第十三話 前夜祭

 あの悲惨な事件から三日が過ぎ、卒業試験は全て終了した。


 今回試験会場となっていたリースベルの北西にある山岳は洞窟内が凍結して使用できなくなったため、あれから別の場所で行われることになった。何より受験生たちがあの凍り付いた炎竜の姿を見れば、騒ぎを起こしてたちまち試験どころではなくなるだろう。


 厳正なる審査の結果、今年の試験合格者は百十六名中、八十名。残念ながら不合格となった三十六名の生徒たちは留年となり、また一年かけて再度試験を受け直すこととなる。


 あれからフィールカとレオンが保健室のベッドで目を覚ましたのは、試験最中の二日目のことだった。


 あの後、シエルがたった一人で炎竜をたおしていたこと、彼女のおかげで自分たちが一命を取り留めたことをガルドフ先生から聞かされて、二人は当然驚きを隠せなかった。あれほど強大だった上位魔級の炎竜を、一体どうやって一人で仕留めたというのだろうか。


 とても信じられない話だったが、想定外の事態とシエルの功績もあったということで、自分たちB班は特別免除で卒業試験の合格が決定したのだという。その知らせを聞いた時は、フィールカとレオンは嬉しさのあまり子どものようについはしゃいでしまった。


 二人はすぐにでもシエルに会いに行こうと思ったが、ミスリア先生から「しばらく安静にしなさい」と厳しく釘を刺されたので、試験終了日まで仕方なく保健室で過ごしたのだった。


 あの試験日以来、シエルとは一度も会っていない。


 フィールカとレオンはどうしても少女に礼が言いたかったので、試験終了日の翌朝から女子寮にある彼女の部屋を訪れていた。


「——シエルー、いるかー?」


 フィールカが軽く扉を叩くが、中から返事はない。


「うーん……出かけてるのか? ——シエルちゃーん、いるなら返事してくれー」


 一応レオンも呼んでみるが、やはり部屋には誰もいないようだ。今日は学校も休日だというのに、こんな朝っぱらからどこかに出かけているのだろうか。


 二人が困り果てて扉の前で立ち尽くしていると、不意に廊下の奥から女子生徒が歩いてきた。


「あっ、もしかしてシエルちゃんに会いに来たの?」


 突然話しかけてきたのは、普段からシエルと仲の良い友人だ。


 フィールカがそれに応対して頷き返す。


「ああ。そうなんだけど、どこにいるか知らないか? 部屋にいないみたいなんだ」


 そう訊ねると、女子生徒は首を捻って少し考える。


「うーん、それなら多分今頃中庭で今日の前夜祭やら明日の卒業式の準備に追われてるんじゃないかなー? シエルちゃん、実行委員だからねー」


 なるほど、とフィールカは相づちを打って納得する。


 明日はもう卒業式なのだ。今日はその前夜祭なので、実行委員であるシエルも準備に忙しいのだろう。


 フィールカとレオンは顔を見合わせて頷くと、女子生徒に「ありがと!」と一言残し、すぐに中庭へと向かったのだった。


                ∞


 一方その頃、校舎の裏にある中庭では、朝から実行委員たちが前夜祭と卒業式の作業にひたすら追われていた。朝の陽射しが眩しく、ぽかぽかとした陽気で作業には絶好の一日だ。


 広大な中庭は赤茶色の煉瓦がびっしりと敷き詰められており、所々に区切られた小さなスペースには手入れの行き届いた芝生や花壇などが綺麗に設けられている。庭の片隅に目をやれば、地面に力強く根を張った大樹の梢からは少し早いが色鮮やかな桜花が爛漫と咲き誇っていて、時折吹き抜ける春風が薄紅色の花びらを儚く散らす。


 そして庭の中央には、周囲を階段状の煉瓦の段差で取り巻かれたひときわ大きな円形の空間がある。


 明日この場所で、自分たちの卒業式がいよいよ執り行われるのだ。


 普段は授業で疲れた生徒たちのいこいの場であり、二年前の入学式の時もここで華々しく式が行われ、同級生たちと初めて出逢った大切な場所でもある。一年生の時は去年の三月まで在学していた一つ上の先輩たちの卒業を見送り、ついに今年は自分たちの門出だと思うとなんだか少し淋しい気持ちになってくる。実際は、このくだらない収容施設ような場所から一秒でも早く抜け出したいはずなのに――。


 そんな思い出が詰まった場所で昔のことを懐かしく思い返しながら、赤髪の少女は淡々と目の前の作業をこなしていた。


「ふう……これでよしっと……」


 額に薄く滲んだ汗を拭い、未だに冬の名残がある白く染められた息を小さく吐き出す。


「シエルー、こっちの飾り付けもしてくれるー?」


「うん、わかったわ」


 同級生の委員仲間にそう言われて、シエルは近くに置いてあった椿とオリーブの各々の鉢植えの飾り付けを始める。


 花言葉で椿は誇りを、オリーブは平和をそれぞれ象徴する。ここの在校生たちが、一日でも早く世界に平和が訪れることを願いに込めて育てた大切な花々だ。式場の開催場所には豪奢な赤い絨毯がまっすぐに敷かれ、その中央に道を作るように飾り付けられた鮮やかな鉢植えたちが、前後左右等間隔にひとつひとつ丁寧に置かれていく。地味になかなか面倒な作業だが、こういう地道なことの繰り返しは結構好きなので特に苦にならずどんどん仕事が捗る。


 シエルが夢中で黙々と一人作業をこなしていた時だった。


 不意に背後から、あの……と如何にも昏い調子で誰かに小さく声をかけられる。


 思わず後ろを振り返ると、そこには一人の男子生徒が立っていた。


「お、おはよう、スカーレットさん。朝から仕事お疲れ様……。実はその……君にお願いがあってさ……」


 見るからにぎこちない様子で話しかけてきたのは、シエルと同じ魔法科クラスの一年の男子生徒だ。教室では普段から地味な存在で、特にあまり印象に残っていない生徒だった。


「おはよう。どうしたの?」


 シエルが満面の笑みで首を傾げると、男子生徒はこちらにはっきりと伝わってくるほどの緊張感のある声で言った。


「そ、その……ぼ、僕と今夜の前夜祭、一緒に回らないかな?」


「えっ? ぜ、前夜祭?」


 思いも寄らぬ突然のデートのお誘いに、シエルはあからさまに困惑する。


 毎年前夜祭では、一年生たちの各学科の教室にて彼らによる模擬店が催されるのだ。魔導軍事学校と第二学園都市との共同企画の大規模な祭りということもあり、この日は街全体が一層活気づく。自分たち二年生は最後の前夜祭ということで、校内だけだが今年は自由に回れるというわけだ。


 男子生徒も相当緊張しているのだろうか、まだ冬が去ったばかりの朝だというのに額にはすでにびっしょりと玉の汗が滲んでいる。


 しかし、シエルは酷く申し訳なさそうな顔で答えた。


「ごめんなさい……。今夜はもう、他の友達と回るって約束してるの……」


 なるべく本人が傷つかないように控えめに言ったが、やはり気まずい雰囲気になってしまう。


 だが、実際に嘘はついていない。元々友人たちと最後の思い出を作りたいということで、シエルは前々から約束していたのだ。


 それを知った男子生徒は、あからさまに落胆した口調で呟く。


「そ、そっか……。なんか、大事な時間を奪っちゃって悪かったね……。それじゃまた……」


 そのままがっくりと肩を落とし、ふらふらとした足取りで少女から潔く離れていった。


 学校中の男子生徒たちからの憧憬の的であるシエルは、学校一の美少女アイドルというなんとも痛々しい肩書きを付けられていることだけあって、二年前に入学した頃からこのような面倒事はすでに日常茶飯事だった。


「はあ……」


 シエルは隠すつもりもなく深く溜め息を洩らすと、ずっとその会話を聞きながら隣で作業していた委員仲間が面白おかしそうに話しかけてくる。


「また男子からのお誘い断ったの?」


「うん……。私、ああいうのは苦手なのよ……。デートの誘いとか……告白とか……」


 すっかり物憂いな気分のツインテールの少女に、委員仲間は口許に悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「じゃあさ、誰か好きな人とかいないの?」


「い、いないわよ!」


 遠慮なく飛んできた直球的な質問に、シエルは動揺したように堪らず声を上げる。


「ふーん。その割にラグナリアくんとか、シークガルくんたちとはいつも仲良さそうだけどね」


「……あの二人はただ放って置けないだけなの。見てると妙に落ち着かないっていうか……安心できないっていうか……」


 少女は急に活力のない声で弱々しく呟く。


 すると、委員生徒はふと思い出したように言った。


「そういえばさ、二人とも大丈夫だったの? なんか試験中に大怪我したらしいじゃない。またなんかやらかしたの?」


 首を傾げ、心配そうにいてくる。


 シエルたちが試験の最中に竜に襲われ、それを彼女が一人でたおしたことは一部の先生にしか知らされていない。この事実が生徒たちに漏洩ろうえいすれば、無論、学校中が大騒ぎになるのは避けられないからだ。そのため、この件に関しては、学校側によって全て黙秘されることとなった。


 シエルはうつむいて顔を曇らせたまま、気分が晴れない様子で首を振る。


「ああ……ううん、違うの。今回の件に関しては、私が全部悪かっただけ。でも心配しないで、あの二人ならすぐに良くなるはず……。だっていつものことだもの……」


「そ、そっか……。なんか余計なこと聞いちゃったかな……? ごめんね」


「ううん、大丈夫」


 そう答えると、突然、委員生徒が慌てて少女の肩に手を置いてくる。


「噂をすれば……。——作業は私たちに任せて、シエルは休憩してていいからね。それじゃ、ごゆっくりー」


 それだけを言い残し、なぜか委員生徒はその場から急いで離れるように作業に戻っていった。


 すると、不意に後ろから男たちの呼び声が騒がしく聞こえてくる。馴染みのある、いつもの声音。


「おーい、シエルー!」


「シエルちゃーん!」


 呼ばれたほうを振り返ると、そこにはすっかり見慣れた青年たちの元気な姿があった。

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