第22話「アーサーの恋人」

 湖の騎士ランスロットは、その養育者、湖の乙女ヴィヴィアンの加護を受けていた。

 

 ヴィヴィアンは、古き水の女神である。

 その力は、大地母神たるモルガン・ル・フェイに匹敵する。


 古来より、湖の乙女が人と情をかわすことはあった。

 類まれなる美貌を持つ、王妃グィネヴィアが、人ならざる者だったとしても、おかしくはないように思う。


 ヴィヴィアンとして、ランスロットを育てた王妃グィネヴィアは、姿を変え、キャメロットでランスロットに再会した。


 アーサー王と王妃グィネヴィアの間の愛情は、本物だった。

 俺は、自分がアーサー王だったから、それはわかる。

 アーサー王は、間違いなく、グィネヴィアを愛していた。

 そして、グィネヴィアも。


 しかし、若く美しい騎士、ランスロットは、王妃グィネヴィアと惹かれあうようになる。

 完璧な騎士だったランスロットは、激情に飲まれる人物でもあった。

 ランスロットは、主君への忠誠と、けして、愛してはならない王妃への愛情に引き裂かれた。


 騎士には、忠誠を誓う貴婦人が必要だった。

 ランスロットにとっても、王妃グィネヴィアはそうした存在だった。


 「人は、禁じられたものに、強く惹かれるものよ」

 王妃グィネヴィアは、ランスロットに言った。

 「かまうものですか。人の世の掟がなんだというのでしょう」

 グィネヴィアは、ランスロットの求めに応じ、口づけをかわした。


 一方、アーサー王は、異父姉である、モルゴースとの不義を行った。

 美しい金髪の、年上の女性と。


 しかし、本当は、それは、モルガン・ル・フェイとの恋だったのだ。


 王妃グィネヴィアのことを思いつつも、アーサー王は、モルガンを深く愛した。

 それは、やはり、一時の激情のようなものだったかもしれない。


 けれども。

 やはり、本当の気持ちなのだということだけはわかる。


 (アーサー王は……俺は、どうして、いろんなことを防げなかったんだろう)


 誰かの気持ちを支配することなんてできない。

 国を統治するための大義名分があったとしても。


 アーサー王が、俺が、もっとうまくやっていれば。

 こんなに大勢を悲しませなくてもすんだんじゃないだろうか。


 そして、マーリンは、アーサー王が死してなお、永久に封じられて、牢獄をさまよい続けることになった。

 モルガンとして、船に乗り、アヴァロンにアーサーを導いたマーリンは、生まれ変わったアーサーと、すべてをやり直したかったに違いない。


 マーリンはアーサー王と約束した。

 どのような手段をもってしても、アーサーの王国を救ってみせると。


 (アーサー王が、自分の弱さを見せることができたのは、マーリンだけだったんだ)

 どんなことがあっても、マーリンはアーサー王を見捨てなかった。

 常に、アーサー王のそばにあり続けたのは、マーリンだった。


 俺が、本当に好きだったのは。

 

 モルゴースの姿のモルガン=マーリンを愛したのは、必然だったのだ。

 何があろうとも、俺は、彼女を愛していた。


 湖の底に沈んだように、いろんな感情に包まれていく。

 

 一瞬、明るい光が見えたような気がする。

 今なら、俺は、ここから出ることができる。


 俺の手には、エクスカリバーがあった。

 かつて、アーサー王を導いた、伝説の剣が、力を与えてくれた。




 「アーサー⁉」

 驚きの声が上がった。

 槍多そうだのものだった。


 ここは、さっき倒れた、槍多の家の庭だった。

 時空のワープはしていない。

 

 俺は、エクスカリバーを持ち、自分の力で立ち上がった。

 この剣の力によって、生き返ることができたとわかる。


 「目覚めたのね、アーサー。ずっと、気づかなければよかったのに」

 美亜みあが、俺のことを、冷たい瞳で見ていた。


 「その剣は、私があなたに渡したもの。王国の守護者としての、アーサーを支えるため、私は、ずっと、あなたの近くにいた」

 「ああ、そうだな」

 俺は、美亜にうなずいた。


 「俺たちには、それぞれの役割があった。俺は、アーサー王として、その務めを果たそうとした……完璧とはいかなかったと思うけど」

 「完璧な人間なんていないわ」

 美亜は、切って捨てるように言った。

 「だって、私は、あなたのそういうところが好きだったの」

 彼女の言葉は、本心だとわかった。


 「ああ……だけど、ごめん、美亜」

 「なぜ謝るの?」

 「俺は、ずっと、気づけなかった」

 もっと、早く、気づくべきだったんだ。

 今も、彼女の気持ちに寄り添っていれば、こんなことにならなかったはずだ。


 「うれしかったんだよ。俺は、美亜が彼女になってくれたことが。だから、きっと、違和感があっても、ずっと無視していたんだと思う」

 「あなたは、気づけなかったんじゃないの?」

 美亜が言い、俺は言葉に詰まる。

 

 「かまわないわ、アーサー。私は、あなたのそういうところが、好きだったの」

 美亜は、笑みを浮かべた。


 「でも、槍多君は、そうじゃなかった。とても繊細で……むしろ、周りの様子に早く気づいてしまうようなところもあるの」

 「美亜……」

 ずっと黙っていた槍多がつぶやく。

 複雑な表情を浮かべていたが、それ以上、何も言わなかった。

 

 「私はね、アーサー。あなたが理想化して描いていた、彼女としてふさわしい女の子じゃなかったのよ。そのことは、いつか伝えないといけないと思ってた」

 「いや、美亜は、俺の最高の彼女だったよ」

 胸を張って、うなずいた。


 そして、彼女に向き合い、告げる。


 「美亜。槍多と幸せになってくれ」

 

 美亜は目を見開く。


 「どうして? 私は、アーサーの……」

 「人の気持ちを縛ることはできないんだ」

 俺には……俺の前世のアーサー王には、本当の意味では、グィネヴィアを幸せにできなかった。

 

 「こんなに、時間をかけて、また、出会うことができたんだ。だったら、隣にいるべきは、本当に好きな相手のはずだろ」

 

 「アーサー、なんて言っていいかわからないけど、でも……」

 槍多は、うつむいている。

 「おまえも、もう、気にするな。本気で勝負して、勝てただけで十分なんだ」

 「アーサー」

 「全部総取りなんて、許さないからな。だから、これでいいだろ」


 俺と槍多の決着はついていた。

 こいつと、真剣勝負して、勝つことができた。

 優等生で、剣の達人で、『七王国のエクスカリバー』の有名プレイヤー。

 負けなしと思われていた、完璧な男に、俺は、勝利した。


 今は、わりと満足している。


 「ありがとう、アーサー」

 槍多が言った。

 「君は、僕にはできないことばかり、いつもしてきたよね。『二次元同好会キャメロット』を立ち上げたのも、君だった」

 「それは、おまえたちがいたからだろ」

 「いや、アーサーじゃなきゃ、始められなかったよ」

 槍多は、首を振った。


 「僕たちのリーダーは、間違いなく君だ」

 「そうか」

 槍多の言葉に俺はうなずいた。

 「おまえに、そう言ってもらえるならうれしいよ」

 二次元同好会キャメロットは、楽しいことを追及するためのものだった。

 人が集まらないと、キャメロットは成立しない。

 俺は、友達に恵まれたと思う。


 「美亜、これまでありがとう」

 俺は、美亜の手を取った。

 小さくて、柔らかくて、冷たい。

 きっともう、手をつないで、二人で歩くことはない。


 「そんな勝手なことばかり……いつも、あなたはそうね」

 美亜は、平静に言った。

 「あなたの決めてしまったことに、私はいつも、気持ちが追いつかなかった。そして、どうしても、許すことができないこともあったわ。……ランスロットを追放したことも」

 「ああ、今度こそ、そんなことはしないよ。俺たちは、また、仲間としてやり直せる」

 「本気で言っているの?」


 美亜の指摘はもっともだと思う。

 俺は、別れた彼女と、毎日、顔を合わせることになるだろう。

 それも、自分の親友と仲睦まじく、一緒にいるところを。


 きっと、つらいかもしれない。

 いや、つらいに違いない。


 それでも、俺は、美亜への愛情が、だんだんと別のものになるのを感じていた。

 きっと、俺が、本当に愛している相手のことに、気づいたからかもしれない。

 

 「いいとか、悪いとかじゃなかったんだよ。ただ、気持ちがすれ違ってしまっただけだ」

 だからこそ、しなければいけないことがある。


 「これからも、キャメロットの仲間でいてくれ」

 難しいことなのかもしれない。

 でも、俺の気持ちは、それで間違いがなかった。


 「本当に、本気なのね、アーサー」

 美亜は、口元にわずかに笑みを浮かべた。

 俺の愛した、あの笑顔を。


 「ええ、私、幸せになるわ」

 美亜が言った。

 「ああ」

 俺もうなずいた。

 

 (よかった、納得してくれたんだ)

 おそらく、俺自身、自分の決めたことに、感情を整理して、向き合えるまでは、もう少し時間がかかるはずだった。

 そして、今は、まだ、やらなければいけないことも残っている。


 マーリンのことを、救い出さなければいけない。


 どうにも胸騒ぎがする。

 夢の情景で、繰り返し、マーリンを見ているが、彼女はずっと、俺の前に現れていない。

 また、どこかに、囚われているのではないか。

 

 時空を飛び越えてきたが、マーリン自身が、どこかに、取り残されたりすることはないんだろうか。

 当たり前のように、マーリンは、力を使っていた。

 けれども、代償のようなものはないんだろうか。


 「じゃあ、俺は、行くよ」

 キャメロットに、マーリンが戻ってくれればいい。

 もしくは、俺の家に。


 歩き始めた俺を、槍多と美亜が見送っていた。

 ……はずだった。


 背中に熱いものを感じる。

 

 「アーサー、私が幸せになるには、条件があるの」

 美亜の声は、優しげなものだった。

 甘美な響きが、俺の耳に届く。


 「あなたには、この世界からいなくなってもらわないといけないの」

 美亜の言葉は、愛をささやくようだった。

 刃物で刺されているのに、まるで、愛撫されているかのようだった。


 世界が、かしいで、全身に衝撃が走った。

 ぶつかったのは、地面だろう。

 

 エクスカリバーは、なんとか握りしめている。

 これを手放してはいけないと、強く感じていた。


 けれども、腕の力が抜けていく前に、世界が暗くなっていく。

 

 「さようなら、アーサー」

 もう、何度目だろう。

 美亜によって、俺が、別れを告げられるのは。

 彼女に俺が、殺されるのは。


 だけど、エクスカリバーが、また、導いてくれるだろう。

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