12 理屈じゃないこと

 僕と久森が共にいることが当たり前になり幾星霜……というほどでもないが。とにかく奇異な目で見られることもほとんどなくなってきた昨今。僕らは今日も図書室で質問仕合……ではなく、放課後に向かい合って勉強をしていた。中間試験が近いからである。他にも同じ目的の生徒がちらほらいる中、僕は沈黙を守っていた。……いや、試験勉強というものは普通話しながら行うものではないということはわかっている。当然だ。なのだが……。

 さっきから久森が僕のことをじぃっと見つめてきて集中できない……!

 確かに久森緋奈は、試験勉強などしなくてもクラスでトップの成績を修めるほど頭がいい。今もノートと参考書を開いてはいるが、ほとんどポーズみたいなものだろう。だからといって……。例のネックレス(彼女は毎日首から下げている)を付け、顔の前で指を組み、そこへ顎を乗せて僕が勉強している様子を観察しているようだ。そんな状況では、緊張してしまって解ける問題も解けなくなるというものだ。

 必然、小声で沈黙を破ったのは久森のほうだった。


「九堂くん。そこの式、間違ってるわよ」

「え、ああ……」


 そして特に反論しない僕。なにか変だ。君のせいだよ、とか言ってもいいはずなのに。


「君のせいだよ、とか言わないの?」


 先回りされてるし!?


「次は言うよ」


 とりあえずそう返して、深くため息をつく。すると、久森がポケットからスマホを取り出した。


「お父さんからだわ……まったく。そろそろ零次さんが着く頃だから早く帰ってきなさいって。予定より随分と早いわね……それに……ねえ」


 シャープペンシルを持った僕の指をちょんちょんと叩く。だからかわいいことはやめろって……。


「九堂くんも連れてこいって。なんのつもりかしら」

「心臓に悪いな……」


 どうにか断れないだろうか。体調不良とか。でも断ると後が怖い。同じことを考えたのか、久森は肩をすくめた。


「行きましょうか」

「はいはい……」



 以前と同様、校門の辺りで待機していたのは漆黒の車に漆黒の零次さんだった。促されて乗り込み、久森邸へ向かう。


「久森。今回僕が呼ばれた理由に検討はつく?」


 聞きながら久森のほうへ視線を移すと、彼女も僕のことを見つめていた。それもなんだか自然で……僕らは互いに目を逸らさない。


「そうね……このあいだのお出かけの感想とか聞かれたけれど、別におかしな反応はなかったし。九堂くんこそ心当たりないの?」

「まさか。……ああでも、君とデートに行ったこと自体が説教受けそうだけどね」

「デート……」


 久森は俯いている。


「デート……か」


 もう一回言ったぞ。なんだか恥ずかしくなってきた。それを紛らわすため、僕はわざと不機嫌そうに言った。


「僕はそのつもりだったんだけど」


 久森は頬を赤くして、窓の外へ視線を向けた。以前もそうだったな……。


「デート……そうね、あれはデートと言っていいわよね。零次さんはどう思う?」


 なぜそこで零次さんにふる。


「え、はあ、まあ……差し支えないかと」


 明らかに動揺してるし、なにより否定できない立場だろう、彼は……。

 車内に満ちる異様な空気。気づいていないのは素直に喜んでいる……ように見える久森だけだ。どうしたらいいのだろう。とりあえず僕は、さっきの疑問を零次さんに尋ねてみることにした。


「零次さんは、僕が呼ばれた理由についてなにか知りませんか?」

「残念ながら、なにも。ただ……」


 零次さんはなにか考える素振りを見せてから、


「旦那様は今朝から機嫌がお悪そうでした」


 そう、恐れるように答えた。こ、こわ……。まさか八つ当たりの標的として袋叩きにされるんじゃあ……いや、流石にそれはないか。


「事業がうまくいかないと機嫌悪いのなんていつものことだけれどね」


 久森はそう言うが、警戒しておくに越したことはない。言動には気をつけよう……。

 漆の車が、あの木の門の前に到着する。そこで僕は少し躊躇していたのだが、鹿威しのカコン、という音に背中を押された気がして慎重に門をくぐった。


「前回同様、応接間までどうぞ」


 零次さんはそう言って、車を駐車場へ走らせる。そのあいだに久森はツカツカと玄関のほうへ行ってしまったので、僕は慌ててその背中を追いかけた。

 今度は理人さんが行方不明という事態にはならず、彼はしっかりと応接間で待っていた。あのときと同じ、金色の紋付き袴。ソファに深く腰掛けるその姿は、やはり反社会的なあれである。


「ただいま、お父さん」

「お邪魔してます……」


 恐縮しながら言うと、理人さんはやはり若干の不機嫌さを含みつつ頷いた。


「うむ。よく来てくれたな。まあ座ってくれ」


 その言葉に従って、僕ら二人は理人さんの向かいに座る。すると待ちきれんばかりという様子で理人さんは話し始めた。


「二人を呼んだのは他でもない。実はな、二人には友達付き合いをやめてもらおうと思っとる」


 ……はぁ?

 思わず目が点になる。なにを言っているんだこの人は?


「やましいことでもない限り、親が口を出すことじゃないと思いますけど」


 つい強気な口調で意見してしまった。理人さんがどんどん不機嫌になっていく……。


「どうしてよ」


 僕と違い、久森は全く恐れを知らない。


「このあいだは、九堂くんのこと認めてくれたじゃない」

「認めたわけじゃない。仮免みたいなものだあれは。それに加え……」


 理人さんは懐からファイル用の薄い紙袋を取り出すと、その中身をテーブルの上にぶちまけた。


「これって……!」


 ……それは、先日の僕らのデートを捉えた写真の数々だった。ショッピングモールの入り口で久森を待つ僕。満面の笑みを浮かべてモールへ入っていく二人。モール内でのショッピング。映画館へ入っていくところはもちろん、ネックレスを選んでいるところ、アイスの食べさせ合いをしているところまで……かなり恥ずかしいことをしてるな……それはともかく、零次さんの車を僕が見送っている場面まで、ありとあらゆるシーンが収められている。


「これ……まさか零次さんが?」


 呟きを、写真を手に取りながら久森は否定する。


「違う……零次さんがこんなことするはずないわ」

「その通りだ。零次は今回の作戦に協力してくれるようなやつじゃない。別口で雇ったやつに撮ってきてもらったんだよ」


 理人さんはさも当然かのように言い放つ。


「これだけじゃないぞ。今ここにはないが映像もある。おまえたちがどういうデートをしてきたか、しっかり見させてもらった」

「どういうつもりよ!」


 立ち上がった久森が珍しく激昂する。当然だ。僕が冷静でいられるのは相手が他人の親だからで、身内だったら……。


「折角二人きりのお出かけだったのに! こんなこと……許せない!」

「なぜこんなことをしたんです?」


 僕の怒りを乗せた問いに、理人さんは鼻を鳴らす。


「おまえがそれを聞くのかね。元凶であるおまえが」


 理人さんは深く、深くため息をつき、両目を閉じた。


「俺はおまえを完全に認めたわけじゃなかった。だから確かめさせてもらったんだよ。おまえが真に緋奈に相応しいかどうかをな。撮ってこさせた写真や映像を見てがっかりしたよ。おまえの振る舞いは久森家に相応しくないのだ。だから別れてもらう。わかってもらえたかな?」


 別れるって、僕らは恋人じゃ……いや、今はそれはいい。考えがめちゃくちゃだ。なんなんだこの人は!


「そんなの認めないわ!」


 僕より速く、久森が反論する。


「いい、お父さん。私は九堂くんに救われているし、いい関係を築けていると思っているわ。彼が友達でいてくれることに、とても感謝してる。これ以上に、友達でいる理由が必要?」

「ふん……緋奈の考えはわかった。おまえはどうかな、九堂くん。前回も聞いたが、考えに変わりはないかな?」

「はい。友達として、僕も救われています」

「それが、緋奈の殺人衝動をしっかり見ていないからじゃないかと言っているんだよ。緋奈、確かめたくはないか?」

「そ、それは……」


 理人さんは立ち上がると、こちら側に歩いてきて、緋奈の腕を掴んで無理矢理立ち上がらせる。そして、その手に果物ナイフを握らせる。


「ちょっと、なによ!」


 この人は……正気なのか!?


「さあ緋奈、九堂くんをしっかり見るんだ。本当に友情があれば緋奈を受け入れて殺されてくれるはずだ……救われているからこそ、殺されてくれるはずだ……確かめるために、殺してみてもいいんじゃないか?」


 久森が僕を見下ろす。一瞬、真っ赤に染まったように見えた瞳。それが今度は、空虚な漆黒を湛えて僕を映した。

 なんだよこれ……なんなんだ!?


「救われているからこそ……ねぇ、九堂くん……」


 久森の声には、感情の欠片も籠もっていなかった。催眠術にでもかかったみたいに……。


「私ね、人を殺してみたいって気持ちを……無くしたわけじゃなかったのよ。ただ、あなたと過ごすのが楽しくて忘れていただけだったの。でも今、私の手には人を殺せる道具がある。そして目の前にはあなたがいる」

「……なに言ってるんだよ、久森……」

「私、あなたを信じたい。だから……あなたを殺すわ」

「言ってることがめちゃくちゃだぞ……」

「これで、あなたが本当に私を信じているかがわかるのよ」


 久森がナイフを僕に向ける。

 ──逃げなきゃ。

 僕は立ち上がり、ドアへ向かって走り出した。


「無駄よ」


 瞬きする間に久森が疾走しドアの前に回り込むと、僕を押し倒した。僕は成す術もなく、彼女に首を掴まれ身体を固定される。彼女は僕に馬乗りになり、ナイフを持った手を高く掲げた。

 ──そういえば、彼女はスポーツも得意だったなぁ。

 と、そんな下らないことを考えてしまった。


「ここは私のテリトリー。逃げられると思う?」

「……そうだね」


 ──死ぬのか、ここで。

 走馬灯が脳裏を駆け巡った。この一ヶ月半の強烈な記憶が。久森が、ずっと僕のそばにいてくれた。笑ってくれた。気遣ってくれた。久森、久森、久森……最近の記憶は久森ばかり。

 僕は、久森と一緒にいたかった。ただ一緒にいれば……楽しかったんだ。

 走馬灯のおかげで思い出したことが、たくさんあった。

 そして僕は、あることに気づく。


「抵抗しないの、九堂くん」

「必要ないからね。君には人を殺せない」

「じゃあ、試してみましょうか」


 久森がナイフを──振り下ろす。光が弾けたけれど、僕は瞬きすらしなかった。


「……どうして」


 ナイフは、僕の顔の横に突き立てられていた。


「君は、君が思っているよりも優しいんだよ」

「九堂くん……」


 僕の顔の上に、雫が落ちる。それは彼女の瞳から零れたものだ。彼女は今きっと、感情の渦に巻き込まれているのだろう。悲しみ、喜び、怒り──その涙はどんな感情から生まれたものなのか。

 けれど僕が願うのは、笑顔だ。だから僕は、両手で彼女の柔らかな顔を包み込む。


「泣くなよ、久森」


 そして、さっき気づいたこと。どれだけ捻くれようとしても、この感情を誤魔化すことはできなかった。


「久森……好きだ」


 彼女の両目が見開かれ、頬が朱に染まる。


「君のことが……大好きなんだ。だから信じてほしい。僕が君を信じていることを」


 彼女の顔がくしゃりと歪む。そしてそのまま、僕に覆い被さってきた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……! 私、本当は……あなたが本当に信じてくれているのかずっと不安だったの。お母さんのことも……私のことも……」


 しゃくりあげる彼女を抱き締める。ずっと抱き締めていたい……。


「わかってるよ。大丈夫だから……少し待ってて」


 久森にどいてもらい、僕は立ち上がる。理人さんはソファに深く腰かけたまま、大きくため息をついてみせた。


「驚いたよ。まさか殺されかけても無抵抗……それどころか告白するなんてな。しかも殺されもしない。君は完全に想定外の存在だよ」

「理人さん。あんたに父親を名乗る資格はない」

「ほう?」


 どこかの誰かのような怪しく不快な笑みを浮かべる。本当、腹が立つ。


「久森には確かに殺人衝動がある。でも彼女の優しさがそれを許さない。そこであんたは詭弁を並べて彼女の不安を煽ったんだ。そうすることで精神が不安定になり、殺人衝動が出てきやすくなるように。……そうだろ?」

「そうだ。そういう実験を試みてみたんだよ。緋奈の精神は昔から不安定になりやすかった。それが最近は急に安定しだしたんだ。部下に調べさせたら……君の仕業だとわかった。君は精神安定剤の役割を果たしていたんだよ」


 理人さんは娘の話をしているとは思えないほど、淡々と語る。


「がっかりだったよ。人を殺したいという欲望を持つからこそ、俺は緋奈のことを誇りに思っていたのに。これでは、他の子どもと変わらない!」


 背後で久森が息を呑むのがわかった。当然だ。


「だから、資格がないって言ったんだ」

「そうか、なら……緋奈。荷物をまとめて出ていってもらえるか?」

「……お父さん……」


 久森の呟きは、もう声になっていない。


「正気か?」

「もちろんだ。ま、俺の世間体もあるし、法的手続きはしなくてもいい。学校に行くのも構わん。小遣いは今まで通り口座に振り込んでやる。だが、君が言ったんだよ九堂くん。俺には父親の資格がないと。なら、俺が養う必要がどこにある? 法律か? そんなもの……揉み消せばいいだけだ」

「あんた……最低だな」

「それはこちらの台詞だ。俺の娘を殺したのは君なんだからな。さあ、さっさと出ていってくれ。零次は助けに来ないぞ。別の仕事を割り当ててあるからな」


 殴りたい……けど、あの体格からして勝ち目はなさそうだ。

 僕は振り返り、小さく座り込んで俯いている久森の肩に手を置く。


「ごめん久森、立てるか?」

「ええ……」


 肩を貸して立ち上がらせる。それからドアを開けて部屋を出るときの、


「ごめんなさい、お父さん」


 という久森の呟きは、果たして届いただろうか。



 さて……。久森の部屋で、彼女が無言で大きめのリュックに荷物を詰め込んでいる間、僕はこれからどうすべきか考えていた。警察、各種施設……そういったところでは、久森が文字通り『揉み消されて』しまう可能性があった。いったいどうするべきなのか……。


「終わったわ。行きましょう」

「うん……僕が持つよ」

「ありがと……」


 その言葉も、やっと形に出来るくらい彼女が疲れているのがわかった。


「でもいいのか? リュック一個分で。女の子ってもっとこう……」

「いいのよ。おしゃれなんてしている暇はないでしょうから」

「……そっか」


 屋敷を出ると、久森は足を止めて空を見上げた。辺りはすっかり暗くなり、かすかに星が瞬いている。


「これからどうすればいいのかしら。お父さんを信じたいけど……あの人が本気になったらなにをするかわからないわ」

「僕としては、週刊誌かなんかにリークしてみたらいいと思うけど」

「そんなこと……できない。私、まだ……お父さんを嫌いになれていないの」

「そうだよね……」


 なんとなく、久森はそう答えると思っていた。理人さんがそこまで考えていたかはわからないけれど。

 どうすればいいか。零次さんに迷惑はかけたくないし、確かな答えはまだわからない。だけど僕は、ひとつだけ希望を見出だしていた。それは、理人さんが久森の言った通り世間体を大事にする人間だということだ。事実彼は、法律上ではあるが久森が娘であることを許容すると言った。少なくとも彼の認識が変わるまでは……住む場所さえあればいい。久森がいるという事実を揉み消す必要のない場所だ。

 そんな場所を、僕はひとつだけ知っている。


「久森。僕を信じてくれ。君さえ良ければ……うちに来ないか?」

「え……?」

「一年前に結婚して家を出た姉の部屋がそのまま空いてるんだ。それが使えるかもしれない。電話して聞いてみないとだけど……」

「いいの……?」


 久森は疲れきってしまったような、泣きそうな表情で不安げに僕を見上げた。

 ……彼女の助けになりたい。それが、今の僕の原動力だ。


「私なんかが……あなたの家に上がり込むなんて」

「当たり前だろ。好きな人なんだから。……あ、別に変なことをするつもりはないから。できれば安心してほしいんだけど」


 久森はため息をつくと、ゆっくりと僕にもたれかかってきた。少しの汗の匂いと……それを一瞬で覆い隠す、すごくいい匂いがした。


「あなたって本当にバカよね」

「なんとでも。……それじゃ、聞いてみるね」


 ポケットからスマホを取りだし、操作してから耳に当てる。その間に久森は、両手を僕の背中に回した。完全に抱きつかれた格好だ。

 ……勝手なことをしてくれる。収まることを知らない心臓の鼓動にも気づかれそうだ。


「もしもし」

『もしもし、どうしたん? いつもより遅いけど』

「ごめん、今友達の家に来てて」

『ふうん。今から帰ってくるの?』

「その前に相談なんだけどさ。その友達をうちに住まわせてあげてほしいんだ。姉さんの部屋に」

『はぁ? どういう意味?』

「それはその……かくかくしかじかで」

『それで頷くと思ってる? 食費とかどうするつもりなん?』


 ……そうだよな……。でも、正直に話しても受け入れてもらえるかどうか。


「お願いだ、母さん。どうしても彼女の助けになりたいんだ!」


 そのとき。電話の向こうから絶叫が聞こえた。なんというか、「ごぇぎゃわ!?」みたいな。


「い、いきなりなにさ?」

『女の子なのぉ!?』

「え、うん」


 母さんの声色が急激にテンションを上げる。


『うひょ~こりゃお祝いしないとだわ~連れてきなさい今すぐに!』

「え、いいの……?」

『それはあとから決めます。とりあえず連れてきてよ、あんたの初彼女』

「彼女じゃないよ……まだ」

『そうなん? まあいいわ。とにかく、丁重にお連れしなさいよ』

「うん、ありがとう、母さん」


 通話を切る。とりあえず道は開けたので、僕も彼女を抱き締めることにする。互いを抱き締めたのはこれが初めてだよな。

 ──幸せだ。


「連れてこいってさ。それから決めるって」

「聞こえてたわ。ありがとう、九堂くん。……あの」

「ん?」


 抱き合ったままだから表情はよくわからない。でも……きっと久森も、微笑んでくれていると思う。


「まだ『お友達』なの、私たち」


 ドキドキしすぎて死にそうだ。こういうの、僕はいつも『僕らしくない』って思ってたけど……そればっかりになってしまった今となってはたぶん、これも僕の一部なのだと思う。


「だって、まだ聞いてないだろ。君の気持ち」


 それだけは確かめておかないと、自信を持てない。そんな自分勝手な問いに、逡巡もなにもなく、彼女は即答する。


「好きよ。決まってるでしょ」

「……よかった」


 想いが通じた。まさか僕が恋をするなんて思っていなかったけど……しかも、一ヶ月前には全く興味のなかった存在に。でもこの一ヶ月、僕らはずっと一緒だった。僕はずっと、久森を見ていた。何度彼女に惹かれたかわからない……なんだか、負けた気がする。

 けれど、その負けも気持ちいい。

 僕は財布を取り出し、中からあのイルカのネックレスを取り出して首にかけた。もう恥ずかしくもなんともなかった。


「あ、それ……」

「合わせてみる?」

「……ええ」


 両手を離し、久森は二つのネックレスを合わせた。半身のイルカが、やっと一匹になれた。僕たちも、そうであるといいな。僕の胸元で、久森が小さく笑う。……よかった、少しでも笑ってくれて。


「それじゃ、行こうか」

「うん……」


 僕らは手を繋ぎ、駅に向かって歩き出した。

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