第8話「誘惑」
若き日のアーサーは、石に突き刺さった剣を抜く。
伝説の剣、エクスカリバーを抜いた者こそが、王として認められる。
そして、聖なる剣、エクスカリバーの力で、戦乱のはびこる各地を平定し、強大な王国を築いていくのだ。
エクスカリバーには秘密があった。
つまり、剣よりも、鞘の方が、重要な魔法のアイテムだったのである。
モルドレッドが反旗を翻し、戦場に現れたのは、アーサーが鞘を持っていない時だった。
アーサー王は、不死身ではない状態で、モルドレッドの斬撃を受ける……。
俺は、必死で呼吸をしていた。
ここが、二次元同好会キャメロットの部室であることはわかっていた。
マーリンは、再び、俺を救い出し、「
だけど、夢の中で見た、モルドレッドの一撃と、槍多の斬撃が、オーバーラップする。
いつまでも、気持ちの悪い感覚が消えてくれない。
ふと、見上げると、あの、模造品のエクスカリバーが、壁にかけられていた。
槍多が、俺に、斬りつける前のままの状態であった。
立ち上がり、「エクスカリバー」に近づく。
壁から外すと、模造品ではあるものの、金属のずっしりとした質感がある。
「そんなもの、どうするつもり?」
マーリンが聞いてくる。そんなのは決まっている。
「俺、これから、この剣を常に持ち歩くことにしようと思う」
「やめなさい。日本だと、模造品でも問題になるわよ」
マーリンの指摘は、いたって冷静なものだった。
「じゃあ、どうすればいいんだよ。また、槍多や、他の誰かに襲われたら……」
「槍多でも、美亜でも、誰でも、あなたを殺すかもしれないけど、不死身なんだし。武器なんて持ち歩いて、身を守る必要ないでしょ」
「いやいや、どこが不死身だよ! 何度も死んでるだろ!」
「前世の手がかりを得るために、私に殺してくれって言ったこともあったくせに」
「それとこれは話が別だろ!」
それに、なによりも、やっぱり、何度も死ぬのは嫌だ。
死んだことがなかったことになるって言っても、嫌なものは嫌だ。
「アーサー」
マーリンが、困ったような表情を浮かべる。
「どうせ、そんな剣、あなたに振るえると思えないけど」
「そんなことないさ。槍多だって使ってたんだし」
「じゃあ、美亜に向かって、斬りつけることができるの?」
模造品だから、刃はついてないんだっけ、と、マーリンが付け加える。
絶句した。
「まあ、あなたに、美亜以外の連中……ランスロットにだって、モルドレッドにだって、手をあげられるとは思えないけどね」
「ぐ……」
マーリンに、反論することができない。
たしかにそうだと思う。
「無駄な抵抗をするのはやめなさい、アーサー。だいいち、それは、本物のエクスカリバーじゃないのよ」
マーリンの言っていることの意味は、つまり、無抵抗のまま、殺されろってことだ。
「そんなに暴力を振るいたくないんだったら、頑張って説得してみたら?」
「ああ、やってやるよ!」
殺されるのも殺すのも嫌ならば、その方法を、なんとかして探し出すんだ。
少しずつ、手がかりをつかんで、真相にたどり着くしかない。
「俺は、この呪いをといてやるよ。絶対にな」
「ええ、頼もしいことね」
マーリンの言葉にいらだちを感じつつも、俺はうなずいたのだった。
すでに、日は暮れていた。
いったい、どのくらいの時間が経過しているんだろう。
携帯の時計を確認すると、すでに下校時間はとっくに過ぎている。
「やべ、帰らないと」
部活動のために学校に残っている時間を守らないと、二次元同好会キャメロットの存続の危機になってしまう。
趣味の集まりではなく、部活として承認されているからには、ルールを守る必要がある。
模造品のエクスカリバーのことも気にはなるが、この際、ここに置いておくことにする。
あれは、槍多が買ったものだし、先生に見つかっても面倒くさそうだ。
そんなわけで、俺とマーリンは、急いで部室を出て、帰宅したのだった。
玄関の扉が開いた瞬間だった。
「おかえりなさい」
もゆるが、笑みを浮かべ、待っていた。
「遅かったんだね。待ってたんだよ、アーサー」
「いや、待てよ、もゆる。どうして、家にいるんだよ」
「私は従妹なんだから、別にいてもかまわないでしょ?」
「それは、そうかもしれないが……」
もゆるが、どうやって、家に入ったのか、詳しくは問い詰めないことにする。
だけど、一応、言っておかないといけないことがある。
「ちゃんと、ご両親の許可は得てきたんだろうな」
「もちろん」
「俺の両親、今、海外にいるの知ってるよな」
これは本当だった。
マーリンのことをごまかすときに、ギリギリなんとかなってる理由でもある。
「……だからいいんじゃないの?」
確信犯だった。
もゆるは、昔から、こういう感じで、一方的な感じの攻勢を仕掛けてくる奴だった。
俺の両親の不在なんて「当然」知っている。
もちろん、悪意などない。
というか、もゆるに罪悪感なんてないはずだった。
「アーサーの……
もゆるは、俺をじっと見上げる。
そう、この視線……俺は、昔から、これに弱いのだ。
けれど、それ以外にも、今、俺の背中にビシビシ感じる視線がある。
「どうして、マーリンさんが?」
もゆるは、ようやく、マーリンの姿を認めたようだった。
(気づくの遅いよ!)
でも、もゆるは、ひとつのことにしか集中できないタイプである。
「私、この家に住んでるの」
「あ、ああ。マーリンも遠い親戚だし、外国からの帰国子女だし、しばらくは俺の家で暮らすことになってて……」
「じゃあ、私もこの家に住む」
「はあ!?」
もゆるの決意に、俺は、実に間の抜けた声をあげた。
「『住む』って、どういうことだよ。せめて、『泊まる』とかだろ、そこは!」
「それは問題ないのね」
「少し黙ってろよ、マーリン!」
同居なんて、許されるわけがなかった。
お泊りだって、ギリギリセーフ、いや、アウトかもしれない。
もゆるの両親……特に、
「私だって
「いや、そうじゃなくてだな」
こうなったら、絡まった糸を、少しずつほぐす必要がある。
もゆるを、説得するのは、いつも至難の業ではあったが、不可能ってわけじゃない。
……はずだ!
「ええと、まず、おまえには、家があるよな」
もゆるは、こくりとうなずく。
「うん、実家があるよ」
「『実家』って……。と、ともかく、こっちには、家族ごと引っ越してきたんだろ」
「ううん、私、ひとりだけ」
「え?」
「アーサーと同じ学校に通いたかったの。だから、こっちで私だけ暮らす手続きをしたの」
もゆるの決意は、確固たるものだったのだ。
「どうして、叔父さんたちは、そんなこと許したんだ⁉」
「引っ越す前の家はそのままあるし、お父さんも、仕事がひと段落したら、またこっちで暮らすつもりだって。お母さんは、お父さんと一緒じゃないとだめ。夫婦ってそういうものだから」
「だ、だからって」
「私、もう、大人だよ、アーサー」
もゆるが、背伸びして、俺の耳に息を吹きかける。
「ちょ、待っ……」
チャイムが鳴り響いた。
だけど、もともと、玄関は開きっぱなしだった。
外からも、内側からも、俺たちのもめている様子も、訪れた人物の様子も、はっきりと見えたのだった。
美亜は、両手にスーパーの袋を下げていた。
おそらく、夕食の買い物……のように、思われた。
だけど、その姿には、不思議と生活感のようなものが、欠片も感じられない。
「来ちゃった♪」
彼女は、微笑を浮かべ、小首をかしげてみせた。
「でえええ!?」
「どうしたの、アーサー。変な声出して」
「いやその」
タイミングってものがあるだろ⁉
普段なら、どんなにうれしいかしれなかった。
「このバカ女……」
マーリンが舌打ちした。
「どういうことなの、アーサー」
もゆるが、俺の腕を強くつかむ。
「ま、待ってくれ、話を……」
「ねえ、アーサー。私も聞いてもいいでしょう?」
美亜は、両手の袋を玄関において、中から、出刃包丁を取り出した。
「は、話しあおう、みんな!」
俺の声なんて、もう、誰にも届いてはいないんだ。
わかっているんだけど。
それでも、言わないわけにいかなかった。
「そうね」
美亜の振るった出刃包丁が、俺の目の前をかすめた。
「話し合いが、必要だわ」
「アーサー!」
もゆるが、美亜の両手を抑えようと、掴みかかるが。
「だめよ、もゆるちゃん」
美亜の声が、響いた。
どうして、そんなに冷たいのか、わからない、冬空の色の響き。
「私が話し合いたいのは、アーサーだけなの」
「美亜!」
少しだけ、俺の動くのが速かった。
美亜は、出刃包丁を、もゆるに向かって突き出した。
けれど、それを、俺は、なんとか食い止めた。
「アーサー!」
もゆるの叫び声が響く。
「それが、あなたの答えなのね、アーサー」
美亜の、凍り付いた湖のような声は、どこか遠くから聞こえる気がする。
俺の伸ばした手は、美亜に触れることはなかった。
美亜は、そのまま、床に座りこんだ俺に取りすがる、もゆるへと近づいた。
「さよなら」
ゆっくりと、もゆるが、俺の目の前に倒れた。
「アーサー」
美亜の顔が、ぼやけて見えない。
これは、涙のせいか。
あるいは、目がかすんでいるのか。
「あなたは、悪くないわ。アーサー」
美亜は、ゆっくりと、前に進んでくる。
「これは、しかたがないことなのよ」
美亜の差し出した刃物を、避けることはできなかった。
……いや。
俺は、甘んじて、その刃を、胸に受けたのだった。
マーリンが、なんとかしてくれる。
きっと、もゆるのことも、なかったことに……。
いつのまにか、姿を消した魔法使いに、俺はすがるほかなかった。
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