• 現代ドラマ
  • 現代ファンタジー

足りないのは狂気ではないか?

狂気には二種類あると思います。
間違った方向に向かっているものと、
行き先は問わず、行き過ぎているものです。
前者が質的異常、後者が量的異常と考えられます。

質的異常では、それはそれで誰かにとって面白いものが生まれそうです。
それが本人にとって面白いものなら、いいのかも知れません。

量的異常では、通常の範囲では到達出来ないところに至る可能性があります。
それが面白いかどうかは不明です。

足りない狂気、それはこの二つを併せ持ちます。

質的異常を持つと言うことは、自らの「面白い」の色彩を生む素になる可能性を否定せず、自分が他の人から見てどうかと言うことをうっちゃって、面白いと思える方向に進むことです。それは美しいとか心が動くとかの他の要素で計ってもいいと思います。客観的に見てどうかを捨てるとも言えます。もちろん、向いている方向が世界が求めているものと同じ場合もあるでしょうし、違うこともあるでしょう。

量的異常は、質的異常で定めた方向に、貫くと言うことです。前人未到のところまで進む。実際は自分の限界の一歩先くらいでしょうか。そうすることによって、これまで出会えなかったものと出会うことが出来る、表現出来る、かも知れない。何の保証もないですが、可能性はある。その可能性のために、膨大なエネルギーを使う。結果は出てみないと分からない。

そう言うことが必要なのではないか。

そう言う狂気が必要なのではないか。

なかなかこれは実践するのが難しそうです。
でも、気付いてしまったからにはやってみます。

4件のコメント

  • レベルの高い良作を質的にも量的にも書けるというのは、真花さんの創作の軸がしっかりしているからだと思います。

    真花さんは、創作者として高い視座から読者や他の書き手に対して小説を提示しているのでしょうか。
    それとも我々書き手と同じ地平に立ち、マラソンで言うなら集団の中で息を切らして早く集団から抜け出たいと思っているのでしょうか、それとも集団を遠く引き離し、トップを独走しているのでしょうか。

    「無限大」で尋ねたかった「同じ所にいますか」とはそういう意図でした。

  • 一通り読ませていただきました。

    「狂気」。
    この内容は僕も以前から考えていることです。
    天才と呼ばれる人は漫画家、小説家、他の業界にも何人かいますが、図抜けた天性の才能の他に、執念にも似た努力をしていると思ってます。

    図抜けた天性の才能というのは、凡人からしたら「狂気」とも受け取れる。

    執念にも似た努力とは例えるなら、
    「それ以上は心身を壊すからもうそこまでにしておけ」
    と周りから止められても、止めてしまうと落ち着かないから止められない。それは正気を逸脱して「狂気」に入っている。

    そういうことじゃないかな、と思いました。

    駄文、失礼いたしました。
  • 亜咲加奈さん

     同じ所の意味を理解しました。
     私は、集団の中から、いつか抜け出してやるぞと気炎を吐いてはいるものの、抜け出せない状態です。何かいい方法がないかと日々試行錯誤しています。

    真花
  • つばささん

     狂気。
     常軌を逸した努力、と言うことですね。
     
     才能があると言われる人こそ、そう言うことをしていて、それらが合わさって、とんでもない作品に繋がる。

     ならば才能があるかないかも分からない人は、私も含めて、やるしかないと言うことですよね。才能の有無をどう測るかについては何とも言い難いのでここでは置いておきます。

     考えが一つ深まりました、ありがとうございます。

    真花
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する