第19話 連れション
こればかりはどうしようもない。山崎の言うとおり、よくぞここまで誰も行く気配がなかったものだ。生理現象も忘れるほど、恐怖が持続していたということだろう。
「俺的には部屋の隅っこでしてもいいんだけどな」
「そんなのダメに決まってますよ! 女の子なんですよ! 私も嫌ですよ!」
「ぼ、僕もちょっと……」
さすがに、室内で用を足せるデリカシーのない人間は服部だけである。
「なら、どうするっつんだよ。今、俺たちは四人しか残ってねぇ。苺ちゃんがトイレに行くなら、付き添いは女の山崎ってことになるが、女二人だと危ないって言うんだろ?」
「……当たり前ですよ。昨日、置き去りにされた時なんて、本当に私たちどうにかなりそうだったんですからね。正直、二人だけだと、どうしても目を離しちゃう瞬間がありそうですし、三人はほしいです」
「だが、俺か古畑のどっちかが行ったら、また一人残るってことになる。つまり……」
「……全員で一緒に行くしか、ないですねぇ」
単独行動が危険という以上、常に四人でリスクを分散しながら、固まって動くしかない。考えるまでもなく、彼らは運命共同体。何をするのも、ともに行動する必要があった。
「苺ちゃん、それでいい?」
「は、はい……ちょっと恥ずかしいですけど、そんなこと言ってる場合じゃないですもんね」
「じゃあ、行くか。俺もちょっとションベンしたくなったから、ちょうどいい。全員一緒に連れションと行こうぜ」
「……ほんっとうに、デリカシーないですよね」
*
「どうやら、トイレみたいっすね」
「あ~そういや、人間はトイレに行く必要があったな。忘れてたわ」
幽霊の二人にとっては無縁の問題であるため、すっかり忘れていたが、これは停滞状態を動かすいい機会だろう。ようやく、退屈な時間から解放される時がきた。
「んじゃ、ここら辺でまた一人、消しておくか。ちょーっと予定とは違うけど」
「え? もうっすか? 結構、ペース速いっすね」
「だって、またあんな籠城みたいなことされたら、こっちも困るからねぇ。そろそろ、焦ってもらわないと」
「で、誰を消すんすか?」
「ん~、どうしよ。正直、誰でもいいっちゃ誰でもいいんだよね。最初に個室に入ったやつにするか」
*
「あった。ここだ……」
四人はトイレの前に立つ。普段はなんとも思わないだろうが、どうしても廃病院のトイレだと思うと気味が悪い。できることなら、利用したくないが、贅沢は言っていられないだろう。
「じゃ、先に俺と古畑が行ってくるから」
「はぁっ⁉ ちょ、ちょっと、苺ちゃんが先じゃないんですか!」
平然と、当たり前のように、先に男子トイレに入ろうとする服部に、山崎は驚愕する。そこは普通、ずっと我慢している苺に譲るべきではないのか。
「大丈夫だって。男なら十秒もありゃ出し終わるんだから。何か意識したら、俺も我慢できなくなったんだよ。ほら、古畑、早くしろ」
「は、はい!」
古畑を連れて、本当に服部は先にトイレに入ってしまった。
「し、信じられない……」
「うぇぇぇぇ……」
「ご、ごめんね……も、もうちょっと、もうちょっとだけ、我慢してね」
「は、はいぃぃぃぃ……」
既に、苺の膀胱も限界に近い状態である。そして、一分もしないうちに、男子トイレから二人が出てきた。
「ふう、スッキリした。ほら、早かっただろ」
「うるさいですよ! はい、苺ちゃん入って!」
「は、はい!」
苺の背中を押して、今度は山崎たちが女子トイレに入る。個室の外では山崎が、トイレの外の通路では服部と古畑が見張りをするという体制だ。これなら、何があっても、対処できるだろう。
「よかった……間に合って。何かあったら、すぐに呼んでね」
『うぅ~……すみません』
どうやら最悪の事態は回避できたようである。ほっと、山崎は胸を撫で下ろす。
「おう、苺ちゃん、間に合ったみてえだな」
「ちょっ……な、なんで入ってきてるんですか! ここ、女子トイレですよ!」
「いいじゃねえか。別に、見えるわけでもないんだし」
「馬鹿なんですかっ⁉ いいから、早く出て行ってください!」
そのあまりに無神経な行動はさすがの山崎も見過ごすことはできない。服部の背中を押して、強引に彼をトイレから退室させる。
「まあ、待てって。ちょっと、気になることがあるんだよ」
「こんな時に、なんですか!」
「ほら、俺たちは一緒に連れションできたからいいけどさ、女のトイレってのは個室だろ。そんな状態だと、孤立してるのと変わらない状態なんじゃねえかって、様子を見に来たんだよ」
「……っ」
ぴたりと、山崎の足が止まる。確かに――一理ある。
いくら同じ空間と言っても、扉を一枚隔てるだけで、そこは密室になってしまう。果たして、そのような場所は安全と言えるのだろうか。古来より、厠や風呂といった場所は曰く付きとして、有名だ。どうしても、そのようなプライベートな空間では人間は孤独になってしまう。
果たして、苺は本当にまだあのトイレの中にいるのだろうか。一抹の不安が、山崎の中で芽生えてしまった。
「……い、苺ちゃん。いる?」
こんこんと、山崎はトイレのドアをノックする。
『――――』
しかし、返事が返ってくることはなかった。
「う、うそ……苺ちゃん! 返事して!」
まさか、悪ふざけでもしているのだろうか。いや、それはない。彼女はこんな状況で、悪質な悪戯をする娘ではない。つまり、何らかの異常事態が発生した可能性が非常に高い。
「ど、どうしたんですか!」
騒ぎを聞きつけて、古畑も女子トイレに入ってきた。
「じ、実は……さっきから苺ちゃんが呼びかけても、何も反応がなくて」
「え、えぇっ⁉」
「チッ……仕方ねえ。おい、どいてろ。俺が蹴り飛ばしてる」
服部は袖を捲る。どうやら、物理的に個室のドアを破壊するつもりらしい。
「は、服部さん。さすがにそれはちょっとまずいんじゃ……相手はアイドルの子ですし」
「……いえ、私は賛成です! 服部さん! やってください!」
古畑が少したじろく一方で、珍しく、山崎が珍しく彼に同意する。アイドルだのセクハラだの、言ってる場合ではないだろう。何事もなければ、それが一番。謝ればいいだけの話である。
「行くぞォー! オラァッッッ‼‼‼」
ドゴッ
そして、服部は渾身の蹴りをトイレのドアに放つ。一発目では破れなかったので、もう一度。二発目の蹴りは確かに、手応えがあった、更にもう一発、体重を込めて、ドアを蹴る。
ガタッ
鍵が――開いた。急いで、山崎はトイレの個室内を確認する。
「い、いない……」
確かに、苺はその個室内に入ったはず。しかし、そこにはまるで最初から誰もいなかったかのように、洋式便器だけが佇んでいた。
[う、うそ……いやっ、いやっ」
その光景を見て、山崎は頭を抱えて、正気を失ってしまった。
目と鼻の距離にいた苺が消えてしまった。これは完全に、自分の落ち度。自分のせいで彼女が犠牲になった。その事実に耐えられなくなり、様々な感情が洪水のように押し寄せる。
「あ……あ……」
「おい、山崎」
「ごめん……なさい……ごめんなさい……」
苺に対して、山崎は謝罪の言葉を述べ続ける。
「しっかりしろ! てめえまでおかしくなってどうする!」
ぱしんと、服部は山崎の頬に平手打ちをする。普段なら、軽蔑していた服部の暴力だが、今はその痛みが、彼女を元に引き戻した。
「山崎、ここの個室に入ったのは間違いないんだよな」
「は、はい……そうです」
「チッ、寝るのも、トイレも、命懸けってことかよ。こっちも……手段を選んでる場合じゃねえことだな」
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