やっぱり自分に小説の才能があるのかとか考えることはある。
才能とは、何かをするのに適した能力がセットで秀でていることだと思う。いくつかの能力の組み合わせと言うことだ。
それは、生まれつきのものもあれば後天的に獲得するものもある。
何かを始めようと思ったときに、その能力のセットを持ち合わせているかと言うことが「初期」才能と言えよう。だが、何かをやっている内に伸びるものもあるから「最中」才能は変化成長しうるものだと思う。
加えて、成長のしやすさと言うのも能力の一側面としてあり、「成長の速度」「能力自体の強さ」の二軸で能力を評価するのがよいと思う。
しようとしている何か、のベースに能力は使われ、いずれカスタマイズされて行く。
それが、あるのか、ないのか、と言うのを知りたいと思ってしまう。
じゃあなかったからって、書くのをやめるかと言われれば、そんなことはない。
私自身として、運動や音楽は才能がないと言える。どっちも十年以上取り組んだ結果だ。伸びが悪いし、自分の持っている能力のセットと合ってはいなかったようだ。
小説の中で、コメディを書くことがあるのだが、これは微妙で、少なくとも、純文学を書くのより劣っているのを感じる。
で、肝心の純文学についてはどうかと言うと、才能がない、と言う感じはない。じゃああるか、と言うと分からない。多分、行くところまで行ったときに初めて、あった、かそうじゃなかったかが分かるのだと思う。「初期」と「最中」を自分で見ても分からない。
才能がない訳ではない。と言うのは曖昧さがあるが、福音でもある。
きっとある、と信じて書くことが出来る。
なくても書くけど。