第二十二話 卒業

 男子寮の一室の四角に区切られた窓から、一筋の光が射し込んでいる。

 清々しい朝の訪れとともに、ベッドに横たわっていた青年は目を覚ました。

 布団をけておもむろに身体を起こすと、ぐーんと両手を上げて伸びをする。昨日の疲れが少し残っていたものの、特に気だるさなどはない。

 床に足をつけて立ち上がると、カーテンを開けて新鮮な光を部屋に取り込む。トイレを済ませ、シャワーを浴び、歯を磨く。毎朝の一連の動作を終えて、青年はパンツ一枚のままバスタオルで頭を拭きながら寝室に戻ると、未だにぐっすり寝ている相棒のベッドの脇に立つ。


「……おーい、レオン。もう朝だぞ。今日ばかりはさすがに遅刻するわけにもいかないだろう?」


 横になって気持ちよさそうにぐっすり寝ている金髪の青年に、フィールカは呆れ果てたように声をかける。


「あと五分……」


 嫌がるように布団にこもって、レオンは無気力な返事をする。


 はあ、とフィールカは嘆息し、全く起きる様子のない相棒のふかふかな布団を無理やり剥ぎ取る。自分の住処を呆気なく奪い取られた青年は、すっかりいじけた顔でこちらを睨む。


「……もうちょっと寝たかったのによ」


「寝たいのはわかるけど、もう朝飯の時間だ。さっさと着替えて食堂に行こう」


 そう言われて、レオンも欠伸あくびをしながら嫌々起き上がると、すぐに支度を始める。


 昨日あれからフィールカたち四人は展望台で花火の観覧を堪能した後、無事に街に戻って前夜祭を思う存分楽しんだ。普段から青年たちの行き着けの料理店をミスリアに紹介して食事をしたり、街中に並んだ露店をかたっぱしから歩き回ったりなど、決して忘れられない一日となった。翌日はいよいよ卒業式だったが、それでも四人は悔いなくいつもより遅い学校の消灯時間ぎりぎりまで目いっぱい遊んだのだった。


 フィールカは一足先に寝巻から制服に着替えると、シングルベッドが二つと窓一枚だけの殺風景な部屋を見渡す。


 ——今日でこの部屋ともお別れか……。


 自分が初めてレオンと出逢った場所でもあり、入学してから二年間共に過ごしてきた場所でもある。


 この部屋を見ていると色々な思い出が蘇ってきそうで、しかしフィールカはすぐに首を横に振る。今はもう思い出に浸っている暇はない。そう自分に言い聞かせて、思い入れのある部屋に心の中で別れを告げる。


 ——じゃあな……。


 ずっと部屋の中を見つめていた青年に、支度を終えた制服姿のレオンが横から不思議そうな顔で言った。


「どうしたんだ?」


「……いや、なんでもない。行こう」


 二人は足早に部屋を出て、寮の一階にある食堂へと向かう。


 階段を降りて食堂に着くと、ちょうど朝食を終えたであろう生徒たちが続々と出てくるところだった。これから卒業式に参列する生徒たちだろう。本来なら今日の学校は休日なので、基本的に校内にいるのは卒業生である二年生と一年生の実行委員だけだ。


 フィールカたちは普段通りカウンターでトレイを取り、配膳口にいる給仕のおばちゃんから朝食を受け取る。


「いつも問題ばかり起こして世話の焼けたあんたたちも、まさか今日で卒業だなんてねぇ……。いつもより多めにご飯入れといたから、しっかり食べていくんだよ」


「ありがと、おばちゃん。今まで本当に世話になったよ」


「戦場に行っても俺たち元気に頑張ってくるぜ」


 フィールカとレオンは活力に満ちた声で礼を言い、トレイを持ってテーブルに向かう。


 二人は椅子に腰を下ろすと、「いただきまーす」と合掌して早速朝食を食べ始める。いつもより食べる量は多いはずだったのだが、二人はあっという間に焼き魚のセットを平らげてしまった。


 食堂に掛けられた時計は八時四十分。式の開始は九時からなので、今から式場に向かえばちょうど良い時間だ。


「よし、それじゃ行くか」


 返却口にトレイを戻し、フィールカとレオンは中庭へと向かった。


 寮から外に出ると天気は良く、特に肌寒くもないので今日は一段と過ごしやすい一日となりそうだ。


 学校の中心にある中庭の式場に着くと、そこにはすでにたくさんの人たちが集まっていた。本日の主役である卒業生はもちろんのこと、その家族や後輩である一、二年生の生徒、二年間世話になった先生などだ。


 フィールカはふと気になったように隣の相棒に訊いた。


「そういえば、今日はレオンの親御さんは来ないのか?」


「ああ、うちはド田舎だしな。わざわざこんな都会まで手間かけて来ないだろうし、それに俺は家を出る時はっきりこう言ったんだ。皇国軍を倒すまでは絶対会わねえ、って。だから今更また会おうなんて野暮なことはしないと思うぜ」


 それを聞いたフィールカは思わず首を傾げる。


「けど、親御さんもよく兵士になることを許してくれたよな。いつ死ぬかもわからない不安定な職業なのに」


「もちろん、最初は猛烈に反対されたんだぜ? 特に母親にはな。でも、最終的には親父も母親もちゃんと認めてくれた。——お前がやりたいようにやってこい、ってな」


 誇らしげに話す相棒を横目で見ながら、フィールカも十年前のことを思い出す。


 自分が反乱軍の兵士になると決意した時も、最初は母親にとても反対されたものだ。それでも、村を旅立つ日にはすでに彼女も許してくれていた。きっと自分に何を言っても無駄だということは、最初から解っていたのだろう。


 レオンも自分と似たようなことがあったんだな、と青年が一人懐かしく思い返していた時だった。


「あいつは……!」


 不意にレオンの怒気の混じった口調に、フィールカは眼をぱちぱちと瞬かせて不思議そうな顔をする。


 彼の視線の先には、傲然とした足取りでこちらに向かってくる一人の青年の姿があった。


「——あァ? 誰かと思えば、先日俺に手も足も出なかった負け犬と、その犬にいつも付き纏ってるトサカ野郎じゃねぇか」


 いきなり二人を罵倒してきたのは、金色のオールバックの髪をした青年だ。

 

 常に身に着けていないと落ち着かないのか、腰には物騒にも片手持ち用の剣を吊るしている。本来、訓練時間外での武器の携帯は校則で禁止されているため普通ならこの格好は論外なのだが、それでも彼には学校側から容認される理由があった。


 現在、魔導軍事学校の学年別成績ランキング第一位がこの男——ダイン=ランザックなのだ。

 

 反乱軍の将来を嘱望しょくぼうされている剣術の鬼才であり、いくら学校中の生徒たちから気まぐれ者と言われている彼でも、すぐに戦場の最前線の戦力に加えたい有力候補である。


 そして一週間前、授業の時に行われた訓練試合でフィールカが敗れた因縁の相手でもあった。


 レオンは怒りをあらわにダインにずかずか詰め寄ると、彼の胸ぐらに乱暴に掴み掛かる。


「俺のことをどうこう言うのは勝手だけどな、ダチのことを馬鹿にするのだけは絶対に許さねぇ!!」


「おうおうおう、今日はやけに威勢がいいじゃねぇか!! そうこなくちゃなァ!! どこでやるよ? 今すぐここでやるか!?」


 一触即発の二人の状況に、フィールカは慌てて止めに入る。


「おいレオン、落ち着けって。俺のことなら別にいいんだ。だからもうやめろって」


「いや、今日という今日は許さねぇ!! フィールカ、手を離してくれ!!」


「そういうことなんだよ。負け犬がぬけぬけと割り込んできてんじゃねぇ!! 引っ込んでろ!!」


 全く聞き分けのない二人にフィールカは、このまま殴り合いは避けられないかと思われたそのときだった。


「——ちょっと、あんたたち!! 何やってんのよ!!」


 いち早くこちらの騒ぎに気づいたシエルが、式場のほうから慌てて割り込んでくる。それに続いて、彼らの慌ただしい様子に何事かと周囲の生徒たちがざわつき始める。


「なんだァ? 負け犬とトサカ野郎の次はマジメ優等生かよ。テメェも邪魔だ、引っ込んでろ!!」


「これだけ人前で騒いでおいて、見過ごせるわけないでしょ! ——二人もなんでこんな奴に構ってるのよ! さっさと離れなさい!」


「ご、ごめん……」


「悪りぃ……つい熱くなっちまって……」


 シエルに咎められ、自分たちがしていたことにようやく気づいて、フィールカとレオンは思わず反省する。


 しかし、どうやらダインはやめるつもりは毛頭なく、怒りが収まらないといった様子でしつこく絡んでくる。


「なに勝手に終わらせようとしてんだ? いきなり喧嘩吹っかけてきたのはテメェらのほうじゃねぇか。まさかこのままタダで済むと思ってんじゃねぇだろうな? オラッ、さっさと殴り合おうぜ!!」


「そんなこと、私が許すわけないでしょ!」


 シエルが堪らず声を張り上げた時だった。


「——そこまでにしておきなさい」


 不意に生徒たちの人垣を割って現れたのは、黒い礼装に身を包んだ女——ルナ=ミスリアだった。


 彼女は呆れたように嘆息すると、いつものように刺々しい口調で言った。


「今日という日くらい、三人とも大人しくしていたらどうなのかしら? 他の生徒たちからすれば、見ていてとても不愉快極まりないと思うんだけど。それとも、これ以上こんな傍迷惑な揉め事を続けるつもりなら、それ相応の処置をとらせてもらうわよ?」


 ミスリアの忠告に、周囲の生徒たちが全員一斉に静まり返る。


 つまり彼女が言っている《処置》とは、最低でも一週間の停学または最悪退学処分を下すということだ。そうなれば、当然ダインだけ任務地に配属される時期も遅れることになる。ここにいる誰よりも矜持が強く、誰よりも戦闘行為を渇望している彼にとってその謹慎処分は、到底堪えがたい苦痛と屈辱に苛まれる時間となるだろう。


 これにはダインも鬱陶しげに吐き捨てた。


「……チッ、めんどくせぇ。今回はこのくらいにしといてやるよ。何せこれからが楽しみなんだからなァー」


 勝手にそう言い残し、金髪の青年は脇目も振らずに歩き去っていく。


「ちょっとダイン、どこに行くの! 式はもう始まるのよ!」


「便所だよ、便所。いちいちうっせーな」


 特に反省した様子もなく悪態をつき、そのまま校舎のほうへと消えていった。


 収拾がついたと見て、周りの生徒たちも学科ごとに定められた自分たちの式場の配置へぞろぞろと戻っていく。


 ミスリアにさっと向き直り、シエルは改めて感謝の言葉を述べた。


「すみません先生、おかげで助かりました」


「いいのよ、シエルちゃん。悪いのは全部あの三人なんだから。あなたは何も気にしなくていいわ」


 柔和にそう言って、ミスリアはすっかり肩を落としている男二人組に疲れ気味に言葉をかける。


「はあ……なんでいつもあなたたちが揃うとこういうことにしかならないのかしら。もう少し反省してちょうだい」


 すみません……と二人は沈鬱な表情でうなだれる。


 さっきのは明らかにダインの挑発に乗ってしまったレオンが悪いが、フィールカは決して彼を責めようとはしなかった。レオンもダインに対する日頃の鬱憤がずいぶん溜まっていたのだろう。


「さあ三人とも、そろそろ式が始まるから早く自分の配置につきなさい」


 ミスリアに優しく指示され、フィールカたちも予め指定された自分たちのクラス配置に就く。程なくして、九時を知らせるチャイムの音声が式場に届いてくると、一年生たちによる楽器演奏とともに卒業式が開始される。


 すると、式場に設えられた赤い壇上に一人の男が現れる。


 年齢は三十代ほどで紺色の軍服に身を包んでおり、初めて見るが恐らく今日のためにわざわざ地方から派遣された上官だろう。


 男は演台が置かれた壇上の中央に立つと、いきなり声を張り上げて言い放った。


「全員、敬礼ッ!! 軍歌斉唱ッ!!」


 尊大に命令すると、生徒たちは全員従って左手で拳を作り、腕を水平にして胸に当てる。これは、反乱軍の兵士としての使命を最期まで全うするという意志を象徴した礼式だ。


 生徒たちが雄々しく歌い終えると、楽にしたまえ、と男は彼らに敬礼を解かせる。


「私が、今年の卒業式の進行役であるグラウスだ。まずはこの場にいる八十名の諸君、卒業おめでとう、と言っておこうか」


 グラウスは大仰に両手を広げ、厳かに式辞を述べる。


「諸君は今年選ばれた優秀な生徒の一人だ。自分のことを誇り高く思ってくれたまえ。誰もがみな、この場に立てるわけではないのだからな」


 では早速だが、と紺軍服の上官は重々しい口調で話を続ける。


「諸君がこれまでの二年間に残した、《各学科別成績》と《学年別総合成績》をこの場で発表する。選ばれた上位三十二名は呼名されたら返事を、さらにその中の上位十名は壇上へ上がってもらう」


 グラウスは淡々と説明すると、下位から順に生徒たちの成績を発表していく。


 魔導軍事学校の学科は、《剣術科》《射撃科》《魔導科》の全部で三つだ。各学科別成績はそれぞれの学科ごとの成績順位を、学年別総合成績は全学科をあわせた各学年の成績順位を決定する。また成績評価基準はおもに身体能力、魔力センス解放レベル、訓練実績などの項目だ。


 次々と円滑に呼名されていくが、残り上位十名となってもフィールカたちの名前はまだ呼ばれない。


「——では、今から発表する上位十名は壇上へ上がりたまえ」 


 ついに十位から五位までの精鋭たちが呼ばれ、右端から順に壇上へと並んでいく。さすがにここまで来ると、各学科を代表する名立たる生徒ばかりだ。すでに呼名された者や、未だに呼ばれない者も皆、固唾を呑んで発表を見守っている。


 そして、待ちに待った彼の名前がようやく呼ばれる。


「学科別成績射撃科《首席》、学年別総合成績《第四位》——レオン=シークガル、前へ」


 その発表に式場全体が一斉にどよめく。


 ついに三学科のうちのトップの一つが決まったのだ。一年生のときからずっとレオンは射撃科クラスの首位の座を独占してきたが、その結果がついに覆ることはなかった。


 呼名されたレオンは大きく返事をし、壇上へと歩み出る。


「射撃科首席での卒業おめでとう。実に素晴らしい成績だ。これからも鍛練を怠ることなく、その腕をさらに磨き、日々精進したまえ」


 グラウスの称賛の言葉に、レオンは「ありがとうございます!」と返答し、青年も壇上に並んでいる生徒たちに加わる。


 残る発表もついに上位三名のみとなった。そこに入ってくるのが誰かは言わずとも、この式場にいる生徒全員が理解していることだ。


 グラウスは一度大きく深呼吸すると、再び厳めしい顔つきで発表を続けた。


「では続いて、学科別成績剣術科《次席》、学年別総合成績《第三位》——フィールカ=ラグナリア、前へ」


 その名前が聞こえた瞬間、フィールカは拳をきつく握り締め、解ってはいたがやはり悔しい気持ちになる。が、この結果はむしろ当然のことだと思えた。


 一週間前の卒業試験、本来なら不合格だったところをどうにか免除になったわけで、何よりこれまでやってきた訓練試合では、唯一《彼》にだけは一度も勝ったことがないのだ。


 そして、自分が呼ばれたということは、今年の剣術科の《第一位》は——


「——やっぱ、ナンバーワンは俺様かァー」


 不意に式場の外から燕尾色の絨毯の中央の通路を通り、ダインが傲然と歩み出てくる。今頃になって平然と戻ってきたのだ。彼の思わぬ登場に、式場全体がざわつき始める。


 しかし、グラウスはそんな彼に対しても全く表情を変えることなく、毅然とした態度で冷ややかに言った。


「君の順番はまだなのだがね。もう少し大人しくしててもらえるかな、ダイン=ランザック?」


「あーあー、わかったわかった。どうでもいいから、とっととそいつをどけてくれ。どうせ俺様が、ここにいる誰よりも最強なんだからなァー」


 彼の尊大な態度に、グラウスは特に意に介する様子もなく、式場全体に大きく声を響かせる。


「すまないね、諸君。思わぬ邪魔が入ってしまったが、引き続き式の再開といこうか。——ではフィールカ=ラグナリア、改めて前へ」


 自分を邪魔者扱いされたダインはあからさまに顔をしかめたが、さすがに今この場で問題を起こそうとはしない。


 颯爽と壇上に出てきたフィールカに、グラウスは淡々と言葉を述べた。


「惜しくも学科別成績は次席だが、それでも君は学年上位三人のうちの選ばれた一人だ。己の実力に自信と誇りを持ってくれたまえ。君のこれからの活躍に期待しているよ」


 愛想の欠片もない声でそう言われて、青年は深く頭を下げる。


 ——なんか嫌な感じの人だな……。


 フィールカは内心でそんな印象を覚えた。別に彼の言葉に不満があったわけではないのだが、どこか不気味さを感じさせる人だと思った。


 青年は感謝の言葉を述べると、彼も壇上にいるレオンたちの隣に並ぶ。横から金髪の青年に脇腹を肘で小突かれながら、「惜しかったな」と耳許で囁かれて、フィールカは小さく嘆息する。


 正直、自分としては剣術科のトップの座を取れなかったことはとても残念だが、それでもこの二年間で学年の上位三位まで上がることができたのは充分満足できるものだった。


 残すはあと二人。いよいよ、次の発表で今年のランキングトップが決まる。式場全体が緊張と沈黙に包まれる中、生徒たちは、壇上にいる壮年の男の発表をただただ見守っている。


 グラウスは彼らの期待の視線を一身に受けながら、厳然と告げた。


「さて、いよいよお待ちかねの君の番だ。壇上へ上がりたまえ——ダイン=ランザック」


 思わぬ発表に、式場全体が再び驚愕のざわめきに包まれる。


 これまで学年別総合順位で下位から順に結果が発表されてきたが、ここでダインを呼んだということは、彼の総合順位は《第二位》ということになる。


 しかし当然だろうが、ダインは理解しかねるといった様子で物言いをつける。


「あァ? まだ俺様の出番じゃねぇだろ。さっさと取り消せ」


「いや、間違いなく君の番だ。学科別成績剣術科《首席》、学年別総合成績——《次席》、これが二年間の君の最終結果だよ」


 グラウスの告げた発表に、式場全体が今日一番のどよめきに包まれる。


 ダインはこれまで学年トップの座をほしいままに独占してきたが、ここに来てついに順位を落としたのだ。一体誰が原因なのか、もはや言うまでもない。


 さすがに金髪の青年は納得いかない態度で壇上にずかずか伸し上がると、鋭く反駁はんばくした。


「ふざけんじゃねぇ!! なんで今日になって、俺様があの女より下なんだ!!」


 そう言って口汚く罵倒し、生徒の中の一人の赤い長髪をツインテールに結んだ少女——シエル=スカーレットを鋭く指差す。


 しかしそれに対して少女は一切表情を変えず、ただ冷ややかな眼差しで壇上を見据えている。


 激高するダインに対し、グラウスははっきりと冷淡に答えた。


「それは単に、君より彼女のほうが実力が優れていた——ただそれだけのことだよ」


「……俺様よりあの女のほうが上だと?」


 強面こわおもての眉間に皺が深く刻まれると、ダインは天を仰いで額を手で押さえながら、クックック……と不気味に笑い始める。


「上等じゃねぇか!! そういうことなら今すぐここであの女をブッ倒して、俺様が最強だってことをテメェらにはっきりと教えてやるよ!!」


 すると、腰に佩いた鞘から勢いよく剣を走らせると、シエルのほうに向かって突き付ける。


 あまりに行き過ぎた問題行動に、これには壇上にいるフィールカやレオン、その他の生徒たちも反射的に身構える。


「——場をわきまえろ、ダイン=ランザック」


 これまでの雰囲気とは打って変わり、グラウスの怒気の混じった声が式場の緊迫した空気を一瞬で切り裂いた。


「そこまで己の実力を証明したければ、これから君たちが向かう戦場で全てを示せばいいだけのことだ。いくらここでの実績が優秀だろうと、戦場で力を発揮でなければそれはただの弱者そのものだ。それとも君は、この神聖な場で無駄な争いをすることでしか競うことができない愚か者なら話は別だが……」


 矜持を煽るようなその言葉に、ダインは大げさに肩をすくめると、面白くもなさそうに剣を鞘に収める。


「あーあー、わかったわかった。いちいちめんどくせぇ。上官様がそこまで仰るのなら、戦場で俺様の力を見せつけるしかねぇよなァー! 所詮ここでのクソみたいな評価なんてのは、ただの数字でしかねぇんだからなァー、ハッハッハーッ!!」


 聞こえよがしに言って、金髪の青年は笑いながら壇上を下りていくと、まだ式が終わっていないのにもかかわらず会場から去っていった。


 それを止めようともせず、グラウスは何事もなかったように話を再開した。


「何度もすまないね、諸君。大事な式典に水を差すような形になってしまったが、いよいよ次の発表で最後だ。不祥事の後に出てくるのは決して気分がいいものではないだろうが、それでも本日の主役がいなければ締まるものも締まらないわけだ」


 今もなお凛々しい顔つきで佇む少女に鋭い視線を向け、威厳のある声で呼名する。


「では、最後の一人に出てきてもらおうか——シエル=スカーレット、前へ」


 少女は堂々とした足取りで絨毯を歩き、壇上へとその姿を現す。


 グラウスは手許の成績表を一瞥し、これ以上にない満足げな顔で絶賛した。


「学科別成績魔導科《首席》、学年別総合成績《首席》、どれを取っても素晴らしい成績だ。君以上にトップに相応しい生徒は、過去に例を見ないほどにな。先ほども言ったように、その実力を戦場でも遺憾なく発揮してくれたまえ。——君には特に期待しているよ、スカーレット」


「は、はい……。ありがとうございます……」


 彼の言葉に返事が詰まりながらも律義に礼をして後ろに下がると、ダインの空けた立ち位置だけを残し、少女も他の八人の精鋭たちに加わって整然と並ぶ。


 グラウスは視界に広がる生徒たちを見渡してから、豪然と両手を広げた。


「さて、今年も優秀な新兵たちが揃ったわけだが、君たちはまだとても若い。親から貰った大切なその命を、くれぐれも粗末にするような真似だけはしないでほしい。どんな困難な状況だろうと、決して諦めずに最後まで戦い抜いてくれたまえ。以上で卒業式は終了するが、しかし——今のはあくまで余興であり、これからが本題だ」


 不気味に唇の端を歪ませると、どこかたのしそうな口調で言った。


「諸君には今から三時間後、皇国軍に占拠された《ある島》に早速向かってもらう」

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