狂気には二種類あると思います。
間違った方向に向かっているものと、
行き先は問わず、行き過ぎているものです。
前者が質的異常、後者が量的異常と考えられます。
質的異常では、それはそれで誰かにとって面白いものが生まれそうです。
それが本人にとって面白いものなら、いいのかも知れません。
量的異常では、通常の範囲では到達出来ないところに至る可能性があります。
それが面白いかどうかは不明です。
足りない狂気、それはこの二つを併せ持ちます。
質的異常を持つと言うことは、自らの「面白い」の色彩を生む素になる可能性を否定せず、自分が他の人から見てどうかと言うことをうっちゃって、面白いと思える方向に進むことです。それは美しいとか心が動くとかの他の要素で計ってもいいと思います。客観的に見てどうかを捨てるとも言えます。もちろん、向いている方向が世界が求めているものと同じ場合もあるでしょうし、違うこともあるでしょう。
量的異常は、質的異常で定めた方向に、貫くと言うことです。前人未到のところまで進む。実際は自分の限界の一歩先くらいでしょうか。そうすることによって、これまで出会えなかったものと出会うことが出来る、表現出来る、かも知れない。何の保証もないですが、可能性はある。その可能性のために、膨大なエネルギーを使う。結果は出てみないと分からない。
そう言うことが必要なのではないか。
そう言う狂気が必要なのではないか。
なかなかこれは実践するのが難しそうです。
でも、気付いてしまったからにはやってみます。