第十二話 卒業試験終了

「な、なんなんだ……これは……」


 ようやく洞窟の最奥へと辿り着いたガルドフは、驚愕に眼を見開いたまま茫然ぼうぜんと立ち尽していた。フィールカから想像接続術式イマジン・コネクトで呼ばれて急いで駆けつけたが、洞窟内はとても信じがたい光景に変容を遂げていた。


 そう、そこはまるで、どこかの異世界に迷い込んだような氷の大空間——。


 岩壁や天井は隙間なく全て凍結しており、本来なら辺り一面に張っていたはずのマグマまで今は完全に凍ってしまっている。


 しかしそれだけではなく、ガルドフはさらに理解しがたいものを目にする。


「なっ……」


 洞窟の中央には、あたかも小山の如く屹立した巨大な竜が、氷像のように凍って死んでいたのだ。てっきり凍り付いた巨石かと思ったのだが、ガルドフは眼前の竜の大きさに思わず息を呑む。


 数秒間、紺軍服の教官は足が固まったように動けずにいると、ようやく己の使命を思い出して付近を調べる。


 凍てついた竜の正面に回り込むと——そこにはいつものツインテールの赤い長髪をほどいたシエルが、疲労困憊の状態で息を切らしていた。


「おい、大丈夫か!? 一体何があった!?」


「はぁ……はぁ……私なら大丈夫です……。それより早く二人を……」


 小刻みに肩を上下させながら、シエルは地面に倒れているフィールカとレオンのほうをそれぞれ指差す。


 現在の状況をおおよそ把握したように、ガルドフは小さく頷く。


「わかった。二人のことは私に任せろ。時機に他の救助隊も来る」


 どうにか彼女を安心させるようにそう言うと、まず一番近くにいたレオンから治療に当たる。


 急いで青年の傍に駆け寄り、ガルドフはすぐさま彼の呼吸と脈拍を確認する。幸い両方とも正常で、意識を失っているだけで大事には至っておらず、全身は打撲や擦り傷などの軽傷で済んでいたため、とりあえず彼の治療は後回しにして次にフィールカのほうに移動する。


 しかし、レオンに比べてこちらは想像以上の重傷だった。


 無惨に切り裂かれた彼の腹部からは、軍服の上からでも判るほど血が赤黒く滲み出ており、危険な状態なのはもはや明らかだ。このまま放置を続ければ、出血多量で確実に命を落とすだろう。


 ガルドフは早急に自分の記憶保管メモリーストレージから白煙とともに救急箱を出現させると、中から大量のガーゼを取り出し、それをフィールカの腹部の傷口に圧迫して押さえつける。


 だが、青年の身体はすでに青白く変色しており、おびただしいほどの出血量で血液が止まる気配を全く見せようとしない。


「くそっ、出血の量があまりにも酷い……! このままではまずいぞ……!」


 迫ってくる青年の死に焦りを覚えたのか、氷の空間にいるにも関わらず、ガルドフの顔からだらだらと脂汗が流れ始める。


「先生、私にやらせてください……!」


 不意に背後から、立つのもやっとかという状態でシエルが声をかけてくる。


 しかしガルドフは、耳に届いてくる彼女の荒い呼吸音を聞いてすぐに首を横に振る。


「駄目だ!! すでにお前も体力を消耗し切っているではないか!!」


「お願いします……!」


 それでもシエルは必死に懇願する。


 数秒の沈黙の末、最終的にガルドフは折れたように「……わかった」と低い声で呟くと、すぐに二人は交代する。シエルはフィールカの前に座り込むと、何かの術式を詠唱し始める。


 すると突然、彼女の両手の中から白い小さな光が生まれる。


 完成したその光を青年の腹部の傷口に当てた直後、ゆっくりだが、徐々にそれは塞がり始める。


「こ、この光は………《光属性》の回復魔法か!」


 まるで神秘的な光景を目の当たりにしたように、ガルドフは思わず驚愕の声を洩らす。


 光属性の魔力センスはどれほどの訓練を積み重ねても引き出すことが非常に困難と言われており、他の属性に比べてこればかりは生まれ持った才能によるものが大きく、ガルドフも見たのはこれが初めてだった。


 見る見るうちにフィールカの腹部の傷口が塞がっていき、いつの間にか完全に出血まで止まっていた。


「はぁ……はぁ……よかった……」


 肩で息をしながら安堵すると、シエルは糸が切れた人形のように思わず両手をついてその場に崩れ落ちる。


 フィールカとレオンの応急処置をした後、すぐに学校の救助隊が駆けつけてくれたおかげもあり、幸い命に別状はなかった。二人が救助隊によって洞窟内から運び出されていくと、残ったシエルとガルドフはようやく緊張から解放されたように胸を撫で下ろす。


「どうにか間に合ってよかったな」


「はい……」


 少女は活力のない声で呟く。ガルドフは目の前に氷漬けにされた炎竜を見ながら、すっかり感心したように言う。


「しかし、あの上位魔級の竜を相手に、訓練生ながら三人ともよく生き残ったものだ。なぜ竜がこんな土地に生息していたかは不明だが、それに関しては学校側が時機に調査に乗り出すだろう」


 そう言うと、紺軍服の教官は気になったように少女に訊ねる。


「スカーレット、お前は一体何者なんだ?」


「えっ?」


 質問の意味が理解できず、シエルは思わず困惑の声を洩らす。


「お前が、あの竜を一人でたおしたんだな?」


 そう問い詰められた少女は顔をうつむけるが、ガルドフは話を続ける。


「スカーレット、お前の魔力センスはすでに上位階級の魔導士レベルに達している。仮に魔導軍事学校の四年までの在籍期間があったとしても、これは本来ありえない成長速度だ」


 魔導軍事学校は、二年制で在籍期間が多くても四年までと定められており、三度留年をしてしまった生徒はその時点で退学扱いとなる。何事もなく一年生から二年生に進級したシエルにとっては全く関係ないことだが、逆にそれは、たった二年間の在籍期間で彼女が急激に成長したことを意味する。


 ガルドフに鋭く訊かれて、少女は胸中にある秘密を打ち明けた。


「……私、子供の頃からよく魔法で遊んでたんです。お母さんにずっと教わって……」


 重苦しい口調で言うと、それに対してガルドフは何か思い当たったように呟く。


「その姓……母親というのはまさか……」


 そう言いかけたところで、思い直したように首を振る。


「いや、なんでもない。少々詮索が過ぎてしまったな。君が何者だろうと、私には関係のないことだ。——さて、今回の卒業試験の合否についてだが……」


 ガルドフは表情を改めると、毅然とした態度で言った。


「シエル=スカーレット、フィールカ=ラグナリア及びレオン=シークガルのB班三名は、第二十八回卒業試験を特別免除により、《合格》という結果を私から校長に直接通知しておこう」


 思いもよらぬ発表に、シエルは信じられないといった表情で眼を丸くする。これだけの騒動を起こしてしまったために、てっきり今年の試験は不合格だと思っていたのだ。


 ガルドフは己の役目を終えたように踵を返すと、それ以上は何も言わず一足先に洞窟から出て行く。


「あ、ありがとうございました!」


 紺軍服の教官の背中に向かって頭を下げながら、シエルは感謝の言葉をかける。


 こうしてB班の第二十八回卒業試験は、何事もなかったかのように静かに幕を閉じたのだった。


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