第五話 回想

 夕食兼ミーティングを済ませた三人は、男子と女子で寮がきっちりと分けられているためシエルとは兵舎バラックの一階で別れ、フィールカとレオンは自分たちの部屋に戻ることにした。


 男子寮の赤茶けた石造りの階段を軽快な歩調で上りながら、レオンがうっとりとした顔で呟く。


「はあ……やっぱシエルちゃんはいつ見ても可愛いよな……」


 また独りごちる金髪の青年に、傍らのフィールカはとことん呆れた顔で言う。


「お前は女子に対して誰にでもそういうことを言うよな……」


「だってよー、この学校にいる女の子、みんな可愛い子ばっかだぜ? 特にシエルちゃんみたいな子と話せた日には……。——まさかフィールカ、俺に嫉妬とかしてるのか?」


 煽るような口調でそう言って、レオンはこちらの首に腕を巻きつけながら意地の悪い顔で訊いてくる。


「なあ、フィールカは好きな子とかいないのか?」


「いないって」


「まーたまたー、そうやってごまかそうとするんだからよー」


「ホントにいないって」


「その割には、シエルちゃんの前では相変わらず緊張してるよなー」


「……お前は一体俺に何を言わせたいんだ」


 露骨に不機嫌な顔で金髪の青年を睨み付けると、フィールカはうんざりしたようにせかせかと先に階段を上っていく。


 しかし、レオンはそんなことを全く気にした様子もなくさらりと言った。


「シエルちゃんのこと、好きなんだろ?」


「…………」


 不意に、フィールカはぴたりと立ち止まる。さっと後ろを振り返り、急に改まった態度で言い返した。


「レオン、俺たちはここを出たら反乱軍の兵士になるんだぞ? 今更そんなくだらない恋愛感情を抱いてる暇はないんだ」


「でもよ、そしたらシエルちゃんにこれから会えないかもしれないんだぜ?」


 いつにも増して、レオンは真剣な口調で言う。


 しかし、フィールカは肯定するように即座に頷いた。


「いいんだよ、別に。俺たちの職業柄、いつ死んでもおかしくないんだ。そんな相手のことが常に気になるような感情を戦場に持ち込んでたら、それこそ足をすくわれるだろう? 俺のことなら心配ないから、もう放っといてくれ」


「まあ、お前がそう言うならいいんだけどさ……」


 金髪の青年は少し残念そうに肩をすくめる。


 フィールカは再び階段を上りながら、ふと二年前のことを思い出す。


 彼が初めてシエルの存在を知ったのは、魔導軍事学校に入学して間もない職業選択授業の時だった。今年の新入生たちが訓練場に集い、自分たちに最も適した職業を見出だす、というのが今回の授業内容だった。


 集まった生徒たちのうちの九割が男子で占められており、女子がほとんどおらず、普通の共学校のような華やかさは微塵もなかった。ただでさえ女子生徒は少なくて目立たないというのに、その少女は、どの生徒よりもひときわ存在感があった。


 人目を惹く真っ赤なツインテールに誰よりも端整な顔立ちをしており、烈火のように燃え立つ緋色の瞳。背丈は女子生徒たちの中では低めのほうだが、細身で均整の取れた体型をしていた。


 しかし何より印象に残ったのは、少女から微かに溢れ出た、どこか哀愁漂う儚い雰囲気だった。


 シエル=スカーレット。それが、フィールカが初めて見た彼女の印象だった。


 こんな見た目だけの可憐で華奢な少女が、屈強な男たちばかりの戦場で一緒に戦うのか、と当時の自分はもはや呆れを通り越してふざけているのかとさえ思った。どうせ自分がここを卒業する頃には、いつしか自然と消え去っているだろう。頭の片隅で一人勝手にそう結論づけていた。


 ところがある日、そんなくだらない先入観は一瞬にして打ち砕かれた。


 気まぐれで剣術の練習をしようと思ったフィールカは放課後、校内にある室内訓練場を訪れることにした。普段なら授業だけですっかり疲れて自主練習など全くする気が起きないのだが、今日は珍しく元気が有り余っていたのだ。


 校舎の隣に併設された訓練場の建物前に着くと、てっきり誰もいないと思っていたのだが中から人の気配がする。どうやらすでに先客がいるらしい。まったく、放課後も飽きずに練習してるなんて一体どんだけ真面目な奴なんだよ……と自分にも当てはまることを残念に思いながら、フィールカは颯爽と訓練場に足を入れる。


 そして、入り口の前で思わず足を止めた。


 広々とした場内の中央に、黒い軍服姿の一人の女子生徒がぽつりと佇んでいた。職業選択の授業の時に目にした、あの印象が強かった、赤髪のツインテールの少女だ。ちょうど自主練習の最中だったらしく、すでに顔には滝のようにびっしょりと汗を掻いていた。


 すると、少女は身体中から真紅の光を仄かに放出させると、それを全身に纏い始める。


 とても末恐ろしい才能だ。入学してまだ一ヶ月も経っていないというのに、すでに魔力センスのコントロールができている。普通なら魔力を解放させるだけでも相当な苦労を強いられるはずなのだが、彼女はさらに一段階上の練習をしているのだ。


 そして何よりも、ひたすら練習に励んでいる彼女の姿は途方もなく美しかった。


 例えるなら、あたかも天から突如舞い降りた純赤の天使——。


 その華麗な姿にただただ見とれてしまい、フィールカはしばらく放心したようにその場に立ち尽していた。


 少女は全身の力を抜くように魔力を解くと、魔法で虚空から出現させたタオルで汗を拭く。


『ふう……』


『ずいぶん練習熱心だな』


 静かに歩み寄ってきたフィールカが、横合いから軽く声をかける。


 それに対し、少女はこちらをひと睨みすると、開口一番に刺々しい口調で言った。


『誰よ、あんた』


『俺はフィールカ=ラグナリア。二年後にこの学校をトップで卒業するから、今のうちに覚えておくといいぜ』


 とても初対面の相手に言うような台詞ではなかったが、しかし少女は意に介した様子もなく強気に言い返した。


『ふーん……それじゃ一応、私のライバルってことになるわね。見たところ剣術科の生徒みたいだけど、魔力は使えるのかしら? この学校を卒業するための必須条件よ』


『うっ……それはその……。今はできないけど、これからちゃんとやれるようにするつもりだ』


『何よそれ、大口叩いておいて。まるで話にならないわ』


 冷やかにそう言い残し、少女はすたすたと足早に訓練場から出て行った。


 その場に一人残されたフィールカは、しばし呆気に取られたように棒立ちしていた。


『冷たい奴だな……』


 すぐに我に返り、溜め息混じりにそう呟くと、青年は気を取り直して黙々と練習を開始した。


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