十分に吟味をしてからアップをしたのだけど、
何かが違う。
何かがおかしい。
その感覚が取れなかったのです。
一日を過ごしながら、隙間がある度に考えて、
夜になりもう一回読んでみてやっと、その理由がわかった。
作中に出てくる「不幸を撒き散らす装置」に、作品がなっている。
いや、別に読んだところでそんな感じは受けないよ、と言う方の方が多いとは思う。
けど、作品の命が、「彼女」と同じものになっている確信が出来た。
この作品を書きながら思っていたこと、それは、作品を誰かに届けると言うことの意味だ。
私は若い頃、ある歌手の歌で命を繋いでいた。もしその歌達と出会わなければ、まともに生きることは叶わなかった。
届けることを思うと、そのことが浮かぶ。
不幸を撒き散らす装置は、その真逆だ。
多分、人生でいちばん、届けるものの幅を目の当たりにしたのが今なのだ。
幅が出来るとその間が広く見える。
私は不幸を届けたいのか?
もし、伝えたいことを表現するのに必要ならば不幸も描こう。
でも、直接的に不幸を届けるのは違うんじゃないか。
それはただの排泄行為で、排泄物を投げつけているだけなんじゃないのか。
そんなのおかしいよ。
それを作品と呼ぶことは出来るだろう。なんであっても作者がそう主張すれば作品だ。
でも、私の作品にそんなの、いらない。
かと言って、生きる糧になるようなものを作るのもちょっと違うから、
その幅のどの辺りのことを届けたいのかを今一度考えなくてはならない。
その戒めとして、「毒花とジャム」には退場してもらった。
分からなくてやるならまだ仕方ないけど、awareになったならそれを放置することはもう出来ない。
どうして失敗しないと気付かないのだろう。
どうしてぶつからないと方向転換出来ないのだろう。
それともそうすること以外に方法はないのだろうか。
死太く繰り返しながら、少しずつでも前に進んで行きたい。