第32話 ツいている

 *


「ふぅっ……はぁっ……」


 一体、これで何体目を倒しただろうか。五十体を超えた辺りから、数えるのを止めてしまった。百は――超えているだろう。二百は届かないと思われる。その中間、百五十ほどか。

 だが、それだけの数を倒しても尚、サヤの増殖は止まらなかった。


「……………………」

「……………………」

「……………………」


 一体を倒す間に、新たに二体は現れる。既に、部屋の大半はサヤで覆われており、少女は何とかその少ない面積を駆け回っていた。

 このままではキリがない。体力的にも、精神的にも、そして、物理的にも――限界は訪れるだろう。少女は残りの瓶を確認する。


 先ほど、一本を使い果たしてしまった。残りは最後の一本。だが、そのすべてを使い果たすのは難しいだろう。徐々にではあるが、向こうの動きが機敏になっている。このままでは更に五十体を倒した辺りで、捉えられる。そうなってしまったら最後、待ち受ける運命は……だろう。その点は少女も覚悟している。殺しにきたのだ。失敗したら、逆の結果になるのは当然。

 このままではかなりの高確率で、こちらが詰む。残された最後の一手は――起死回生を狙って、この場にいる増殖体をすべて消滅させるしかない。


 理論上は最後の一体を倒せば、増殖は止まるはず。これ以上、数が増えないことに期待して、瓶を丸ごと一本使用し、術式を組み換え、一網打尽にする。

 かなりのリスクがあることは承知だ。水をすべて使い切ってしまうということは丸裸になるのと同然。いくら何でも、聖水抜きではこのアシツキを倒すことはできない。ポルターガイストを防いだ塩はあくまで霊の力を断ち切る道具で、本体にダメージを与えることはできない。だが、それらの不安要素を加味しても尚、最も生存率が高いのはこの作戦だろう。やるしかない。

 そうと決まったら、あとは下準備だ。方法は実に簡単。部屋の四隅に塩を盛り、中央で瓶を割るだけでいい。それで、この部屋にいる霊体はすべて消滅させられる。


「……よし」


 覚悟を決めた少女はまずは南の方角から攻める。作戦を悟られないように、なるべく自然に部屋を動き回っているように演じる。今、追い詰められているのは彼女の方だ。気付かれる可能性は低いだろう。


「……………………」

「……………………」

「……………………」


「邪魔ぁ!」


 次々と、分裂体が襲い掛かる。それらをすべて、体術でいなしながら、四隅を目指す。まったく、飛んだり跳ねたりするのは得意分野ではないというのに、ここまで運動をさせられるとは思わなかった。

 今はただ、逃げ回るだけでいい。南、西、北の方角に、塩を盛ることに成功した。残りは――東。ただ、それが果てしなく遠い。ルートはすべて、増殖体で埋められている。正面からの突破は不可能だろう。


「……はっ。まるで、ゾンビ映画」


 そのあまりに現実離れした光景に、少女は少し前に視聴したゾンビ映画を思い出してしまった。まったく、実に馬鹿らしい光景だ。悪夢という言葉を体現するなら、今の景色がそれにぴったりだろう。

 よし、作戦は決まった。少女は壁を蹴って、部屋の端から端へと跳躍する。聖水の効果で身体能力を向上させているからこその芸当だろう。普通の人間には絶対に真似することができない。

 これで、準備完了。塩を盛り終わった。あとは部屋の中央に移動するだけ。同じ要領で、飛び跳ねればいい。踵に力を込めて、跳躍する。


 ガシッ


「なっ……」


 だが、その時――足首を何かに掴まれた。振り返ってみると、何体かの増殖体が積み重なり、少女へ腕を伸ばしていた。


「ちょっ――」

 そのまま、少女は床に叩き伏せられる。まずい。このままでは数秒も経たないうちに、増殖体に囲まれてしまう。部屋の中央までまだ距離があるが、発動するしかない。


「解っ」


 人差し指と中指を突き立て、部屋の術式を解除する。そして、懐の瓶を叩き割り、水を床に散乱させる。


 ピカッ――


 すると、どうだろうか。床一面が発光し、青白い輝きを放ち始めた。


「……………………」

「……………………」

「……………………」


 増殖体の肉体が消滅していく。作戦は成功。あとは祈るだけである。数十秒も経たないうちに、あれだけ大量にいた増殖体はすべて消え失せてしまった。


「……はぁ。しんど。でも、これで終わり」


 何とか――生き残ることができた。本当に、ギリギリの戦い。まさか、ここまで追い詰められるとは。幽霊相手に、苦戦をしたのは少女にとって数年ぶりの出来事である。

 恐らく、万全の準備をしていたとしても、そこまで状況は変わらなかっただろう。本当に、奇妙な幽霊だった。


 ――ボトリッ。


「……っ⁉」


 背後から、またあの不快な落下音が聞こえた。まさか、まさか――少女は音のした方向へ振り返る。


「……………………」

「……………………」

「……………………」


 そこには――新たに天井や床から、増殖体が生え始めている光景があった。


「は、はは……これは笑うしかない」


 あの一手で、全滅させることができなかった。それはつまり――少女の敗北を意味している。あまりに絶望的な状況に、乾いた笑いすら出てくる。

 ゆっくりと、増殖体は少女に近寄る。それをただ、彼女は遠い景色のように眺めていた。死がすぐ間近にまで迫っている。だが、恐怖はない。

常に彼女の日常には死が隣り合わせだった。今更、恐れて何になるというのか。散々、命乞いをする死者を祓ってきたではないか。今度は自分の番が回ってきたというだけ。おとなしく、受け入れるしかない。


 そう、死を受け入れ――受け入れ――っ。


「――ッ‼」


 その瞬間、少女は目の前に迫る増殖体に蹴りを放った。


「……そうか。意外。まさか、こんな時に……自分の新たな一面が知れるとは思わなかった」


 ゆらりと、少女は立ち上がる。


「ワタシ、意外と……往生際が悪い性格だったみたい。だから、最後まで抗わせてもらう」


 少女は構えを取る。まだ、彼女は――諦めていなかった。

 恐らく、あの術式の効果はそれなりにあった。その証拠に、増殖体の増加は二十体程度で止まっている。つまり、この場にいるのが上限、これ以上は増えないことを意味している。


「ッ!」


「……………………」

「……………………」

「……………………」


 手あたり次第に、向かってくる増殖体を殴り飛ばす。が、やはり聖水がないと致命的なダメージは与えられない。怯んではいるが、消滅とまではいかない。

 歴戦の霊能力者の彼女でも、素手ステゴロでは戦力が著しく下がる。しかも、同時に二十人を相手にするとなると――限度がある。やはり、この数に対処することはできない。


「ぐうッ……⁉」


 死角からの増殖体の攻撃を回避することができず、少女は数メートル後方に吹き飛ばされる。鳩尾にいい一撃を貰ってしまった。呼吸ができない。

 少女の周囲には既に増殖体が取り囲んでいた。逃げ場がない。数秒後には――全方位から、追撃が飛んでくる。もはやこれまで――といった言葉が浮かび上がるが、それでも足腰はまだ動こうとしている。


 カランッ


「……っ」


 だが、その時――何か、硬いものが、少女の足に触れた。もうなりふり構っていられない。武器になるなら、何でもいい。を手に取ろうと、少女は腕を伸ばす。


「こ、これは……」


 それを見た少女は困惑と驚嘆が入り混じった声を漏らした。なぜ、この部屋にこんな物があるのか。一体、誰がこんな物を用意したのか。疑問は尽きることはないが、そんなことを考えている暇はない。

 とにかく、。まだ、神は――少女を見捨てていなかった。


 ブンッ


「……………………⁉」


 それで殴られた増殖体はその場で消えてしまった。やはり、効果がある。この武器さえあれば、何とかなる。


「本当に、なんでこんなところにがあるんだろうね。まあ、どうでもいいけど」


 その金属バットは――先日、サヤが回収し、部屋に置いておいた代物〝霊体バット〟だった。

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