• 現代ドラマ
  • 現代ファンタジー

空気感とストーリーのバランス。

ここのところ、
空気感とストーリーのバランスと格闘している。
どちらも欲しくて、両立をさせようと思っている。
物語の面白さの二つの主軸だと思う。
なのに、
特にストーリーに力を込めると空気感が薄れる傾向にある。
これは、空気感を重視した作品の後に、ストーリーをちゃんとやろうとしたときに生じた。
空気感が重要だと自分で分かっているにも関わらずだ。
それで、しばらくストーリー中心のものを書いていた。その時に、バランスがストーリーに傾いていると言うことに無自覚だったのが問題で、事後的にはそうだと分かる。
で、空気感に回帰しつつストーリーもちゃんとしようとして、今はいる。
そしてこれを後から見たら、ストーリーが弱くなっていないか、ちょっと心配している。

空気感とストーリーがどっちかを取るとどっちかが取れないという関係なのか、
単に未熟さ故に両方を立てられていないのか、
それともどっちもがそれぞれに成長するからアンバランスになるのか……。
でも、
両方が素晴らしくあったらきっと、もっといい作品になると思う。

4件のコメント

  •  こんばんは。

     真花さんの作品を読めていない僕が言うのは変かもしれませんが、ちょっと思うのは、もしも、ここで言う「空気感」が、切なさや瑞々しさや閉塞感などの、作品全体を貫く《統一感》のことで、「ストーリー」が劇的(ドラマティック)な展開、つまり、登場人物の感情や関係性の《変化》やその激しさのことなら、両立しないとしてもそれは当然じゃないかなと思います。
     近代文学や純文学と言われる作品は「空気感」と「ストーリー」を両立させているように思えるかもしれませんが、筆者が知る限り、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、小川洋子、山田詠美、村上春樹などの面々の誰をとっても、作品内で緩急をつけたり、序盤と終盤で主人公の心持ちを変化させていたりするわけで、「全編を通して空気感が同じだ」などという論評したら誰かしらに怒られるのではないかと思います。
     時代設定や文体の「空気感」と、「ストーリー」が両立しないという話だとすると、それは書き手の側が悩むことではなく、読者の方々が勝手に感じるものだと思います。絵画でも、人間を描くときと果物を描くとき、岩石、金属などを描くときなどではタッチが違うもので、クリエイター側はそれぞれの作品において最適な表現を追求するために技術を駆使しなければならないものだと思います。これは小説にも言えます。たとえば『アルジャーノンに花束を』という作品では、一人称の地の文を担う主人公のIQが作中で高くなったり低くなったり変化しますが、空気感を守るためだと同じ文体で書いてしまったら、ストーリーが伝わりませんし、作品として成立しません。作品が激しいストーリーでありながら特定の空気感に貫かれていたということは、読者が作品を読み終わって事後的に思うことであって、書き手の側が「こういう空気感を演出したい」、「こういう空気感を受け取ってほしい」などと考えて、作品を曲げたり、表現に余計な手心を加えたりするのは、本末転倒だと思います。

     そもそもの話なんですが、読者は面白い作品を読みたいし、変な話、面白ければ何でもいいはずなので、「空気感」や「ストーリー」などは二次的な意味しか持たないと思います。
     ほかならぬ真花さん自身が、ブログやエッセイではなく小説という婉曲的な表現手法を使ってまで書きたいこと(テーマ)は何なのか、どんな人物が何をする話ならテーマを追求できそうなのか、書き上がった作品をどんな読者に届けたいのか、そのためにはどんな表現が最適なのか、といったことを、結論を言語化することはできないにせよイメージとして考えた上で、自分が書きたいものを書き、届けたい人に届けるときにどこにどんな技巧を凝らすのが効果的かを考えるのが、あるべき順序だと思います。先ほど言ったことと重なりますが、そういった作品性やテーマがしっかりとしていれば、「空気感」や「ストーリー」は後からついてくるものだと思います。
     もちろん、「私は自分が書きたいように書くだけだ」、「書きたいようにしか書けないんだ」というなら、こういった小難しいことは考えず、とりあえず書きたいように書けばいいと思います。そういう作品を公開できるのがカクヨムの良さだと思いますし、僕自身もどちらかと言えばそういうスタンスで小説やエッセイを書いています。ただ、どちらにしても、「空気感」や「ストーリー」にこだわりすぎることにはあまり意味がない、という結論になると思います。

     長文失礼しました。
     長々と書きましたが、的外れだったらすみません。
  • あじさいさん

     コメントありがとうございます。

     空気感については、作品全体を通底するものではないと考えています。物語が進むに従って変化して然るべきものです。そう言う意味ではなく、その場面場面の気配とか色味の様なものを指しています。
     テーマがあって、作品が生まれる過程は仰る通りの道筋を通ると思います。今回、空気感とストーリーの重心がどちらになるかについて困ったのは、その物語が小説になるときに「どのような表現型」で出るかについて、もっといい形があるのではないかと試行錯誤をしている最中にあるからです。空気感のために作品を曲げることなどなく、表現の手段の一つとして扱っています。
    「テーマがしっかりしていれば」「後からついてくる」とは考えていなくて、「そのテーマを伝えるのに最適なバランスは探さなくてはならない」と今は考えています。技巧を凝らすと言うことに含まれるのかも知れません。
     ただ、今後もっと練達すれば「後からついてくる」ものになるかも知れません。

     自分で書いていて何ですが、ちょっと迷子になっていて、頂いたコメントでもう一歩考えることが出来ました。

     ありがとうございます。

    真花
  •  そういうことでしたか。やはり、よく分かっていないのに軽々しく口を挟むものではありませんね。穴があったら入りたい気分です。
     大変失礼いたしました。申し訳ありません。
  • あじさいさん

     何を仰いますか。
     コメントを頂けると言うことは、すごく、すごく嬉しいです。
     頂いた言葉によって、私自身の考えも進みました。

     重ねて、ありがとうございます。穴に入らないで下さい。

    真花
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する