第二十七話 闖入者
「はぁ……はぁ……」
イービルワームの猛攻撃がようやく収まった時には、シエルは両膝に手をついて荒く息を切らしていた。肩越しにちらりと後ろを振り返ると、フィールカやレオンも皆同じ状態だった。
一度乱れた呼吸を整え、少し落ち着いてきたところで少女は改めて周囲を見渡した。
広場中に敷き詰められていた石畳のブロックは粉々に破壊され、無惨にもすでに誰か区別できないようなぐちゃぐちゃに潰れた死体がそこらじゅうにいくつも転がっていた。
「うそ……私たち以外、全滅……?」
ただ茫然と口から言葉がこぼれる。
その酸鼻を極めた光景の中に、最後までまともに立っている者は一人もいなかった。結局生き残っていたのは、盾になった自分の後ろにいたフィールカやレオン、それにアルーナと数人の兵士たちだけだった。
広場の中央に改めて視線を戻すと、イービルワームは不気味にうずくまったまま特に攻撃してくる気配はないが、それもいつまでかは判らない。
「——も、もう無理だ」
不意に、一人の兵士が絶望に塗り潰された顔で言った。
「最初からあんな化け物に勝てるわけがなかったんだ!! お、俺は逃げるぞ!!」
「そ、そうだ!! 別に魔物なんか
二人の兵士が真っ赤に目を血走らせながら、これまで溜め込んできた殺意を剥き出しにし、広場の四方の街路を封鎖している皇国軍の集団をキッと睨みつける。
彼らが今まさに実行しようとしている愚策に、シエルは思わず異を唱えた。
「ま、待って! あの大人数相手じゃ、正面から立ち向かっても殺されるだけだわ!」
「シエルの言う通りだ! もう一度ちゃんと考え直すんだ!」
フィールカたちも同調して必死に説得する。
だが、死の淵に立たされた兵士たちはそんな言葉にもはや耳を貸さず、剣を構えて一斉に後ろに走り出す。
「どけどけどけええええええ————ッ!!」
口汚く絶叫を迸らせながら、彼らはグラウスがいる皇国兵の集団に向かって無謀にも突っ込んでいく。
「なんと愚かな……。——よかろう。逃亡者は死を
グラウスは腰に帯びた鞘からおもむろに軍刀を引き抜くと、片手で正面に構える。
血の気を帯びた反乱兵たちが両手で剣を振り上げ、一斉にグラウスに斬り掛かる。
「や、やめて————ッ!!」
シエルが堪らず絶叫する。
だが、その叫びが彼らに届くことはなく、グラウスは左右に素早く剣を閃かせる。
反乱兵たちの首が鮮やかな血の尾を引いて次々と斬り飛ぶと、どすっ、どすっと湿った音を立てて虚しく地面に転がった。
「ああ……ああああああ…………」
崩れ落ちるように膝をつき、シエルの口から悲痛の呻きが洩れる。
血も涙もない皇国軍の指揮官は、鮮血の付いた軍刀を綺麗に振り払って鞘に戻すと、もはや口を開くはずもない骸に憐れむような目つきで吐き捨てた。
「まったく……逃亡などという愚かな試みをせず、素直に戦えばいいものを……。どうせ貴様らには、この監獄の島から脱出する手段など有りはしないのだからな」
惨劇の瞬間を目の当たりにしたフィールカたちは頭が真っ白になったまま、己の無力さにただ立ち尽していた。
「くそっ!! これがあいつらのやり方かよ!!」
地面に乱暴に拳を殴りつけ、レオンは堪らず怒声を上げる。
シエルは未だ座り込んだまま、顔を
フィールカは働かない思考をどうにか巡らせ、無言で生存者の人数を数える。だがどれだけ計算しても、シエル、レオン、アルーナ、兵士が一人と、それに自分を含めてたったの五人しかいなかった。とても信じがたい数字だが最初に全滅したA班の人数を含めると、ダインを除く七十四人もの人間がすでにこの世から消えたということになる。
そういえば、あいつはいま一体どうなっているのだろうか。グラウスが皇国軍の間諜だったとなれば、魔導艦の中で拘束され、今頃誰かの助けを待っているという可能性も充分有り得る。だが今は彼を救出する余裕は当然なく、一刻も早くこの状況を打開する方法を考えなければならない。一体どうすれば……。
「——なんだかおもしれーことになってんじゃねぇか」
不意に、厭というほど聞き慣れた男の粗野な声が、どこからともなく広場に聞こえてくる。
フィールカは思わず周囲に視線を巡らせる。よく見ると、グラウスたちが封鎖していた南側の街路の脇にある、民家の赤茶色の屋根の上に一つの影が佇んでいた。
直後、影は屋根から豪快に飛び降りたかと思いきや、すとん、と広場の石畳に軽やかに着地してその正体を現す。
右手に愛用の
予想外の闖入者の登場に、すぐ近くにいたグラウスが表情の乏しい顔を僅かにしかめている。
「……なぜ君がここにいるのかね? 確かにあの時、魔導艦にしっかりとブチ込んだはずなのだが」
「ケッ、テメェらが適当に雑魚どもを片づけたら、すぐに脱出して俺様が旨いところ全部搔っ攫ってやろうと思ってたのによー。なんでか知らねーがあの鉄クズ、急に島から離れようとするじゃねーか。せっかくここまで俺様を連れ出しておいて、まさか一人も斬らせずあのクソ退屈な学校に送り還そうとしたわけじゃねぇよな? ムカついたからあの鉄クズ丸ごとブッ壊して、海に沈めて来てやったぜ。もっとも、もう一隻にはすぐに逃げられちまったけどなァー」
「貴様ッ……!」
ぎりぎりと歯を軋ませて、紺軍服の教官は苛立ちを隠そうともしない。
しかし、ダインは憎たらしい顔でさらに挑発する。
「おうおう、そう恐い顔するなよなァー。また新しく用意すればいいだけの話じゃねぇか。それよりこのひでぇ有り様は一体どうなってやがんだ? テメェは皇国兵どもを引き連れてやがるし、反乱兵どもの死体があちこちに転がってやがるし、おまけにあの化け物はなんだ? 随分と面白そうじゃねぇか!」
金髪の青年は広場の中央で陣取っているイービルワームの姿を見て興奮気味に言うと、グラウスはすぐに怒りを収めて唇の端を歪ませる。
「クックック……ダイン=ランザック、私は反乱軍などと言うちんけな集団ではなく、名誉ある皇国軍の指揮官だったのだよ。現在彼らは、我ら皇国軍に入隊する資格があるかどうか、あそこにいるイービルワームを使ってテストしていたところだ。無論ここに来たからには、貴様にも強制的に参加してもらうぞ。貴様の好きな殺し合いだ、まさかここで嫌だとは言うまいな?」
威圧的な視線を向けてくると、しかしダインは面倒そうな口調で言い返した。
「あーあー、テメェが皇国軍だの反乱軍だの、そんなことは別にどうでもいいや。要は俺様があの強そうな化け物をブッ殺せば、皇国軍に入れてさらに強い奴らとも戦えるってわけだ。こんな一石二鳥なおもしれーことを、俺様が断るわけがねぇだろ。そこでよーく俺様の活躍をたっぷり目に灼きつけとくんだなァー」
そう言い残し、イービルワームがいる広場の中央に豪然とした足取りで歩いていく。
すると、未だに茫然と立ち尽しているフィールカたちに気づいた様子で、ダインがこちらに近づいてくる。
「なんだテメェら、まだ生きてやがったのか。意外にしぶてーゴキブリ連中だなァー、おい。今から俺様があの化け物をブッ殺して来てやるから、さっさとそこをどきやがれ」
「——どうして」
不意に、地面に座り込んだまま俯いていたシエルがぽつりと呟くと、のろのろと立ち上がり激しく叫んだ。
「どうしてもっと早く助けにきてくれなかったのよ!! もうみんな死んじゃったのよ!? どれだけみんな最期まで辛かったか……あんたにわかる!?」
激情に燃える真紅の瞳に、悲痛の涙を薄く滲ませる。
しかしダインは特に同情した様子もなく、尚も悪態をつく。
「あァ? そんなこと知るかよ。なんで俺様がテメェらみたいな雑魚共のお守りをしなきゃなんねぇんだ? 自分の命一つも護れねぇ奴が、戦場にのこのこと入ってきてんじゃ——」
だがその言葉が終わらないうちに、レオンが彼の顔を憤怒に小刻みに震えた拳で殴りつけていた。
「てめぇ……いい加減にしろよ……! どんだけシエルちゃんが辛かったのかも知らないで、勝手なことばっか言いやがって!!」
「……相変わらず威勢が良いじゃねぇか、トサカ野郎。そういやあんときの喧嘩の借り、まだ返してなかったよなァ!!」
「ぐはっ……!」
今度はお返しとばかりに、ダインは空いていた左拳でレオンの腹を思い切り殴りつける。
腹を押さえてうずくまる青年と、さらに追い打ちをかけようとする青年の間に咄嗟に割り込み、フィールカは両手を広げて止めようとする。
「おい、こんな時に仲間割れなんてやめろ!」
「……仲間? 俺がいつテメェらの仲間に入ったんだ? ふざけんじゃねぇ!!」
ダインが毒突くと、レオンは地面に膝をついたまま怒りを滲ませた口調で激昂した。
「……そうだな。お前みたいな、仲間のことを何一つ思いやれない奴が、仲間を語る資格なんてねぇよ!!」
再び金髪の青年が殴りかかろうとした時だった。
「——グォオオオオオオオン!!」
突然、広場の中央に居座っていたイービルワームがけたたましく咆哮する。
耳を割るような唸り声に、フィールカたちは不快に顔を歪めるが、しかしダインだけは意に介した様子もなく前へと歩み出る。
「——どけ」
ぶっきらぼうにそう言うと、フィールカを突き放して魔虫の方へと歩いていく。
すると直後、無造作に剣を構えて勢いよく走り出す。
それに気づいたのか、イービルワームの体に再び魔力の光が帯び始める。その直後、徐々に地響きが大きくなってくると、不意に魔物の周辺の地面から、岩石のトゲが青年に向かって勢いよく突き出してくる。
「ダイン、避けるんだ!!」
あまりに無謀な行動に、フィールカは思わず叫ぶ。だが、そんなダインは不敵に笑ってみせると、
「——ケッ、そんな必要はねぇよ」
愛想の欠片もなくそう言い捨て、迫り来るトゲに臆することなく猛然と斬りかかる。
「ゴラァ!!」
鉄槌を叩きつけるような豪快な攻撃に、最初のトゲが一瞬で砕けたかと思うと——次々に襲いかかってくるトゲを軽々と破壊していく。
思わず目を疑うような光景に、シエルは唖然とした様子で驚愕の声を洩らす。
「す、すごい……!
シエルのみならず、フィールカやレオンたちもド派手な彼の戦いぶりには衝撃を隠せない。
とうとうダインはイービルワームの手前まで攻撃を凌ぎ切ると、力強く地面を蹴り空中に跳び上がる。そのまま裂帛の気合とともに魔虫目掛けて、突き出した剣尖ごと豪快に突っ込んでいく。
「ゴラアアアアアアアッ!!」
矢の如く空気を鋭く裂きながら、魔虫に剣が突き刺さる——そう思われた瞬間。
突然、イービルワームの体表の一部が黒い殻に覆われたかと思うと、そこから侵食して拡がるように全身を包み始める。
しかし、ダインはもはや攻撃を止めることができずにそのまま突っ込んでいくと、極めて堅牢な殻に剣は弾かれ、反動によって身体ごと後方に吹き飛んでしまう。
それでもどうにか空中で体勢を立て直し、しなやかな身のこなしで後ろに一回転して着地した瞬間、地面に剣を突き立てて大量の火花を撒き散らしながら余勢を殺す。
「チッ、さっきの攻撃よりずいぶん硬ぇじゃねーか。あれが本気ってわけか。ったく、俺様に最初から全力でかかって来ないで余裕ぶっこいてるとは、すんげえムカつく野郎だぜ」
不愉快そうに文句を洩らすと、すぐに後ろからフィールカが心配した様子で駆け寄ってくる。
「ダイン、大丈夫か!」
「ケッ、問題ねぇよ。あいつの相手は俺様一人で充分だ」
すると、ダインは粗雑に剣を肩に乗せ、再び独りで立ち向かおうする。
彼の向こう見ずな発言に、フィールカはどうにか引き止めようと言い聞かせる。
「いくらお前でも一人じゃ無茶だ!! 俺たちも一緒に協力する!!」
「ふざけんじゃねぇよ、あれは俺様の獲物だ。テメェらはさっさとその辺に引っ込んでろ!!」
激しい剣幕で罵られるがそれでも一歩も引き下がることはなく、フィールカは彼の正面に回り込み、深く頭を下げる。
「頼む」
「…………」
無言の返答。今度こそ相手にされないと思ったが、しかしダインはここで意外な反応を見せた。
「……勝手にやって死んでろ。言っとくが、俺様の邪魔したらタダじゃ済まさねぇぞ」
思いも寄らない言葉に、フィールカはすっと顔を上げ、小さく頷く。
「ああ、わかった。約束する」
最後に背中越しに「ありがとう」と一言だけ呟いてから、皆のところに戻る。
とても穏やかではないそのやり取りを見ていたレオンが、早速心配した様子で訊いてくる。
「おい、大丈夫だったか? なんか話してたみたいだけどよ……」
「ああ、それよりみんなに聞いてもらいたいことがあるんだ」
フィールカは早速シエルたちも集めてから、自分の意見を正直に伝えた。
「今からダインと協力して、俺たちも一緒に魔物に攻撃を仕掛ける」
すると、それを聞いたレオンがまず顔をしかめる。
「本気かよ、フィールカ。確かにあいつは強いが……決して俺たちと協力するような奴じゃないぞ」
「それでも今は、あいつにどうしても頼らないといけない時なんだ。俺たちだけの力じゃ、正直あの魔物に勝つのはかなり厳しい。皆が一致団結して戦うことが、いまの俺たちに与えられた最善策なんだ」
「でもよ……」
レオンはまだ納得がいかないといった様子で、傍らのシエルの顔を見る。
「そうね……。確かにあいつはとことん気に食わないけど、フィールカの言う通りだわ。今は一人でも協力者がほしい。——私たちだけでも生き残って、無事に帰還するためにもね」
少女の言葉を聞いて、レオンはやれやれといった様子で肩をすくめる。
「シエルちゃんがそう言うなら、俺も賛成するけどよ……。それでフィールカ、何か良い策はあるのか?」
表情を改めて作戦を
「それなんだけど、やっぱり危険な方法になるんだ……。まず最初に、魔物が
「クレイルです」
剣術科の元クラスメイトに感謝しながら、フィールカは話を続ける。
「この三人で行こうと思う。後衛のシエルとレオン、アルーナさんは俺たちが魔物を引きつけている間に攻撃を仕掛けてほしいんだ。これまでにない危険な戦いになる、それでもみんな引き受けてくれるか?」
四人の顔をゆっくり見渡すと、最初にシエルとレオンが口を開いた。
「私はいいわよ。どうせそれ以外に方法は無さそうだしね」
「俺もいいぜ。お前の提案に乗った」
二人が快く了解すると、アルーナとクレイルも続いて頷く。
「私も異論はないです。もちろん不安はありますけど……」
「そうですね。今こそ前衛部隊が活躍しないと、後衛部隊の方々に面目が立たないですし」
全員の心強い賛同に、フィールカはそれに応えるように感謝の意を伝えた。
「ありがとう、みんな。長い戦いだったけど、これで最後にしよう。俺たちで勝ちに行くんだ」
その言葉に全員が頷き、それぞれ所定の位置に移動する。フィールカとクレイルは前衛に移動すると、一人待っていたダインに横から念を押すように言われる。
「トドメは俺様が刺すからな。勝手に横取りすんじゃねぇぞ」
「いや、できるならいつでも頼むよ……」
フィールカは溜め息混じりにそう言うと、後方の三人にも再度確認するように伝える。
「魔物が攻撃してくるのを、俺とダイン、クレイルで接近して誘導する。殻が剥がれたら、透かさずシエルたちは予定通りに遠距離攻撃を頼む」
後衛部隊の三人は無言で頷くと、フィールカは
「よし、いくぞ!!」
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