第六話 回想2

 あの女に言われたことが相当気になっているのか、あるいは不甲斐ない自分に柄にもなくムキになっているのか、翌日もフィールカは一人訓練場を訪れた。次の日も、その次の日も、青年はとにかく魔力センスを扱えるようにするため毎日訓練場に通い続けた。


 確かにセンスの解放は反乱軍の兵士にとって基礎中の基礎だが、別に何も焦ることはない。このまま自分も地道に練習を続けていけば、いずれすぐに使えるようになるに決まっている。何せあんな生意気な女が何の苦労もなく涼しげな顔でできているくせに、将来トップの成績で学校を卒業する自分がこんなところで行き詰まるはずがないのだ。そんなことはあっていいはずがない。そう自分に常に言い聞かせて、これまで愚直に練習に励んできた。


 が、いくらやっても自分の身体に些細な変化も見られることはなく、今日もどこかの神に見放されたように練習の成果は出なかった。


『くそっ……なんでできないんだ……』


 今にも投げ出したい気持ちで訓練場の床に大の字になって倒れ込むと、フィールカはぼーっと天井を見つめる。


 センスは練習すれば誰にでも解放できると言われているが、本当にそうなのだろうかと心底疑いたくなってくる。だいたい誰なんだ、そんないい加減なことを最初に言い出した奴は。自分みたいに上手くできない不器用な人間だって他にいるかもしれないのに。


 やはり自分には才能がないのだろうか。物心ついた時から親の目を盗んで習慣的に木剣の稽古を始め、十三歳の時には勝手に村を抜け出し、初めて魔物を狩ったこともあった。当然その時は母親から一日中散々怒られたが、おかげで村を旅立つ頃には村一番の狩人だと地元の皆からは言われたし、大陸の地方からつわものが集まるこの魔導軍事学校に来ても剣術では誰にも負ける自信がなかった。


 それなのに入学早々、あのダイン=ランザックとか言う野蛮な奴と試合で引き分けになるし、日にちが経つに連れて周りの皆が続々とセンスの解放を始める中、自分だけ未だにそんな兆しすら一向に見えないでいる。


 ふと訓練場の壁に掛けられた時計に目をやると、もうすぐ夕食の時間も終わりを迎えようとしていた。いい加減今日も諦めて、そろそろ食堂にでも行こうかと考え始めた矢先だった。


『——まだ訓練場の灯りが点いてるから誰かと思ったら、またあんただったのね』


 突然そんなつっけんどんな声が頭上から降ってきたかと思うと、いつの間にかあの赤髪の少女が不愉快そうに端整な顔を覗かせていた。


『こんな遅い時間まで練習して、未だにセンスも使えないのかしら? このままじゃトップで卒業どころか、留年確定ね』


『…………』


 ふて腐れたように唇を尖らし、フィールカは可愛げもなくそっぽを向く。


『……だったらなんだよ。こんな惨めな俺をわざわざ蔑みにでも来たのか?』


 もはや拗ねた子供のような青年の刺々しい態度に、たちまち二人の間の空気が険悪なものになる。


 すると、少女は少しばかり何か考えた後、観念した様子で大きく嘆息した。


『はあ……仕方ないわね。一体どうやって練習してるのか、ちょっと見せてみなさい』


 そんな彼を見兼ねたように上から目線で指示してくる。


 フィールカは意地でもこの女にだけは教わりたくないと思ったが、自分がいつまで経ってもセンスを使えないのは事実だったし、何よりこんなくだらない矜持プライドを護ってまで断るのはもっと嫌だった。


 青年はおもむろに渋々立ち上がると、普段の練習通りにセンスを引き出そうと身体にぐっと力を入れる。


 しかし、それを見た少女は酷く呆れたように首を振り、即座に厳しく指摘した。


『あー、だめだめ。それじゃ無駄に力み過ぎだわ。あとセンスは身体の底から絞り出すように、頭の中でしっかりイメージすることが重要なの。わかった?』


『あ、ああ……わかった』


 思わぬ彼女の言葉に素直に頷くと、フィールカは再び静まり返った訓練場の空気を肺一杯に吸い込み、ゆっくりと吐き出す。


 ——意識を集中させるんだ……。


 言われた通りに今度は全身の力を抜いて目をつぶると、頭の中でセンスを明瞭にイメージする。


 身体の奥深くに眠る、きらりと瞬く一条の光。大自然豊かな山脈にいくつも枝分かれして流れ広がる、まるで渓流のような清澄な流水。


 傍らから少女にじっと見られているにもかかわらず、不思議と緊張はしなかった。


 いくばくかの時間が流れ——その時、変化は訪れた。


 青年の身体が一瞬仄かな光に包まれたかと思うと、それは何事もなかったようにすぐに消え去った。


 フィールカは信じられないような顔で自分の身体を見やる。


『い、いま確かに光が……』


『なによ、やればできるじゃない。今の感覚を忘れないよう、これからもせいぜい精進することね』


 少女の憎らしくもありがたい助言に、青年は思わず感謝して頭を下げる。


『あ、ありがとう、おかげで助かったよ。てっきりもう駄目かと……』


『はあ……最初に話しかけてきたときの勢いは一体どこに行ったのよ……。それじゃ、もう行くから』


 つまらなそうに言って、少女は素早く踵を返すと、足早に訓練場から出て行こうとする。


 フィールカは慌てて彼女の背中を呼び止める。


『ま、待ってくれ! その……せっかくだから、君の名前を教えてくれないか?』


 すると、少女はぴたりと足を止めると、こちらに肩越しに向き直り、堂々とこう名乗った。


『シエル=スカーレット。——二年後、この学校をトップで卒業するから、今のうちに覚えておくといいわよ』


 数日前に青年が言ったことをそっくりそのまま返すと、少女は訓練場から静かに消えていった。


 しばらくフィールカは呆けたようにその場に立ち尽したまま、彼女に言われたことを頭の中で繰り返し再生していた。


『ああっ、夕飯!!』


 今頃思い出したように叫び、青年は急いで食堂へと向かったのだった。


 それからフィールカは、いつの間にか毎日欠かさず訓練場を訪れるようになっていた。


 練習してもっと強くなりたいというよりも、どちらかと言えばシエルに会いたいという気持ちのほうが純粋に強かったのかもしれない。それぞれ学科は違うのであまり出会う機会はなかったが、それでも青年は彼女と会うたびに積極的に話しかけるようになり、いつしか友達の関係にまでなっていた。シエルがどんどん成績を伸ばしていくと、それに負けじとフィールカもたくさん練習を積み重ねていった。


 そう、彼女はたくましかったのだ。誰にも負けたくないような強い意志、その大切な心持ちをしっかりと胸の裡に秘めていたのだ。いつも練習に励んでいるシエルの姿を見るたびに、そんな憧れの彼女に惹かれていく自分がそこにいた。自分も、彼女のようになりたいのだと。


 そして気づいたのだ。いつしか自分は、そんな彼女のことが好きになっていたのだと——


「——おーい、フィールカ?」


 ずっと横から声をかけられていたらしく、レオンが心配そうな顔をしていた。


「あ、ああ、悪い。ちょっと考え事をしてただけだ」


「ホントに大丈夫なのかよ……」


 尚も心配そうに言うが、黒髪の青年は「大丈夫、大丈夫」と軽く返事をし、再び階段を上っていく。


 二人は五階の廊下の一番端にある自分たちの部屋の前に着くと、フィールカが所持していた鍵で扉を開けて中に入る。


 最初に目に飛び込んでくるのは、窓が一枚だけのこざっぱりとした窮屈な部屋の両端に置かれた二台のシングルベッドだ。あとは隣の浴室に洗面台とトイレとシャワーがきっちりと備え付けられている。


 フィールカとレオンは二年前にこの部屋で初めて出逢い、今日まで共に過ごしてきた。


 実を言うと、最初の頃はびっくりするほど仲が悪かったが、日が経つに連れて少しずつ仲睦まじい関係となり、今では学校中を轟かすほどの最悪コンビとなってしまったわけだ。


 フィールカは部屋の左端にある自分のベッドに腰掛けると、隣のベッドで同じくくつろいでいる相棒に訊いた。


「なあレオン、入浴券まだ残ってるか?」


 彼が訊いている入浴券とは、一週間に一度学校側から配布される、寮の一階にある大浴場に入場できるというものだ。


 金髪の青年はさっとベッドから起き上がると、制服のポケットから一枚の紙切れを取り出す。


「入浴券? それなら今週は使ってないから、まだ残ってるぜ」


「じゃあ、今から行かないか? もう一緒に風呂に入れるのも、今日が最後かもしれないしさ」


 もしこのまま自分たちが何事もなく卒業試験に受かれば、反乱軍への入隊は確実だ。そうなれば配属先が決められて、これからは同じ釜の飯も食うことができなくなるだろう。せめて最後に風呂くらいは一緒に入っておこうと、青年が考え抜いての結論だった。


 それに対し、レオンも同意したように頷く。


「それもそうだな。どうせなら、最後に気持ちよく一風呂浴びようぜ。そんじゃ、とりあえず風呂の用意でもするわ」


 そう言って支度を始めると、フィールカもベッドからゆっくり立ち上がる。


「俺も用意するか……」



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