• 主催者:真花
  • 2022年6月28日 18:34 作成
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参加作品数

42

参加受付期間

  • 終了

企画内容

こんにちは、真花です。

 これまで何度も「純文学」のイベントをやって来ました。それはもう、何年もやっとります。
 いつも悩んで、結局、純文学の定義を「文章自認が純文学」か「純文学の定義は自己責任で」と、書き手その人に純文学は何かを投げてます。それが最善だと思ってやって来ました。
 と言うのも、「読んだけど君の作品は純文学じゃないから、リジェクトしますね」と参加を管理するのが、とても私には出来ない。それぞれの考えがあっていいと思うし、それを否定する程に自分が正しいとは思えない。そういう考えがあるからです。
 純文学が文体を伝えるもの、とか、表現を追求するもの、とか、調べれば色々な意見があります。単に、日本にだけある、大衆文学の対概念として出版社が作ったものと言うのも。
 いつも小説を書いているソファに座って、空を見ていました。梅雨を明けたばかりの圧力のある空です。空と私の間にはエアコンがあって、二十七度の風を静かに送って来ます。だから私は快適で、パソコンをパカリと開けてカクヨムの自主企画の一覧を眺めて、目を瞑りました。私は外に出なくてはならない。こんな涼しさに甘えて汗もかかずにキーボードを叩いているだけじゃいけない。私はベランダに出ます。熱い風が私の髪を瞬間的に蒸し、肺に蓄えられた冷たい空気があっという間に暖かく湿ったものに置換されます。私は呟きます。
「そう言う作品が純文学なんじゃないのかな」
 直感したのは二つのこと。
 一つは熱量があること。読み手を焼き尽くすかも知れない熱です。
 一つはそれはきっとアートなのだと言うこと。ここで言うアートは書き手本人が最高だと思っていることを読み手に「問う」作品であることです。
 これを純文学の「真花的」定義として、問うことが必要なのではないか。いや、きっと誰にも求められてないよ、でも、そう言う気概で書いている人が他にもいるのではないか、自分ではこの定義でやっているつもりなのです、だから、やります。

純文学限定。
真花的純文学の定義の作品。

多数の応募をお待ちしております。

参加方法

参加する小説の設定画面で、自主企画欄にある「純文学限定。」を選択してください。

運営より

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参加作品一覧

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主催者

「言葉に出来ないものを言葉で表現する」 小説の存在理由はこれではないかと、今は思っています。 こんにちは、真花です。 上記をするために、純文学を中心に書いています。 真花は「まばな」と読みます…もっと見る

近況ノート

参加者 35