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無関係だから熱中する。

野球の試合の結果がどうであるとか、
将棋の対局の勝敗がどうであるとか、
どっちだって、明日の私に影響はない。
同じように、小説の主人公がピンチだろうとチャンスだろうと、
マンガのキャラクターが死のうと生きようと、
どっちだって、明日の私に関係はない。

でも最近思うのは、それくらい無関係だからこそ、深く熱中出来るんじゃないかと言うこと。
野球や将棋で賭博をしていたり、
物語の内容に自分の人生が影響を受けたりしたら(感動するとかと言う意味ではない)、
自分の身の安全とか、金とかのことが気になって、純粋に熱中出来ないのではないか。

だから、実世界と無関係な物語を作ることには、純粋な熱中を生みうると言う点に於いても意味があるのだと思う。

距離が生む熱中。
人の心のシステムの大事な部分かも知れない。

2件のコメント

  • 無関係であり、一切の責任を問われることがないからこそ、心置きなく熱中し感動できるというしくみだと思います。
  • 野栗さん

    「一切の責任を問われることがない」から「熱中し感動」する。
     その通りだと思います。


     コメント、ありがとうございます。

    真花
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