第十八話 真実

「――こんなところだな、俺の話は」


 学校の屋上で一通り自分の身の上話を終えたフィールカは、満足した様子でふーっと息をつく。


 青年の境遇を聞けたシエルは、思わず笑みをこぼして納得したように言う。


「ふふっ、フィールカのお母さん、本当に優しかったのね。だから子どもの頃からこんな腕白に育ったのかな」


「……今もそんなふうに見えるのか?」


 不満そうな顔でくと、少女は面白がるように昔のことを話す。


「そうね。新しく出来たばかりの料理店で代金を食い倒したり、訓練中に気になった森にこっそり入りに行ったり、とか」


「そ、そうか……」


 今まで自分がしてきた行動に酷く恥ずかしさを覚えながら、青年はぐちゃぐちゃと髪を掻き回す。


 ばつの悪い気持ちを紛らわせようと、思わず話題を変えた。


「そのペンダント、いつも大事に身につけてるんだな」


 注目したのは、シエルが首にかけている鎖のペンダントだ。


 銀鎖の先端には、七角形の透き通った紅玉にも似た真紅の石が夕陽の光を反射させて煌々と輝いており、その七つの頂点にそれぞれ赤・青・黄・茶・緑・白・黒の小さな宝石が埋め込まれている。


 彼女が普段から肌身離さずつけており、これまで外しているところを見たことがなかった。


 シエルは少々意外だったように首元を見つめ、両手で首飾りを優しく包み込む。


「ああ……このペンダントはね、私のお母さんの大切な形見﹅﹅なの」


 沈鬱な声でそう告げた瞬間、彼女はペンダントを力強く握り締める。


 少女の真紅の瞳には、どこか猛烈な憤怒の炎に満ちたような——青年はそんな違和感を覚えた。


「フィールカが自分のことを話してくれたから、私も隠さずにちゃんと話すね」


 そう笑顔で言って、シエルはふと真剣な表情になる。


 すると、次に少女の口から出てきた言葉は、これまでの彼女からは到底考えられないものだった。


「私は、皇国を支配している現女帝ルティシアを殺すために、この学校に入ったの」


「なっ……」


 フィールカは一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。


 彼女の言っているルティシアとは、現在の皇国の頂点に君臨する女帝——通称《魔女》と呼ばれる存在だ。そしてそれは同時に、世界最強の解放者センサーであることを意味する。


 ルティシアはこれまでに何万もの人間を殺してきたと言われており、つい最近まであった《第二次魔導大戦》でも奴は目覚ましい活躍ぶりを見せたという。


 兵士の《質》で対抗する反乱軍に対し、皇国軍は圧倒的な《数》で勝負を仕掛けてくるのだ。年々奴らに世界征服を強いられており、そんな現状で遥か彼方にも思える皇国女帝をたおすことなど到底ありえない話だった。


 さすがに動揺を隠せず、フィールカはおそるおそるシエルに訊いた。


「ま、待てよ。どうしてそこまでしようとするんだ……? 何かしなきゃいけない理由でも……」


 そこまで口にしたところで、ようやく何かに気づいた青年は、背筋が凍りそうな恐怖に襲われる。


 母親の形見のペンダント、魔女を殺すという少女の言葉。


 それらの情報から導き出された答えは、あまりにも単純で残酷で、とても想像などしたくないことだった。


 血のように紅いシエルの双眸そうぼうが眩い夕陽によって照らされ、一層赤みを増したように見えた。


 そして、最も聞きたくなかった答えが、少女の口から出てしまう。


「復讐よ。——私の家族と、生まれ育った村のね」


 たったその一言に、フィールカは愕然としてしまう。


 彼女もまた皇国軍によって家族を奪われ、村を焼かれた一人だったのだ、と。少女はそう告げたのだ。これまで彼女の歩んできた道のりが、一体どれほど険しかったのだろうか。フィールカには決して想像することなどできなかった。


 シエルは激情の色を瞳に滲ませて、目の前の青年に言いたかったことを吐露した。


「七年前のあの赤い月の夜、村の皆はまだ子供だった私を逃がして全員殺されてしまった……。皇国兵たちが何の躊躇もなく村を焼き払っていく光景は、今でも鮮明に覚えてるわ……。あの時、私に奴らを殺すだけの力があればと、何度自分を呪ったことか……」


 くらく顔をうつむけながら、爪が食い込みそうなほどに拳を固く握り締める。


「だからせめて死んでいった人たちのために私は……この命をけて皇国軍と戦い続ける」


「で、でもだからって——」 


「——フィールカ」


 青年の言葉を静かに遮ると、シエルはゆっくりと顔を上げ、堪えがたい怒りに震えるような声で言った。


「あなたは、この世界が憎くないの……? あなたの父親さえも殺した、この醜い世界が……」


 不意にそう問い掛けられ、フィールカは思わず言葉に詰まってしまう。 


 確かに自分の父親は、皇国軍の手によって殺された。だから彼女の気持ちも嫌なほど理解できる。でも……でもだからってそんな……なんで君が……。


 まるで首元に不可視の刃を刺されたかのように、青年は悲痛な声音で喉から言葉を絞り出した。


「……憎いかもしれない。俺は産まれてから一度も父さんに会うことが叶わなかったから、もしかしたらそんな感情はどこにもないのかもしれない……。でも……今の君じゃ、魔女には勝てない!!」


 偽りのない必死の説得に、しかし、シエルは腹の底から願うように強く叫んだ。


「それでも……それでも私は必ず成し遂げてみせるわ!!」


 少女の紅い双眸には、もはや揺らぎない信念の色で塗り潰されていた。もうこれ以上何を言っても心に響かないだろう、復讐という闇によって閉ざされている限り……。


 フィールカは全てを悟ったように少女の眼から顔を背けると、残念そうに低く呟いた。


「……わかった。シエルが……シエルが選んだ道を、俺はもう止めようとは思わない……。でも……でもこれだけは約束してくれ——絶対に死ぬな……!」


 青年の心からの懇願に、少女はくらく顔を俯けて一言だけ答えた。


「……そうならないように精一杯努めるわ」


 口ではそう言ったが——しかし、少女の顔にはどこかかげりを見せていた。


 それからどれぐらい時間が経っただろうか。どこまでも広がる空を赤く染め上げた夕陽と、どこか遠くへ流れていく浮き雲を二人はいつまでも眺めていた。


 シエルの打ち明けた復讐という言葉が、フィールカの頭の中でぐるぐると何度も再生されていた。あのまま何も聞くことなく、この学校からそっと卒業していったほうがよかったのではないか……と後悔するように延々と自問自答を繰り返していた。

 

 答えの出ない問いかけに青年が頭を抱えていると、やがて長い沈黙を最初に破ったのはシエルだった。


「……ねえ、フィールカ」


「……ん?」


「ちょっと提案があるんだけど……」


 そう言われて、青年は不思議そうに首を傾げる。シエルは改まった表情で答えた。


「私たちがこの学校にいられるのも明日で最後だから、今まで一番お世話になった人にお礼がしたいの」


 それを聞いたフィールカは、あー、と納得したように呟く。


 自分は何かと色んな人たちに散々迷惑をかけてきたが、特に世話になった人というと一人しか思い浮かばなかった。


「ミスリア先生か……。確かにここでは本当に世話になったな……」


「うん。だからフィールカとレオンにも一緒に手伝ってほしいの」


 そういうことなら、あの金髪の青年も先生のために喜んで参加してくれるだろう。


 フィールカは迷わず了承して頷く。


「わかった。そういうことならあいつも喜んで来てくれると思うけど、何か良い案はあるのか?」


 その質問に対し、シエルは首を捻らせて困った顔になる。


「うーん、どうしようかしら……。今からできることだと限られてるし……。何か花を贈るとか、どうかしら?」


「そうだな。それならあの先生でもきっと喜ぶだろうし、あとは場所だな」


 途方に暮れたように二人はしばし考え込んでいたが、ふとフィールカが何か思い出したように訊く。


「そういえばさ、今年も花火って打ち上がるのか?」


 彼が言っているのは、毎年リースベルで魔導軍事学校の卒業記念として、前夜祭の夜に催される《花火大会》のことだ。この日のために、わざわざ遠方から訪れる観光客も珍しくないという。


 シエルは青年の意図を察して小さく頷く。


「うん、毎年恒例だからね。でも人気の観覧場所は夜になると、どこも街の人や学生たちでいっぱいよ」


 すると、フィールカはその返答を予想していたかのように妙に笑い出す。


「ふっふっふ……実は壁外訓練のときだったんだけどさ、森の中で古い展望台を見つけたんだ。あそこなら誰も来ないから穴場だし、花火を眺めるには絶好の場所だと思うぜ」


「あんたは訓練中に一体何してたのよ……」


 青年が今までしてきた身勝手な行動を色々と思い出して、シエルは呆れ顔になる。


「でもそれだと、街の外に先生を連れ出すのは危険なんじゃない? ただでさえ壁外フィールドに出れば魔物がたくさんいるのに夜の森の中だと……それに、先生は納得してくれるかしら」


「まあ、この辺りの魔物なら心配はいらないさ。あと、そっちの問題はだな……俺の人徳でどうにかするよ」


 フィールカの冗談めかした口調に、シエルはすっかり元気を取り戻した様子で微笑を浮かべる。


「ふふっ、そうね、期待してるわ。それじゃ、これで一応決まりね。とりあえずレオンを呼ばないと」


「じゃあ、シエルはレオンと一緒に花を購入して先に展望台に行っといてくれ。多分今頃、疲れて寮の部屋にいると思う。あいつも展望台の場所は知ってるしな。俺も先生を連れて後からそっちに向かうからさ」


 いつも通りの青年の軽い口調に、シエルの端整な顔が再び不安なものになったが、渋々と認めた。


「わかったわ。そのほうが効率も良いしね。本当に一人で大丈夫? って言いたいところだけど、フィールカが付いてるなら心配いらないわね」


 そう言って、シエルは黄金こがね色に輝く夕陽に背を向けて歩き出す。


 最後に後ろを振り返り、一言告げた。


「先生のこと、ちゃんとよろしくね。それじゃ、また展望台で」


「ああ、気をつけろよな」


「それはこっちの台詞よ」


 二人は笑いながら挨拶を交わし、その場を後にしたのだった。


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