第3話 オーブちゃん

「よしよし、順調に進んでるな。今は一階の診療室か」


 トラブルはあったが、見事にカップルは病院へと足を踏み入れていた。ここまで来たら、もう逃げることは叶わない。後は煮るなり、焼くなり、好きにできる。


「んじゃ、ここら辺で最初の仕掛け行っとくか。もしもしー? ?」


 サヤは誰かに電話をかけるような素振りを取る。傍から見ると、おかしな光景だが、これにはちゃんとした理由があった。

 この廃病院で暮らしている幽霊はライトとサヤだけではない。もうひとり──と分類していいのか疑問が残るが、とにかく、第三の存在がいる。それが〝オーブ〟だ。

 その名は一般層にもかなり浸透しているだろう。心霊写真で御用達の、埃のように宙を彷徨っている人魂的存在であり、たびたび胡散臭い霊能力者が「これはオーブですねぇ」と言っている姿が散見される。

 だが、このオーブというものは幽霊とはまた別の存在。魂ではなく、残留思念に非常に近い。幽霊のように、個々の意志はなく、ゆらゆらと、無数に宙を舞っているだけで、特に人に危害を加えるような真似はしない。

 ただ、それはオーブ単体の話だ。そこにサヤという特別な幽霊が介入すれば、また話は変わってくる。


「オーブちゃん、そこでちょっと棚でも揺らしてくれる? うん、軽くでいいから、よろしくねー」

「本当に、念波って便利っすね。オーブとも会話できるんすから」

「まあねぇ。これも〝アシツキ〟の特権ってやつかな?」


 悠々自適に、サヤは自身の脚をライトに見せびらかす。そう、彼女には普通の幽霊にはない脚がある。これは特別な意味を持っていた。

 霊の中でも、特に力が強い個体には脚がある。これは「アシツキ」と呼称されており、サヤの談では中々レアな存在だという。その力の一端をライトも何度か目にしているが──化け物としか言いようがないほどのものだ。神通力に空間操作、テレポートから分身まで何でもござれのオンパレード。この余興はそんなサヤの超能力を存分に使って、人間どもに恐怖を与える姿に愉悦を覚えるために開催されていると言ってもいい。


「……やっぱ、性格悪いよなぁ」

「ん? 何か言った?」

「い、いえ、何も」


 思わず、本音が漏らしてしまったライトは口を押さえる。


「ほら、見てろ。オーブちゃんが動かすぞ」


 サヤはモニターを指差す。ちょうど、オーブが戸棚に待機している場面が映っていた。

 ガタッ


『ひぃっ⁉ な、なにっ⁉』

『落ち着けって。ほら、棚から何かファイルが落ちただけだって』

『な、なんで落ちたの? だって、窓も開いてないし、急にそんなのが落ちるっておかしくない?』

『……え。ぐ、偶然だろ』


 どうやら、女の方は中々見込みがあるらしい。逆に、男の方はてんで駄目。物理的にあり得ない現象を偶然という言葉で片付けるのは論外。ホラー映画なら真っ先に死ぬタイプと言える。


「フフフ……いいねぇ。中々雰囲気出てるんじゃないの」

「次はファイルを開くかどうかっすね。ここでルートが分岐する感じっすか」

「そう。開けばCルート。開かなかったらDルートだね」


 この病院での行動はすべてサヤに操られている。どんな行動を取ろうとも、それはこちらの掌の上。定められた末路を辿ることが決定されていた。


「ライトはどっちに賭ける?」

「んじゃ、Dで」

「そう。私はCだな」

「へぇ、先輩は開く方に賭けるんすか? あの女の方は勘が鋭いから、開けないと思うんすけど」

「ばーか。結局は好奇心には抗えないんだよ。見てろ。絶対に開けるから」


 ライトとサヤはモニターに釘付けになる。

 さぁ、開けるか、開けないか──天秤はどちらに傾くのだろうか。


『……なんだ。これ』

『どうしたの?』

『ほら、この落ちたファイルみたいなの。こんなラベルが貼ってある』

『新生児実験記録……な、なにこれっ⁉』

『あ、開けてみるか』

『や、やめておいた方がいいって!』


 女はファイルを開けようとする男を制止しようとする。

 よし、やっぱり止める。ライトは勝利を確信したのだが、女の様子に一瞬、違和感を覚えた。

 よくよく観察すると、止める素振りは見せているのだが、腕に力が入っていない。これは――フリだ。制止しようとはしているが、女も本音はファイルの中身が気になっている。

 パラッ

 そして――ファイルは開かれてしまった。これでCルート確定。賭けはライトの負けだ。


「ほら言っただろ! 開くって!」

「はぁ……また俺の負けっすか」

「じゃ、病院内の清掃よろしくぅ!」

「はいはい……終わったらやりますよ……」


 これで、賭けはライトの十連敗中。

 やはり、経験値が圧倒的に足りないのが敗因だというのは本人も把握していた。伊達に十年以上、サヤはこの病院で暮らしていない。こんな場所に来る人間の心理を知り尽くしている。


 パラッ


『うわっ⁉』

『ひ、ひぃっ⁉ な、なにこれ⁉』


 ファイルを開いたカップルは絶句する。

 それもそのはず。中身は新生児の解剖写真のカルテ。無論、サヤが作成した偽物のコラージュ画像だが、クオリティは高い。一般人には絶対に見破れない代物であり、ライト自身も、幽霊ではなかったら、まず吐くだろうと自信を持って言える。

 だが、これはあくまで下準備。本番はこれからだ。


「よし! オーブちゃん! ここで仕掛けて!」


 頃合いを見計らい、サヤは廊下で待機しているオーブに指示を出す。


 パタパタッ


『な、なにっ⁉』


 キャッキャッ


『こ、子どもの……声……?』


 廊下を何者かが走り去る音と同時に、子どもの笑い声が診療室内に響いた。

 勿論、本物ではない。これはあくまでオーブの音響効果による賜物。サヤが用意した音声を加工し、それを各所に設置してあるマイクを使って流し、オーブが微弱な周波数を操作して、実際に傍にいるように見せかけている。

 タネが分かればたいしたことのない仕掛けだが、カップルにそれを察する術はない。確かに聞こえたその子どもの声に、二人の顔は徐々に青く染まっていった。


『う、うわあああああああああああっ‼‼‼』

『タ、タカシッ⁉ ま、待って!』


 直後、カップルの男は恐怖に耐えられなくなり、出口に向かって駆け出した。


「うわぁ、あれはないわぁ」

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