遺すものは色々あって、
お金や家などの財産、
子供そのもの、遺伝子とも言えるもの、
習慣や考えとかの生のもの、
でも、最近思ったのは遺されるものの中で一番強いものは、
声なのではないか。
私の中に遺された声。生きているときの声。
声は生命から発して、体と心の交点としてある。
その人そのものを反映しているものなのではないか。
そこから、小説のことを考えると、小説もその人そのものを反映している、つまり、声と同質のものなのではないか。
私の声を遺したい。それはつまり読み手に私の小説を遺すと言うこと。
いや、巣食わせると言った方が合っているようにも思う。
自分が小説を書き続けることの、自分でも分かっていなかった動機には、
読み手に自分の声(小説)を巣食わせたい、遺したい、と言うものがあったのだと気付いた。
それは相手を楽しませることと矛盾はしないけど、同義にはならない。
自覚が出たことで少し、変化が生じている。
この状態になってから書いたのが『同じ風』。
これまでとは一味違ったものになった。興味があれば是非読んでみて下さい。
『同じ風』
https://kakuyomu.jp/works/11054822663818033887