屋敷のチラシだ。その模擬店の教室が近いせいか、先ほどから下の階で悲鳴のような絶叫が次々と耳に届いてくる。
それに怖気づいたように、フィールカはぶんぶん首を横に振る。
「いや、俺はああいうの苦手だから今回は遠慮しておくよ……」
「もー! 男子なんだから、つべこべ言わずに行きましょ!」
「ええっ!? ちょ、ちょっと待てよ!」
青年の気持ちに構わず、シエルは強引に彼の手を引いて階段を下りていく。
きゃーきゃー、と絶えずに聞こえてくる叫び声を辿っていくと、二人は二階の端にあるおばけ屋敷の模擬店に着く。
すでに外装から溢れ出ている恐ろしい雰囲気を感じて、フィールカは思わず浮き足立つ。
「な、なあ、やっぱりやめとかないか……? 見るからにやばそうなんだが……」
「だ、大丈夫よ! 実際、幽霊なんて存在しないわ!」
シエルはこういう類いのことに関しては得意なのかと思っていたのだが、青年は若干少女の声が上擦っていることに気づいた。
二人は受付に座っている生徒から説明を受けると、「お二人様、入りまーす」と暗い教室の中に案内される。室内全体は黒幕が張り巡らされており、外からの明かりは一切遮られていた。
足が
細い通路を進んでいくうちに、二人の目の前に如何にも怪しい曲がり角が見えてくる。おそらくあの角の向こう側で、仕掛け人が潜んで待ち伏せしているに違いない。身構えながら、ゆっくり近づいていく。
しかし、二人が曲がり角に差し掛かると——。
「……あれ? てっきりここだと思ったんだけどな」
どうやら予想が外れてくれたことに、とりあえずフィールカはホッと胸を撫で下ろす。
そんな彼に対して、シエルは腕を組みながら無駄に声を張り上げて言った。
「わ、私は別にいつ現れてもいいように心構えはできてるんだから! さ、こんなところさっさと抜けましょ!」
「お、おう……」
そんなに無理して虚勢を張らなくてもいいのに。シエルはこういうところでいつも意地っ張りなんだなと改めて思う。
なので、フィールカはちょっとだけ彼女に意地悪してみることにした。
「それにしても薄暗いわね……。早くここから抜け出して——きゃっ!?」
急にびっくりしたように可愛らしい声を上げる。
何に驚いたのかと言うと、フィールカが空いている左手でこっそり彼女の肩を掴んだのだ。如何にも子どもが考えそうな呆れた悪戯である。
普段の彼女からは滅多に見ることができない反応に、青年は思わず笑って吹き出してしまう。
「ははは、シエルも意外とそういう声を出すんだな……って、あ、あれ?」
面白がるフィールカに対してそんな彼女はと言うと、暗がりでも判るほどの凄まじい怒気をこちらに伝わらせてくる。
すると次の瞬間、青年の頭に勢いよく拳骨が降ってきた。
「も、もう知らない! フィールカのバカ!!」
「いててて……わ、悪かったよ……。今のはちょっとやり過ぎた……」
必死に頭を下げてぺこぺこ謝る。しかしシエルは腕を組みながら、ふんっ、と鼻を鳴らす。
「もう許さないし、謝ってもだめ! どうしてもって言うなら、ちょっとは考え直してあげても——」
そこまで言ったところで言葉が途切れる。
なぜかと言うと、再び背後から肩を掴まれた感覚がしたからだ。
さすがにしつこいので、シエルは堪え兼ねたように憤慨して怒鳴った。
「ちょっと、まだふざけるつもり!? いい加減にしなさいよ! そんなに驚かしたいわけ!?」
「えっ……? 俺は何もしてないぞ……?」
きょとんとするフィールカに対し、シエルもまた同じ顔になる。
そんなことを言われても、確かに背後から誰かに触られたのだ。では一体誰が……そう思って彼女が後ろを振り返った瞬間——
「——でろでろばー」
「えっ?」
突然のことに、シエルは石像のようにかちんと固まってしまう。
振り返った彼女が思わず目にしたのは、大きな
それは、彼女にとってあまりにも衝撃的すぎて——
「ぎゃああああああああ!!」
直後、耳をつんざくようなけたたましい悲鳴が教室全体に響き渡る。
暴れ狂う少女を必死に押さえながら、フィールカは慌てて声をかける。
「お、落ち着けシエルっ! そいつは偽物だ!」
どうにか
フィールカは気遣って、今にも泣きそうな少女に言葉をかける。
「シエル、大丈夫か……?」
あまりに怖かったのか、いつの間にか少女は青年の首にしっかりと抱きついていた。
「うう……なんで私のほうが怖がってるのよ……」
「ははは、案外怖くないもんだな」
「ど、どこがよ!」
可愛らしい彼女の反応に、フィールカはいつまでも楽しそうに笑っていた。
∞
二人はおばけ屋敷を嫌というほど満喫した後、他の模擬店も歩いてまわり、すっかり疲れたので学校の屋上で休憩していた。全天燃えるような赤色に染め上げられており、東の空から徐々に霞色に変わりつつある。
シエルは嬉しそうな表情で、鉄柵越しに夕陽を眺めながら言った。
「こんなに珍しくはしゃいだの、いつ以来だったかな」
少女と同じように隣で夕陽を見ていたフィールカは、不思議そうに首を傾げる。
「そんなに久しぶりだったのか?」
そう訊かれて、シエルは
「この学校に来るまでは故郷を離れて他の村で生活してたんだけど、毎日全然楽しくなくてね……。でもここに来てからは友達もたくさんできたし、フィールカやレオンとも出逢えてホントよかった」
屈託のない笑顔で言われて、フィールカは思わず胸が痛くなる。
平凡な自分と違い、これまでの人生で普通の人間としてほとんど誰からも認めてもらえなかった天才のシエルにとって、それは何よりも辛い現実だったに違いない。今こうして彼女が笑顔でいられているのは、本当に奇跡なのかもしれない。
「……俺も、シエルに出逢えて本当によかったよ」
何気なく口にしたフィールカの言葉に、少女は夕陽で判らなくなるほど顔を赤らめる。
気恥ずかしい感情をどうにかしようと、シエルは照れ隠しをするように話題を変えた。
「ね、ねえ……どうしてフィールカは反乱軍に入隊しようと思ったの?」
「気になるか?」
青年の真摯な眼差しに惹かれるように、少女はこくりと頷く。
そこでフィールカは一度大きく深呼吸すると、再び言葉を続けた。
「俺がまだ小さかった頃、ずっと家に帰ってこなかった父親が遠方の土地で実は傭兵家業をやっててさ、ある日その話を母親から初めて聞かされたときは正直気が動転しそうになったよ。まさか今までの間、生きてくために人を殺して、その稼いだ金で自分が飯を食ってたなんてさ。けど、その考え方は間違ってた……」
黄昏時の空を見つめながら、青年はどこか昔を思い出すような口調で言う。
「あの頃の俺はさ、まだ知らなかったんだ。——こんなにも世界が残酷だなんて」
過去の記憶を瞳に映し出しているかのように、自虐的な笑みを口許に浮かべる。
「少し話が長くなるけど、いいか?」
そう言ってシエルのほうに向き直ると、少女は静かに同意の頷きを返す。
フィールカは再び夕陽を見据えて、ゆっくりと話し始める。
「もう十二年も前になるな……。俺がまだ五歳だった頃の話だ」
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