第20話「湖の乙女ヴィヴィアン」
アーサー王を、モルガン・ル・フェイが連れてやってきたあの場所。
眠りについたアーサー王の傍ら、モルガン・ル・フェイ……マーリンが立っている。
桜の花びらが舞い散る中、マーリンは、物思いにふけっているようだった。
しかし、静かな時は、突然、終わりを告げる。
マーリンが振り向こうとしたとき。
水の衣をまとう女性が、剣でマーリンを刺し貫いたのだった。
「ようやく、捕まえることができたわ」
水の衣の女性……湖の乙女ヴィヴィアンが、言った。
「ヴィヴィ、どうして!」
マーリンが苦しげに叫ぶ。
「どうして、その剣を」
「これは、もともと、私が管理していたもの。そうでしょう?」
ヴィヴィアンがマーリンを刺し貫いたのは、エクスカリバーだった。
ヴィヴィアンは、そのまま、マーリンを地面に倒す。
「あなたは、生きながら、牢獄に閉じ込められるのよ」
エクスカリバーによって、マーリンは、地面にくぎ付けにされたのだった。
「ヴィヴィ、よくも!」
「あら、それは、こちらの台詞でしょう」
ヴィヴィアンは、地に伏したままにらみつけてくるマーリンに笑みを向ける。
「あなたが、私から、ランスロットを奪ったように、永劫の苦しみを味わいなさい」
湖の乙女ヴィヴィアンは、ランスロットの守護者だった。
ランスロットは、彼女に育てられ、湖の騎士となったのだ。
「けして、このままでは、終わらせないわ」
マーリンは、ヴィヴィアンに、苦しげに言った。
「私も、そのつもりよ。必ず、ランスロットを取り戻す」
ヴィヴィアンは、そう言って、マーリンの元を立ち去った。
「ヴィヴィ!」
マーリンが叫ぶが、湖の乙女は戻らなかった。
そして、マーリンも、意識を失う。
彼女もまた、眠りについたのだ。
ほとんど永遠に近い時間、大地の上で、彼女は眠り続ける。
アヴァロンで眠る、アーサー王とともに。
飛び起きた瞬間、俺は、周囲を見渡した。
「マーリン!」
返事はなかった。
ただ、薄暗い部屋の中に、俺の声が響いただけだ。
(たしか、アーサー王伝説では……)
マーリンは、生きながらにして、牢獄に閉じ込められてしまう。
そのせいで、以降、マーリンは、キャメロットの宮廷で、アーサー王を助けることができなくなってしまうのだ。
マーリンは、自分の弟子として、湖の乙女ヴィヴィアンを迎える。
しかし、ヴィヴィアンの色香に魅了され、マーリンは、自分を閉じ込める魔法を教えてしまったのだった。
(でも、俺たちの前世は、今の時代に伝わっている、アーサー王伝説とは違う)
アーサー王伝説にもバリエーションがあって、登場人物や物語の内容にも相違点がある。
けれど、俺たちの前世は、その、どれとも違っている。
マーリンは、女で、モルガン・ル・フェイでもある。
そして、あのヴィヴィアンも。
(彼女のことを、俺は、よく知っている気がする)
湖の乙女ヴィヴィアンに、アーサー王は、円卓の騎士のひとりを通して、最後、エクスカリバーを返却する。それが、俺の知っている筋書きだった。
だけど、今、
「ヴィヴィアンは美亜なのか?」
エクスカリバーを振るう美亜の神々しい様子が思い返される。
夢の中のヴィヴィアンは、たしかに……俺の彼女に、よく似ているように思えた。
携帯を見ると、不在着信がある。
留守番電話が入っている。
再生すると、動揺したような、賀上の声が聞こえてくる。
『アーサー、
留守電の賀上は、槍多が場所として指定した場所を続けた。
指定されていたのは、海辺にある、倉庫街だった。
たしかに、そんな場所で話だなんて、普通じゃない。
槍多は、賀上に、何をしようというんだ?
そして。
(マーリン、今、どこにいるんだよ)
マーリンは、いつも、どこからともなく現れる。
そして、どこかに消えてしまう。
マーリンは、携帯を持っていない……と思う。
魔法使いだから、必要ないのかもしれないが。
だから、俺から連絡をすることはできなかった。
今は、自力でなんとかするしかない。
それに、あの夢の内容……マーリンに聞かなければならない。
(無事でいろよ)
俺は、もう一度、マーリンに会って、いろんなことを確認しないといけないのだ。
早朝の倉庫街は、朝もやがかかって、不気味だった。
港だから、海の、波音がする。
(槍多、どうしてこんな場所に呼んだんだ?)
どうにも、犯罪めいている。
俺は、指定された倉庫を探し出して、開け放されている入り口を覗き込む。
賀上と槍多は、すでに来ているのだろうか。
さっきから、賀上に何回か電話しているが、携帯はつながらなかった。
「賀上?」
倉庫の奥に声をかけてみる。
槍多との待ち合わせの時間よりは、多少、早かった。
だから、賀上が先にいる可能性もある。
(勝手に入っていいのかな)
冷静に考えると、不法侵入な気がする。
倉庫の奥からは、返事は聞こえない。
俺は、おそるおそる、足を踏み入れる。
倉庫の中は、暗くて、ひんやりしている。
その時だった。
倉庫の扉は、後ろから閉まったのだった。
「アーサー、悪いけど、君にはそこにいてもらう」
「槍多!」
慌てて、扉を開けようとするが、すでに鍵をかけられている。
「しばらく、おとなしくしていてほしい」
槍多の声は落ち着いていた。
嘘をついているような気配はない。
「なんで、こんなことをするんだ! 賀上は⁉」
槍多は、答えない。
「開けろ!」
俺は、内側から扉を叩き続ける。
「聞いてくれ、アーサー」
槍多が、決意を込めた口調で言った。
「モルガンを倒すことができれば、僕たちはおかしな前世の因縁から解放されるはずだ」
「違う、あいつは、悪い奴じゃない」
槍多は、マーリンを誤解している。
「じゃあ、どうして、君は、何度も殺されているんだ?」
「それは……」
違う。
俺を殺しているのは、マーリンの魔法のせいじゃない。
「それは、俺が、解決方法にたどり着いてないからだ。いや、ほんとは、もうわかってるんだ! 槍多! 聖杯に血を注いでくれ!」
聖杯に、全員の血を注げば、俺たちは助かる。
なんとか、殺し合い以外の方法で、それを実現させたい。
「聖杯はどこにあるんだ、アーサー」
槍多が、淡々と質問する。
「それは、マーリンが……」
「聖杯をモルガンがどのように使うかわかってるのか?」
槍多の言葉から、静かな怒りが伝わってくる。
「妖女モルガンの言葉を信用することはできない。あの魔女は、前世でも、姿を変え、いろいろな方法で国を滅ぼそうとしてきたんだ。魔法使いマーリンとして、君に近づいたのも、それが目的だったんだ」
「そんなことない。マーリンは、ずっと、俺のことを助けてくれたんだ。前世でも、今の俺のことも!」
しかし、槍多は、俺の言葉に耳を貸してはくれない。
「アーサー、僕は、リーダーとしての君のことを尊敬している。王としても、サークルのリーダーとしても。でも、たったひとつ、間違えたとしたら、あの魔女に関してだけだ」
「槍多、ここを開けろよ!」
「僕は、君に邪魔されないうちに、今度こそ、モルガンを倒す。後で必ず迎えに来る。だから、ここで待っていてくれ、アーサー」
「待て、槍多!」
足音が、遠ざかっていく。
俺は、拳で、扉を殴りつけた。
(槍多は、マーリンの居場所を知っているのか?)
マーリンは姿を消している。
それに、魔法のバリアで、普通の攻撃を防ぐことだってできる。
それでも。
(エクスカリバーは危険だ。それに、槍多の力だって)
槍多が、ランスロットとしての力を、どの程度、取り戻しているのか、正確にはわからない。
だけど、能力を発揮していた賀上と、戦っていたときの様子を見ると……。
「そうだ、賀上!」
あいつはどうしているんだ⁉
携帯には、やはり、連絡はきていない。
もともと、ここに呼び出されたのは、賀上だった。
じゃあ、同じように、槍多に閉じ込められてしまってるのか?
それとも、この前みたいに、戦いになって……。
どんどん悪い状況に向かう俺の想像は、力強い声によって打ち消された。
「アーサー、そこにいるんだろ!」
「うおおおっ!」
すぐさま、賀上は、扉を拳で破った。
ベニヤ板のように、金属の扉が砕けた。
「賀上!」
「ああ、午前中だからな。三倍の力が出せるんだ」
ガウェインの怪力だった。
「槍多の様子がおかしかったから、少し離れたところから様子を見ていたんだ。アーサーが閉じ込められたみたいだったから、槍多が離れるのを待ってた。待たせて悪かったな」
「ああ、おまえの言う通りだったよ。今の槍多を放っておいたら、マーリンが危ない。詳しくは、また話すけど……ついてきてくれるか?」
賀上は、力強くうなずいた。
「もちろんだ! 女の子がピンチなのに、助けに行くのは当然だろ」
しかし、次の瞬間。
賀上は、俺の前に、崩れ落ちた。
逆光の中、立っていたのは、美亜だった。
手には、バールが握られている。
「ランスロットの邪魔をさせないわ」
「賀上! 賀上!」
赤いしみが、倉庫の床に広がる。
「美亜、おまえ……」
俺の声は震えていた。
「アーサー、おばかさんね。じっとしているように言われたでしょう」
美亜の声は、冷たいものだった。
冷たい、湖水のような響き。
以前も、似たようなことがあった。
「私の愛した人の行動は正しい」
「やめろ、美亜!」
美亜は、バールを振りかぶった。
俺は、その腕から、凶器を奪おうとする。
しかし、彼女を止めることはできなかった。
重い衝撃が、俺の頭に振り下ろされる。
俺の愛する美亜は、ランスロットを愛していた。
前世でも、現世でも。
マーリンが、モルガン・ル・フェイだったように。
美亜もまた、王妃グィネヴィアであると同時に、湖の乙女ヴィヴィアンだったのだ。
冬の湖の底に沈んでいくような感覚。
俺は、再び、美亜に殺されたのだ。
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