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企画内容

 我々、ヒトという個体は各々の思考や思想といったものを文字や言葉に乗せて伝播する事ができます。その一形態が小説や詩です。
 国際化や相互理解が叫ばれて久しいこの社会においては、様々な問題が噴出し、お互いを終ぞ理解し合えず、罵倒や誹謗中傷、断種、優生思想と政治と権威主義が奨励され、分断や孤立こそが正しいといった風潮が強まってきております。
 私の言っている事が最も正しいのだと、我々こそが正義であると、間違っているのはあいつらなのだと、人々は固く信仰しております。それは現代の技術では、ヒトはその脳味噌の中身をそのまま丸ごと共有する事が出来ないからです。(あるいはその相互理解のプロトコルを実行する為にも、将来的にはプログラム的な言語が必要となると予想されます)
 その為に通訳・解釈(Interpretation)の意味と重要性が増しています。言葉そのものも、そのひとつです。(というよりも、小説や詩といった媒体においては、言葉の他に他者と繋がる手段を持たない、と言ったほうが正確です)

 たとえば情報通信網(Internet)や国際(International, Transnational)、性別中間者(Intersex)や性役割越境者(Transgender)、異人種間(Interracial)、超人間主義(Transhumanism)といった語には、それぞれ<inter->「中間の」、<trans->「……を越えた」といった意味の接頭辞が付いています。
 それらは同様に、仲介者(Intercessor, Mediator, Peacemaker)――すなわち翻訳者(Translator)や通訳者(Interpreter)がそうであるように、違っているもの、異質なものたちの「間に立って」「境を越えて」、それらを執り成す素地があるものだと思考します。
 或いは理解し合えないかもしれません。
 少し切り口を変えてみましょうか。

 中間小説という語は、もともと純文学とエンターテインメント小説(大衆小説)のあいだに分類されるような小説を指したそうです。
 芸術性を重きとする純文と、娯楽性を重視する大衆小説の中間に位置するといった意味ですね。
 もちろんその意味合いにおいての「中間小説」でも構いません。
 だけど考えてみてください。
 この世がそこまでハッキリと白と黒に分かれていますか?
 そこには黄色もあれば、赤色や茶色もあるのではないですか?
 境目を作っているのは、誰なんですか?
 そうした方が都合がよいのは、何故なんですか?
 価値や善悪とは、何によって定められているのですか?
 「中間」や「境」とは、何によって決められているのですか?
 なぜ我々は互いを理解できないのですか?
 それらの間を取り持って、執り成して、個人と個人の境界を越えてゆけるような物語は存在し得るのですか?

 まあそんな七面倒くさい陰謀論くさい事は割とどうでもよく、何故なら人間が言葉によって繋がろうと試みる事自体が既に仲立ちと越境とを試みていると言えるからです。
 すなわち自覚的無自覚的を問わず、インターネットに公開されている文章、小説、詩は全て前提として「インター」的、「トランス」的であると言う事が出来ます。(わざわざこの企画によってラベリングされるまでもなくね)
 言葉を介し他者の存在を前提しているのだからそれから逃れる事は出来ない。
 言い方を変えれば、例えばフツーの恋愛小説だって、「相手を理解」しようと努めていたり、「相手との境、一線を超えたい」と登場人物が思っていたりするわけです。
 特にも、「中間」「越境」と言った題材やテーマ、モチーフが含まれるような作品(テキスト)は、それにある程度自覚的であるのだと思います。

 そしてこの怪文をわざわざ最後まで読んだ人(たち)の琴線に触れるような文章が集まればいいのだと思います。

参加方法

参加する小説の設定画面で、自主企画欄にある「中間(Inter)小説、越境(Trans)小説」を選択してください。

運営より

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