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もう少し自分を剥く。

裸にすることが一番ではない。
晒せばよいと言うものでもない。
むしろ、裸よりも心の方が奥側にあって、物理的な限界の簡単な向こう側で、そこにある心をもうちょっと、剥くのだ。
傷付きたくなくて隠したり、何かぶったり、格好付けたり、私はどこかでしている。
その弾幕的雑音が、前よりもうるさく聞こえるようになった。
自分のだ。
物語を作ることは虚構を構築することだから、必ずノイズが入る。それを取り除くことは出来ないだろうが、偏光のように色味を統一することは出来るのではないか。
心を剥いたら出て来る色でそれが出来るかも知れない。
だが、それが目的ではない。
物語そのものが、もっと、血肉で出来た怪物になるのではないかと思うのだ。
私は怪物を生み出したい。
小綺麗な人形など要らない。
だから剥け。
心を剥け。

4件のコメント

  • 少し角度は違いますが、井上荒野さんの『生皮』を読んだときも、自分の皮は自分で剥くべきだと思ったことを思い出しました。あの本は、内臓も表紙と同じ赤色でできていました。
    "裸よりも心の方が奥側にある"という表現、すごく素敵です。心を剥くって苦しいけれど、真花さんの脱皮した後の物語を、私も読んでみたいです。
  • とても共感深く読むことができました
    私はそう迫られた時、その人にとって理解しやすい心を作り出したりします
    あたかもその人が自分の力で見つけ出したかのように心地良くさせてあげます

    やはり恥ずかしいものですからね
  • 夜市川 鞠さん

    「自分の皮は自分で剥くべき」に衝撃を受けています。逆さに言えば、人から剥かれる皮もあると言うことです。それはとても、とてもえげつない行為だと思います。それなのに自分で剥くとなると急に、尖ってはいるけれど正面を向くような意味を帯びます。
     表現を素敵と言って頂き嬉しいです。
     どんな脱皮後になるのかまだ未知ですが、やってみます。

    真花
  • アタオカしき(離席中)さん

     共感、ありがとうございます。
    「その人にとって理解しやすい心」を作り出して、「心地よくさせる」って、とんでもない技術です。でもそこに、少しの陰が差しているように感じました。私の文に共感されたのだから。

     恥ずかしさと言う視点は重要だと思いました。剥くことに必然的に関わるものです。きっと格闘することになると思います。

    真花
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