世界においてとか、そう言う客観的にも言えるような「新しい」ではなく、
自分の小説活動において「新しい」と言う範囲のものの話です。
次に何かをするときには「新しい」ことを何かしたいと考えていて、
それが連なって行くと作品はよりよいものにいずれなっていくと期待しています。
過去の作品と近い過去と、今と、を見比べてみると、それは叶っているのではないかと思います。
ですが、「新しい」と自分が思うことがいつも素晴らしいものではない、と言うことも見て取れます。いまいちな作品も紛れ込みます。そのいまいちが最新作の時間もあります。
つまり失敗作です。
では、失敗作を出さないように慎重に「新しく」「最高」を出し続けるのと、
失敗作になるリスクを負ってでもよりたくさん「新しい」を重ねるとの、
どっちがいいのでしょうか。
ポイントとなるのは、作品を生み出した時点で自分でそれが「最高」なのか「失敗作」なのか、よく分からないと言うことがあります。いや、そのときには「最高」と思っています。
その後作品を連ねて行くと、だんだんと元の作品の具合が分かってきます。
作品群としての流れの中で、個々の強さが把握される感じです。
と言うことは、「新しく」「最高」を出し続けている、つもり、でやっていくしかないように思います。そして実際は失敗作になるリスクを負っている状態でです。
数が多い方がリスクが分散されそうなことと、シンプルに進歩のチャンスが多くなるので、手数は多い方がよさそうです。
そう考えると、チャップリンの「最高傑作は次回作」は強い自信の表れだと感じます。だって、単回の「次回作」ほどどっちに転ぶか分からないものはない訳ですから。
私にはそこまでの自信はないので、「新しく」「最高」のつもり、で書いていきます。
いつか届きますように。