第4話「アーサー王の不義」
美しい女性がいた。
王妃グィネヴィアでもない。
中世の衣装を身に着けた、年上の女性だった。
彼女の身に着けた衣に、俺は手を伸ばした。
いや、正確には、俺ではない。
アーサー王だった。
そう、これは、前世の記憶であった。
まるで幽霊のように、あるいは夢のように。
俺は、すぐ近くでその様子を見守っているのだ。
部屋の明かりはランプだけで、美女はそっと、優しくその火を消した。
月明りだけが、彼女の白い肌と、赤い唇を照らし出す。
俺は……アーサー王は、そっと彼女を抱き寄せ、口づけを交わした。
彼女こそが、ロト王の妃、モルゴースだった。
アーサー王の盟友であるロト王は頼もしい男だった。
騎士ガウェインは、ロト王とモルゴースの息子である。
……あれ?
そして、時は過ぎ、アーサー王は、キャメロットの玉座にいた。
つい最近、モルゴースが子どもを生んだという知らせを聞いた。
「大変なことをなさいましたね」
マーリンは、冷たい視線をアーサー王に向けた。
「他の王の妃との不義だけではありません」
マーリンは、冷徹に続けた。
「モルゴースは、あなたの異父姉でもあるのです」
アーサー王は、うなずいた。
「ああ、だが、そのことは、モルゴースとおまえしか知らない」
ちょ、なに言ってんだよ!
おまえには王妃グィネヴィアがいるだろうが⁉
友達……盟友の王の妃に何してんだよ!
あと、生まれた子の責任、どう取るつもりなんだよ!?
俺の心の叫びは、当然、前世の記憶に交じることはない。
「あなたの不義の子、モルドレッドは、やがて、反旗を翻し、あなたを殺し、王位を簒奪するでしょう。そして、この国は、永遠に滅び去るのです」
マーリンの言葉に、アーサー王は狼狽した。
「今、モルドレッドはどこにいる⁉」
「わかりません」
「おまえの魔術を持って探しつくせ!」
アーサー王は、さらに、唾を飛ばして叫んだ。
「たしか、モルドレッドは、5月1日に生まれたといったな。その日に生まれた赤ん坊を、全員、船に乗せるのだ!」
そうだった! アーサー王ってこういう話だった!
こいつ、赤ん坊を全員、穴の開いた船に乗せて、海に流して殺す気だ!
『やめろ!』
俺の声は、俺自身にしか届かないようだった。
そのまま、風景は変わり、アーサー王は船着き場へと向かう。
そして、船が、沖に向かって出港する。
そして、やがて、水平線の向こうに姿を消していく……。
「ダメだっ!」
俺の声は、暗い部屋の中に反響した。
見覚えのある、懐かしい場所。深夜の、自分の部屋のベッドだった。
全身に、ひどい汗をかいている。
「これ、全部、夢……ってわけじゃないよな?」
そもそも、俺は、美亜に屋上から突き落とされたはずだった。
そして、そのまま……命を落としたはずだ。
美亜は、思いもかけない力で、俺を突き落とした。
いつものような笑みを浮かべたまま。
それらは、とても、常人になしえることとは思えなかった……。
「これが、あなたにかけられた呪いなのよ」
部屋の奥から、マーリンが現れて言う。
「呪いだって⁉」
俺は、座っていたベッドから飛び出し、マーリンに食ってかかる。
「どうしてこんなことになったんだ⁉ 俺はなんで殺されないといけないんだ⁉」
マーリンは、表情を変えず、俺を見つめ返す。
「教えてくれよ! なんで、なんでなんだよ!」
「アーサー。あなたは、前世で、私の亡国の予言を聞き、どんな手段を用いてでも、それを回避すると約束したわ」
マーリンは、決意を秘めたような、強い瞳で俺を見た。
「私は、魔法の力で、あなたの国とキャメロットの宮廷を守ることにした。そして、そのかわりに、あなたを永遠のループへと導いたの」
「じゃあ、おまえのせいで……!」
マーリンのせいで、俺は、何回も殺される目にあったのだ。
なんで生きてるのかわからないけど、これが呪いだっていうのかよ!
俺は、マーリンの襟首をつかんでいた。
しかし、マーリンは抵抗しなかった。
我に返り、俺は手を放した。
「すまない」
そうだった。こいつのせいじゃないはずだ。
マーリンは、国と宮廷を守るため、魔法を使ったんだ。
最初に会った時に、家の前の地面で、身体に剣が突き刺さって倒れていたのも、きっとそれが……呪いが、関係あるんだろう。
マーリンだって苦しんでいたんだ。
この子は、俺やみんなのことを考えてくれていたはずなのに……。
いつもと違って、マーリンは静かだった。
俺に殴り返してきたり、言い返したりしそうなのに。
俺は、おそるおそる、また別の、気がかりなことをたずねた。
「なあ……。さっき見た、夢……前世の記憶、だっけ……。船が沖に出た後に、どうなったかわからなかったんだけど」
あの船は、沈んでしまったのだろうか?
「モルドレッドは死んでいないわ。あなたも『知ってる』でしょう」
マーリンが言っているのは、現代のアーサー王伝説のことだろう。
「あの子は、親切な人に拾われて、代わりに育てられることになったの」
そう、確かにそうだった。
アーサー王の、自分の命を守ろうとする、この企ては失敗に終わるのだ。
モルドレッドは、予言の通りに、アーサーの元に舞い戻る。
最初は、優秀な騎士として忠誠を尽くすが、やがて、予言の通りになり、モルドレッドは反逆者となる。そして、最後は、アーサーと相打ちになってしまうのだ。
「だけど、他の赤ん坊は……?」
「全員が無事よ。あなたの王国を滅ぼさないのが私の務めだもの。魔法の力で、本来の時空の流れはゆがめられて、モルドレッドも他の子どもたちも助かったのよ」
「そうか……」
安堵のため息とともに、俺はベッドの上に座り込んだ。
だが、まだ、釈然としないことはある。
「なあ、なんで、俺が、俺だけが、アーサー王の前世なんて背負わないといけないんだ?」
「あなただけじゃないわ、アーサー。キャメロットのみんなだってそうよ」
マーリンは、感情の推し量りがたい表情で続けた。
「前世を受け入れるのは、アーサーだけじゃなく、全員の宿命なの」
「じゃ、じゃあさ!」
俺は、恐れを振り切るように言った。
「どうすれば、このループから逃げられるんだよ!? いつまでも殺されたくねえよ!」
「あなたは、逃げることはできないのよ」
「でも、終わらせることはできるはずだろ。これ以上は……」
これ以上、美亜に罪を重ねさせたくない。
それに、誰のことも傷つけたくない。
「俺はこのループを終わらせる。なんとしてでも!」
マーリンはうなずいた。
「ええ、私はそのために来たのよ」
「まずは、どうすればいい?」
マーリンは、沈黙した。
「教えられないっていうのかよ?」
「ええ、アーサー。これも魔法だから」
すごい、疲労感が、俺の身体を支配していった。
「地道に、自力で解決方法を見つけるしかないのか……」
身体が重い。
俺は、再び、ベッドにあおむけに倒れ、眠りに落ちた。
今度は、夢をみずに、朝までぐっすりと眠った。
翌日。
起床したのは、けっこう、ぎりぎりの時間だった。
マーリンとともに、俺は早足で登校する。
「今日の日付って、昨日の1日後だよな?」
「そりゃそうでしょ」
マーリンはバカにするような視線を向けてきた。
朝起きたら、彼女は、いつもの調子に戻っていた。
「だって、ループするっていうから、時間が戻るんじゃないのか?」
「魔法で、時空を移動して、『何もなかった状態』になってる、っていうのに近いわね」
「じゃあ、俺は、昨日の昼間から深夜に移動したってことか?」
「そう。だって、その前も、時間が経過した状態で目が覚めたでしょ?」
たしかにそうだった。
「じゃあ、今度こそ、美亜に殺されるような状況は避けないとな……」
もはや、
王妃グィネヴィアと、湖の騎士ランスロットが、あいつらの前世だった。
あいつらも、前世と同じことを繰り返しているのだろう。
「だけど、アーサー王って別に、グィネヴィアに殺されるわけじゃないよな?」
冷静に考えると、そのあたりがおかしい。
「伝説は伝説。前世は前世。何事も史実通りには伝わらないの。歴史ってそういうものだから」
「じゃあ、前世でアーサーがグィネヴィアに斬られたのは?」
最悪の夢……ではなく前世について、マーリンに訊ねてみる。
「あれも、時空の移動で、『なかったこと』になってるの。記憶はなくならないけど」
「……できれば、思い出したくないんだが」
「ダメでしょ。忘れたら、また同じことを繰り返すでしょ」
「
「心外ね。私はあなたの味方よ、アーサー」
そんなことを話しているうちに、俺たちは学校についた。
周りで聞いてたら、かなり変なことを話してたと思うけど、気にする奴はいなかった。
あと、マーリンの服装も、なぜか誰も気にしない。
いかにも魔法使いという感じの、緑色のローブ姿、かなり目立つと思うんだが。
(これも魔法の力なのかな……)
教室に行く前に、キャメロットに立ち寄る。
やっぱり、いろんなことが気になったからだった。
美亜は、どうしているんだろう。
朝だから、部室にはいないかもしれないが……。
一度、ちゃんと、話をしておきたい。
キャメロットの部室の扉は、物思いにふける俺の目の前で、勢いよく開いた。
「アーサー!」
少女が笑顔で立っていた。
小柄で、きゃしゃな女の子の顔には、見覚えがある。
「もゆるじゃないか!」
従妹の
「ひさしぶりだね」
「ああ、何年ぶりかな……って、なんで、おまえがここにいるんだよ!」
「……なにから話そうかな」
もゆるは、手をもじもじと重ね合わせる。
「アーサー。これで、私たち、結婚できるはずだよね」
「え?」
もゆるの言葉に、俺は固まった。
「なにそれ、どういうこと?」
マーリンが、俺の後ろから、もゆるの様子をのぞきこんで言う。
「そうよ、アーサー」
聞きなれた声が、続いた。
鈴を転がすような声なのに、まるで、地鳴りのようであった。
「どういうことなの、アーサー?」
美亜が、部室の奥からゆらりと現れた。
「彼女がいるなんて嘘でしょ、アーサー?」
もゆるも、俺に詰め寄ってくる。
「いや、その……」
俺が、それ以上、何かを弁明する前に。
二振りの剣がひらめき、俺は、美亜ともゆるに殺されたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。