14 流れるものの牙
僕は当初、僕らが付き合っていることは学校では隠したほうがいいのではと考え、登校時間をずらすことを提案した。すると緋奈は不機嫌そうな顔で、
「隠す必要なんてないわ。やましいことをしているわけじゃないし……それに……私、あなたと手を繋いで登校したいの」
なんて、かわいいことをのたまってくれたので、僕は言われるがまま学校まで手を繋いで来たわけだが……。
視線が痛い。貫かれそうな視線。奇異なものに対する視線。冷やかしの視線……。緋奈はそういう風に見られることになれてるのか、涼しい顔をしている。僕は緊張で心臓が潰れそうだよ……。
教室に入ると、それじゃ、と手を振って別れる。緋奈が席に着くと、数人の女子が駆け寄っていく。
「おはよう久森さん!」
「お、おはよう」
「久森さん、九堂くんと付き合ってるの?」
「え、ええ」
「へー、おめでとう!」
「あ……ありがと……」
向こうは大丈夫そうだ。今の緋奈なら友達もつくれそうだし。一方の僕は、緋奈のことが大好きな男子たちに席を囲まれていた。正面にいるのはもちろん星野だ。
「説明してもらおうか、九堂クン」
「僕が緋奈を好きになって、緋奈が僕を好きになってくれた……ってことだよ」
「おい、こいつ久森のことを名前で呼びやがったぞ!」
「許せん!」
方々で勝手に盛り上がる。それは別に構わないが、緋奈が見えないのでちょっとどいて欲しい。緋奈を見ていたい。
あーだこーだと語り合う彼らを諭したのは、やはり星野だった。
「まあ待て諸君。久森の幸せは俺たちの幸せだ。違うか? 九堂は俺たちにできなかったことをやってのけたんだよ。素直に称賛すべきだ。というわけで……ま、今まで通りだが、二人への嫌がらせは禁止だ。肯定派の奴らに徹底周知しろ」
「おー!」
暑苦しいな……。
いや、待てよ。嫌がらせは……禁止。
緋奈と話したばかりだ。僕が嫌がらせの類いを一切受けないのはおかしいと。でも、まさか……。
「星野。もしかして僕が無事なのは……」
「ん。俺だけじゃない、みんなのおかげだぞ。過度な騒ぎにならないよう、みんなで抑えてる。これでもな。ちなみに否定派のほうは蔵前たちがやってる。最初に俺たちがおまえに無茶振りしたってのもあるけど……おまえの味方はたくさんいるってことさ」
「……」
そうだったのか……。いつのまにか僕らは、みんなに助けられていた。恐るべし星野の人脈……。かつての僕なら鬱陶しいと思ったかもしれないけど、今は感謝の念しか湧いてこない。
「ありがとう、星野」
「お、おう。びっくりした……」
鳩が豆鉄砲食らったような顔をする星野。
「僕もだよ」
そして思い出す。あのときの、僕の正直な気持ちを。
「白状するとさ、君たちのことが羨ましかったんだ。僕は恋なんてしたことなかった。だから、普通の恋を楽しむ君たちを羨んでいた。日常を嫌っていたのにさ。自分勝手だけど……緋奈に出会えたのは君たちのおかげだ。それも、ありがとう」
「お、おお……おほほほ」
なんとなくお互いに気まずいけど……悪くない気分だ。昼休みに緋奈に問いかけることも、僕自身が緋奈のことを知りたいから全く苦痛にならないだろう。
「昨日は噂の真相を聞けなかったけど、新しいの書き込む?」
「おう。昼休みまでに書いとくな」
星野はノートを受け取ると、パラパラとめくる。
「結構な量になったなぁ。もう一ヶ月半だもんな」
「そうだね……」
緋奈を見る。女子に次々と話しかけられて少し混乱しているみたいだ。あれもまた日常。僕も彼女も、日常に支えられているのだと思う。だからこそ、彼女にとって最も大きな日常……久森家に、彼女を返してあげたい。彼女がそれを望む限りは。
でも……そんなことが、僕にできるだろうか?
こんなに昼休みが楽しみになるなんて──とか、そんなことを思ってみる。つい一ヶ月半前には理解できなかったもの。僕も、今では立派な彼女のファンだ。
図書室の扉を開ける。すると僕の目に入ってきたのは、今までの二、三倍はいる人の群れだ。そのほとんどが、入ってきた僕を見てひそひそと何やら話している。まさか──見学者の方々だろうか……。
嫌だな……ここは僕と緋奈が唯一周りを気にせず話せる場所だったのに……いや、気にしていたのは僕だけだったけれど。正確に言えば、隠れ家といったところか。いや、隠れていたのも僕だけだったけれど。
隠れるといえば……長らく忘れていたけれど、星野たちから情報を貰うまで緋奈がよく図書室にいる、ということを知らなかったのはなぜなのだろう。僕もよく図書室を利用するのに。流石に気づかないなんてないと思うのだが……。
見学者の方々を無視しつつ、いつもの席へ向かう。流石に緋奈の周囲の席は空いていた。緋奈は相変わらず読書をしている。
緋奈の向かいに座ろうとすると。
「隣、空いてるわよ」
とのお言葉。かわいい。迷うことなく隣の席に座ると、どこからか「キャー」と小さく歓声が上がった。
「あのね、まゆきくん。考えたのだけど」
「うん」
「これからはお昼、一緒に食べない? それから二人で図書室に来るの。名案でしょ?」
「……名案だね。賛成」
なんとなく得意そうな顔をする緋奈。
「考えてみれば、どうして今日は別々だったのかしら」
「僕が気恥ずかしかったからかな……君が提案してくれてよかったよ」
「そう。勇気出して正解だったわ」
ほっ、と息を吐く。なんだか僕って、緋奈になにかをしてもらってばかりのような気がする。僕からなにかをしてあげられないかな……。
ノートを取り出してパラパラとめくる。次の質問は……星野とも話した、例のあれ。でも飛ばしてもいいよな、これ。が、その一瞬の間を緋奈は逃さない。
「どうしたの?」
「いや、なんでも」
「いいから見せてみなさい」
緋奈がノートを覗き込んでくる。ふわりと、甘い香りがした。くっつくことにはもうなんの躊躇もないらしい。まあ僕も……嬉しいけど。
「突き刺しジャックの正体について……なるほどね」
「輪をかけて馬鹿馬鹿しい話だろ?」
「そうね……今はあなたが信じてくれてるし、自信を持ってノーと言えるわ」
「自信なかったのか?」
「まあね。もしかしたら、私は人を殺してしまっているかもって……ね」
緋奈はさらに身を寄せ、僕の肩に頭を乗せてきた。歓声はもう無視だ無視。
「ありがとね、まゆきくん」
「……お互い様さ」
僕らはそのままくっついていることにした。ノートのことはひとまず忘れて。こうしていると昼休みが終わってしまうが……まあ、いいか。
やがて予鈴が鳴ると、見学者たちがぞろぞろと図書室を出ていく。
「緋奈、悪いんだけど……」
「一緒に教室まで行く度胸がないんでしょ? こんなにたくさんの人に見られて、今さらじゃない?」
「そうだけど……まだ踏ん切りがつかないんだよ」
まったく、とため息をつくと、緋奈は先に廊下へ出ていった。やはりというか、代わりに図書室の奥から現れるのが彼女。
「あ、九堂くん」
「……水上さん」
僕が、緋奈を先に行かせたもう一つの理由。僕は確かめたかったのだ。あの日……緋奈とデートをした日のあの視線の意味を。
「九堂くんも教室行くところ?」
「その前に、水上さんに聞きたいことがあるんだ」
「え……?」
「やっぱりね」
その声は、図書室の入り口から聞こえてきた。振り返ると、先に教室へ行ったはずの緋奈が、水上さんを睨みつけている。
「緋奈……?」
「クラスの子から聞いたわ。水上さんあなた、ここでよくまゆきくんと会っているそうね」
確かに最近水上さんとはよく会う。緋奈や星野とここで話したあと、決まって現れるのが水上さんだ。だから、僕も今日緋奈を先に教室へ行かせて彼女と話そうとした。
緋奈は今まで見たことのない怒りの表情で、水上さんを責める。
「あなた、まゆきくんのことが好きなんじゃない? それは勝手だけれど……奪うつもりなら、許さないわよ」
図書室に残っていた生徒たちはみんな、動きを止めている。全ての音が消え去り、木の匂いすら感じ取れない。
水上さんは、顔を真っ赤にして俯いていた。まさか、本当に……?
声をかけようとしたそのとき。水上さんは顔をあげ、叫んだ。
「あたしが好きなのは、緋奈ちゃんだよ!」
──え……?
水上さんは涙を流しながら、叫び続ける。
「どうして! どうして九堂くんなの!? 最近まで誰にも……あたしにも頼ってくれなかったくせに! どうして九堂くんには頼るの!?」
「そう……」
緋奈が目を細める。その視線には、哀れみが含まれているように思えた。
「あなた、杏ちゃんだったのね。奇妙な縁だわ……まさか再会していたなんてね。でもね、あなたが私にしてくれたことが……悪いけど、思い浮かばないのよね」
本鈴が鳴る。ピタリと動きを止めていた生徒たちがバタバタと慌てて図書室を出ていく。それでも、緋奈と水上さんは動かない。
「……噂を流したよ」
水上さんがそう呟いた。
「緋奈ちゃんの噂! いっぱいいっぱい考えて! いっぱいいっぱい広げたよ! そうすれば……中学のときとかあたしのこととか思い出してくれると思って! あたしに頼ってくれると思って!」
まさか──本当なのか? 全ての噂ではないにしても、水上さんが……?
「緋奈ちゃん……中学のときはあたしに優しくしてくれたのに……どうしてなの?」
「私は、あなたのほうから離れていったと記憶しているのだけど。それこそ噂に流されてね。だからあなたを忘れたのよ」
「……ッ……私はこんなに……緋奈ちゃんのことが大好きなのに」
水上さんが不意に駆け出し、緋奈の脇を抜けて図書室を出て行った。僕には止められなかったし、緋奈は止めようともしなかった。
僕らを包む沈黙。それにしても……いったいどういうことなのだろう……?
「緋奈」
もう僕ら以外は誰もいない図書室。緋奈はため息をつくと、所在なさげに語りだした。
「水上杏。中学のときのクラスメートよ。さっきまで忘れていたけれどね。私たちはたぶん友達だったと思う。彼女は当時から、私に過度に依存していたのよ。それをこじらせてああなったんじゃないかしら」
「つまり……もう一度君と友達になるためだけに、噂を流布したってことか? そんなこと……」
「あり得ないわよね。でも、彼女が自分で言ったのよ。それよりも気に入らないのは、彼女の中では私が彼女を捨てたことになっているって事実よ。私の記憶では真逆なんだけど。だから私からすれば、ああやって責められる謂れはないわ」
そうか……あの敵意の視線は、緋奈とデートに出かけた僕への嫉妬……だったのかもしれない。緋奈のことを信じると言っていたのも、噂を広げたのが自分だったから……?
理解できなくはないが、やり方が極端すぎる。
「それよりまゆきくん、完全に遅刻よ。行きましょう」
「あ、うん……水上さん、ちゃんと戻ったかな」
「行けばわかるわ」
教室へ向かい駆け出した僕らだったが、水上さんは一応席にいた。先生に怒られつつ、ひとまず安心。でも、当たり前だけど水上さんはいつもより元気がなさそうだった。
放課後、帰り支度をしていると今日できた友達に挨拶を済ませた緋奈が話しかけてきた。
「早く行きましょう、まゆきくん」
あからさまに水上さんを避けているみたいだ。僕はちょいちょいと緋奈の制服の袖を引っ張って近くに寄ってもらい、小声で尋ねる。
「ちゃんと話したほうがいいんじゃないか?」
「何を話せと言うの? たぶん彼女が狙っているのは友達の席ではなく、あなたのポジションよ」
「え、そうなのか」
「そうよ。だから普通に話しかけるのではなく、頼られようとした。──そうよね、水上さん!」
聞こえよがしに確かめようとする緋奈。君も極端だな……。
「そうだよ」
支度を整えながら、水上さんが答える。その言葉には、明らかに攻撃的な圧がまとわりついていた。
「あたし、九堂くんを許せない。あたしのほうがずっと前から緋奈ちゃんのことが好きだったのに。あたしのほうが、九堂くんよりずっと緋奈ちゃんのことが好きなのに。どうして九堂くんなんか選ぶのか……わからないよ」
「教えてあげるからよく聞きなさい」
あ。緋奈が敵と認識した相手への毒舌は……。
「一つ。残念だけど私はバイセクシャルじゃないの。二つ。あなたからのアプローチは何一つとしてなかった。たったの一度もね。三つ。まゆきくんは何度も話し相手になってくれたし、助けてもくれたわ。……これであなたのことを好きになれというほうが無理があるんじゃないかしら?」
オレンジ色に染まる教室の空気が凍りつく。その中にあって、緋奈だけはいつも通りに軽やかに、僕の手を取った。
「ほら、行きましょう」
水上さんに声をかけようとしたけれど、言葉が見つからない。結局僕は、ぐいぐいと緋奈に引っ張っていかれることになった。
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