第1章

第1話「魔術師マーリン(16)」

 「し、死んでる……⁉」

 人が、倒れていた。

 家を出た瞬間、俺の視界に入って来たのは、道路にうつぶせに倒れ、背中に剣が突き刺さった人間だった。


 「だ、大丈夫ですかっ⁉」

 「し、しぬ……」

 声をかけたところで、倒れていたのが少女だとわかる。

 金髪に青い瞳。外国人だろうか。よく見ると美少女じゃないか?


 「そ、それより病院! 救急車! いやパトカーっ⁉」

 「し……ぬ……」

 「大丈夫だ、落ち着け、すぐ病院に連れて行くからなっ!」

 「ぬ……」

 「ぬ?」


 「ぬ……ぬ……ぬ……」

 うめき声をあげる少女を見て、俺はようやく、彼女の言いたいことを理解する。

 「ああ、『抜く』のか、この剣を!」

 こくこくこく。

 すごい勢いで、倒れたままの少女は首を縦に振る。

 そのせいで、地面に顔がこすりつけられている。


 「わ、わかった、やってみる!」

 俺は、カバンを地面に置き、制服を腕まくりして、剣の柄を握ろうとした……だが。

 もしかして、このまま剣を抜いたら、傷口が広がって、血が出るんじゃないのか⁉

 俺は慌てた。

 素人判断で勝手にやってもいいものだろうか。もし、ケガが悪化したりしたら……!

 「なあ、やっぱり、救急車……」

 がしッ! いや、ぐわしいッ!! と、彼女は俺の足をつかんできた。

 「ぬ、ぬ、ぬーーーーーー!!」

 「わ、わかった、すぐ抜く! 今、抜くから!」

 彼女の気迫に押され、俺は、剣の柄を握った。


 「うおおおおっ!」

 気合い一閃。

 俺は剣を抜いた。拍子抜けするほど、すぽーんと抜けた。

 どう考えても、金属製の剣の質感がある。

 なのに、同じくらいの大きさの棒切れより軽い。


 「はあはあ、し、死ぬかと思った……」

 「おい、大丈夫か?」

 倒れていた少女は膝をついて、地面に手をつき、息を切らしている。

 俺は、剣を放り出して、しゃがみこみ、彼女に訪ねる。

 「あれ、ケガは⁉ 血は⁉」

 あれだけ、でっかい剣が背中を突き刺さったら……いや、明らかに身体を貫通して、地面に突き刺さってたから、胸まででっかい穴が開くんじゃないか⁉


 「な、なあ、大丈夫なのか⁉」

 俺は、彼女の服を脱がすことにする。失礼かもしれないが、この際、しかたない。緑色の服は今まで見たことないデザインで、まるで、魔法使いのローブみたいだった。

 「ちょっ!? なにすんのよ!」

 「だって、ケガしてるだろ⁉」

 「バカ! やめなさい、アーサー!」

 「え?」

 突然、俺はあだ名で呼ばれ、動きを止める。

 ちょうど、服の後ろ側を無理やり脱がせ、彼女の白い肌が、露出したところだった。

 しかし、背中には、なんの傷もなく、血の流れたような跡もない。


 「し……」

 「し?」

 「しねーーーーーーーーっ!」

 俺の身体は宙を舞った。彼女の拳が、俺の顔面を強打し、そのまま弧を描いて、空中を飛翔、と同時に、頭が電柱に叩きつけられた。

 「がふっ!」

 「信じらんない! いきなりなんてことするのよ!」

 こっちが聞きたい。


 彼女は、立ち上がり、乱れた服を整え、地面に倒れた俺をにらみつけていた。

 どうやら、本当に、どこにもケガがないみたいだ。

 よかったけど……なんでだ?


 「アーサー」

 彼女の青い瞳が、冷たい輝きを持ち、俺に向けられる。


 「あなたは死ぬわ。アーサー」

 「え?」

 何言ってんだ、こいつ……。おまえのパンチで、まさに今、死にそうだったけど。


 「あなたは、ダブル不倫が露見したあげく、自分の監督下のコミュニティが崩壊して、血みどろの争いになり、最後、殺されて死ぬ運命にあるの。これまでも、これからも、そうだったから、きっと、今回もそうね」


 ……はあ!?


 「何の話だよ!? 剣に突き刺されて死にそうだったの、おまえのほうじゃないか。なのに、俺が死ぬって……」

 「私は死なないわ、アーサー。今、ここにいたのは……まあ、説明しても、今のあなたには、理解できないでしょうね」

 「いや、理解できないさ、意味不明だし、だけど」


 こいつの話は本当だと、俺の直感は告げていた。

 なんで本当だと思うのか、理由はわからない。

 こんな、初対面の、正体不明の女。

 剣が突き刺さってて、ケガしてるはずなのに、なぜかケガしてなくて……。

 しかも、俺のあだ名を知っていて……。

 でも、いろんなおかしなことが、彼女の不吉な発言に、信憑性を与える。


 「あなた、彼女、いるんでしょ?」

 「お、おう」

 俺は、少女にうなずく。

 彼女とは、つきあい始めてからだいぶたってるが、他人から言われるとちょっと照れる。

 「あなたの彼女、別の男に寝取られてるから」

 「は⁉」

 「あなたが親友と思ってる男よ。ずっと仲間だと思ってた男と、自分の愛してた彼女に、あなたは裏切られるのよ」


 少女は、緑色のローブを翻し、背を向けて、歩き去ろうとする。

 「待てよ、おい、おまえは……⁉」


 彼女は振り向く。

 「私は魔術師マーリン。キャメロットで待っているわ」


 茫然としている間に、マーリンと名乗った少女の姿は、どこかに消えてしまった。


 そして。

 「剣が……ない!?」

 さっきまでそこにあったはずの、あの大きな剣は、どこかに消えてしまっている。


 (どういうことだよ……)

 俺は混乱しつつも、カバンを拾い、学校へと向かう。

 頭がずきずきする。

 これは、さっき、ぶっ飛ばされて、電柱に頭が激突したせいだろう。


 (コスプレ厨二病女のいやがらせか? 剣は手品で刺さってるように見せた、とか)

 いや、それにしては、手が込みすぎている。

 (だとしても、どうして、俺のあだ名とサークルを知ってるんだ?)


 俺の名前は安桜あさくら朝生あさお

 子どものころからずっと、あだ名はアーサー。

 だから、騎士道物語『アーサー王伝説』にちなんで、自分のサークルを「二次元同好会キャメロット」と名付けたのだ。

 キャメロットとは、アーサー王と円卓の騎士の住む、宮殿の名前である。

 ゲームやアニメ、漫画やライトノベル。そういうものをこよなく愛する俺たちは、自分たちの好きなものを語り、遊びつくして思いっきり楽しむ場所を持っていた。

 二次元同好会キャメロットは、俺たちの楽園だったのだ。

 

 胸騒ぎがする。

 俺は、学校につくと、直接、キャメロットの部室へと向かっていった。

 文科系の部室は、プレハブ造りの建物で、ひとつひとつが個室になっている。

 まだ、朝早いから、誰も来ていないかもしれない。

 だけど、もしかしたら……。


 「美亜みあ

 俺は、プレハブの玄関に、彼女の靴を見つける。

 「さっき、変な奴が来たんだ。キャメロットに行くとかなんとか……」


 がたり。


 俺の彼女……姫城ひめしろ美亜みあは、部屋の奥から、こっちをじっと見つめてくる。

 美亜の傍らには、サークルメンバーの槍多そうだ小太郎こたろうが立っている。

 槍多は、驚いたような、おびえたような顔で、俺のことを見返してくる。

 「……おまえら、なにしてるんだ?」


 槍多の服は、上半身がはだけている。

 よく見ると、ズボンのベルトも外れている。

 

 「なあ、美亜。まさか……」

 さっきの、マーリンの言葉が頭をよぎる。

 

 不倫ってなんだよ。俺たちまだ結婚してないし。

 いや、そういうことじゃなくてだな……。


 「そうよ、アーサー」

 美亜の声は、やけに落ち着いていた。

 「私たち、つきあってるの」

 硬直する俺を前に、美亜は、淡々と続ける。


 「アーサー、鈍感な人ね。でも、私は、あなたのそういうところ、嫌いじゃなかった」

 「お、おい」

 堂々と浮気を認められ、俺は、何を言っていいのかわからなくなる。


 「う、うわあああああああああああああっ!」


 突然、槍多が、大声をあげる。

 「ち、ちがうんだ、アーサー! 君を裏切るつもりはなかったんだ! だけど、僕は、僕は、僕は……!! ずっと、美亜のことを……!!」

 「何を言ってるんだよ!?」

 俺の声は、自分で思ったより、ずっと、冷たく、重たいものだった。


 「おまえら、よくも、こんなこと……しかも、キャメロットの部室でしてやがったな!」

 俺は、槍多に詰め寄っていく。

 槍多は、涙を流し、何かをわめき続けているが、かまわない。


 「アーサー」


 ふいに、美亜の声がして、背中に熱い感触が広がる。


 「美亜……?」

 振り返ると、俺の最愛の人は、天使のような微笑みを浮かべていた。

 「ねえ、アーサー。私、ランスロットを守らないと。だって、私の愛する人なんだもの」


 美亜は、何を言ってるんだ?

 そして、彼女の手に握られている、あの刃物は、なんだ……?

 

 美亜は、さらに、俺の胸に、まるで飛び込むように、腕を伸ばしてきた。

 「アーサー。あなたのことも、確かに、愛していたわ」

 今までで一番美しい笑顔の、美亜の手に握られた刃物が、俺の胸を貫いた。


 身体が前のめりになり、床に倒れる。

 闇が世界を覆い尽くす。

 そして、もう、美亜の声も聞こえない……。


 「し、死んでる……⁉」

 なのに、なぜか、最後に、槍多が取り乱して叫ぶのが聞こえたような気がする。



 いつのまにか、闇に包まれた世界から抜け出し、光が差し込んでくる。

 目を開けると、見知らぬ場所に座っていた。

 大きな広間。高い天井。床には絨毯。壁には豪華なタペストリー。

 この石造りの建物は、どう見ても、学校じゃない。


 ……ここは、中世の城だ!

 本物の……あの、アーサー王伝説のキャメロット城だ!


 「おかえりなさい、アーサー」

 緑色のローブの魔術師が、玉座に座った俺に話しかける。

 「マーリン?」

 今朝の道路で出会った少女は、「本物のマーリン」だったんだ。


 「アーサー、あなたは、グィネヴィア王妃と、湖の騎士ランスロットの不義を、長い間、黙認していましたね」

 過去の記憶がよみがえってくる。

 そうだ、たしかに俺は、「本物のアーサー王」で……。

 マーリンが言った通り、妻であるグィネヴィアと、俺に仕える騎士ランスロットの不義を、知りながら、ずっとそのままにしていた。


 「やがて、あの二人の不義を元に、国は滅びることになるでしょう」

 マーリンは、悲しそうに俺に告げる。

 「そして、あなたの不義によって生まれた子、モルドレッドにより、あなたもまた、その身を撃ち滅ぼされ、永遠の眠りにつくことになるでしょう」

 「俺の不義……?」

 思い出せない。俺の不義ってなんだ。

 モルドレッドはアーサー王の息子。だが、グィネヴィアとの子ではない。


 だけど、俺は……。

 視界がゆがんでいく。身体に重力を感じなくなる。

 奇妙な感覚とともに、城は消えていく。



 気づいたとき、俺は、自分の家のベッドにいた。

 「夢オチか……?」

 「いいえ、違うわ」

 ベッドの上で、マーリンが顔を覗き込んできた。

 「うわああっ!」


 「アーサー、私はこの、無限に繰り返される時空ループ脱出の手助けをする」

 「無限に繰り返す……だって?」

 冗談じゃない。まさか、こいつがいうとおり、俺は何回も死ぬっていうのか⁉


 「大丈夫よ、アーサー。私は魔術師マーリン。世界一の知恵と知識を持つ、魔術師なのよ」

 「俺は、いったいこれから、どうしたらいい?」

 「まだ、すべてを語ることはできないわ。でも、あなたを必ず、救い出してみせる」

 マーリンは、にっこりと笑みを浮かべた。 


 「あなたは、過去の王にして未来の我らの王。騎士の中の騎士、アーサー王なんだから」

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