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純文学について

 大枠で、書きたいのは純文学だということが分かっていたけど、じゃあ純文学って何か、それが見えて来た。

 まず、純文学という枠に嵌め込むのは違って、むしろ純文学は自由だということ。
 文体も自由だし、地の文が多くなきゃいけないこともないし、描写に凝らなきゃいけないこともない。会話文だけだって構わない。
 それ以上に文章の構造も自由。時系列や人称だけじゃない、文の構造全部だ。起承転結的なものとかも含む。
 だから、何でもあり。
 ラノベそっくりだっていい。詩でもいい。
 それらは、伝える手段の階層だ。
 つまり、「どう」伝えるかの階層。
 ここは、限りなく自由だ。

 その前には「なにを」を伝える階層があって、ここが「テーマ≒自分≒ペルソナ」を元に決められていることが純文学、アートとしての小説の特徴と今は思う。それはもう一つ上の階層だ。

 書いた本人しか分からないかも知れない。
 読み手はそんなこと考えてないのかも知れない。
 それでも、そういう構造を持っていることが純文学なのではないか。
 だから、面白くても問題ないし、読みやすくてもいい。

 これが、今日の私の純文学の理解だ。

 で、

「舌なし目なし」をそれに基づいて書いた。
 よかったら読んでみて下さい。

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