11 桃色の……デ、
そういうわけで。
なんだそんなことか、と少しの呆れと多分の照れに満たされつつ、来週の日曜日はどうかと話したのが一週間前。つまり、今日は当日だ。僕は二駅先の駅前にあるショッピングモールの入り口に突っ立っていた。
一週間前、久森がなぜあんなにも今回のことを言い辛そうにしていたのかといえば、『一度目のときとは心持ちが違う』のだそうだ。女心はわからない。
腕時計と、念の為広場にある時計塔を確認する。集合時刻の一時間前。以前もそうだったよな……。もしかして彼氏になってしまったのだろうか、僕は。いやいや、まさか。
ちなみにこのショッピングモールは各種レディース、メンズのショップからアウトレットや映画館、ホームセンターまで併設された複合型の中でも規模の大きいほうで、こっそり星野にだけ打ち明けてみると『誰がなんと言おうとそれはデートだ』と言われてしまった。僕の凝り固まったアタマでは否定することができなかったので、もしかすると……これは……。デ、
「……」
そのとき、背後に人の気配。だが鋭くはない。たぶん久森だと思う。大方、髪型なんかの最終チェックをしているのだろう。
ここは……驚かせるべき! 一歩下がりつつ振り向く!
深く考えずにちょっとしたサプライズを仕掛ける。それは良かったのか悪かったのか。
「あ」
二人の声が重なる。久森は鏡と睨み合っていたので彼女を驚かせるのには成功したが……相打ちだった。それはなぜか。なんと彼女は……薄ピンクのワンピースを着ていたのだ。
こんなの……相打ちどころか僕の負けだ。完敗だ。突然変異してしまったのか、それとも別人とすり替わってしまったのか。それほどの衝撃に僕の脳は思考を完全にやめてしまった。
一方の久森は、少しの間黒髪をくるくるいじりながら何かを考えていた様子で、それから僕の瞳を自信なさげに見つめた。
「……なにか言ってよ」
その台詞でようやく僕の脳は活動を再開した。だが、目覚めたばかりの頭で気の利いた台詞が出てくるはずもない。
「えっと……びっくりしたよ、うん」
そんな、情けない言葉しか出てこない。
「あ、そ、そうよね……私らしくない服装だとは思っているの。でも、その……零次さんの知り合いが見繕ってくれたらしくて……こういう服、はじめてなんだけれど。どうかしら」
どうかしらって……そんなの、決まってる。
「似合ってるよ。綺麗だと思う」
本心だった。それが淀みなく出てきたのは、きっと脳がまだ寝ぼけているせいだろう。
そして麻痺している僕の眼には、顔を朱く染めた久森しか映っていない。
「き、綺麗は言い過ぎよ。あなたらしくもないわ」
そうだよ。なにを言っているんだ僕は。
言い訳を考えていると、久森は朱い顔のまま、はにかんだ。
「……でも、ありがとう」
なんだろう。胸の鼓動が、加速度的に膨れ上がる。これが噂に聞くドキドキ……というやつなのだろうか。本当に、僕はどうしてしまったのだろう。
この感情の正体を、僕は考え続けてきた。あの図書室での邂逅から変化し続けてきたこの気持ち……正体はまだ、わからない。
「それじゃ、行こうか」
「ええ!」
このデートで、答えに近づければいいのだけど。嬉しそうな久森と並んで歩き出し……ちょっと待て。
思わず立ち止まる。どうしたの、と顔を覗き込んでくる久森に胸が高鳴るのはまあいいとして僕は今……デートと言ったのか?
「九堂くん?」
上等だ。デートとやらをしてやろうじゃないか。僕の勘違いならとんだ道化だが、それもいい。久森と楽しい時間を過ごせるのなら……。
「なんでもないよ。行こう」
僕は久森に不釣り合いかもしれないが、どうでもいい。僕らは連れ立って、ショッピングモール内をゆっくり見て周った。
途中、黄色いカーディガンをプレゼントしたら抱きしめるようにして喜ばれたり、逆に僕はTシャツをお返しされて全身から汗を吹き出させたりして……それからランチを食べて、SF映画を見て……充実した時間だった。最高と言ってもいい。
「あ、ね、九堂くん」
「ん?」
「あれ」
モール内を歩いていると、久森がある方向を指さした。見ると、小さなアクセサリーショップがあり、掲げられたポップには『もうすぐジューンブライド!恋人とおそろいのアクセサリーはいかがですか?』と胃もたれしそうな量のハートマークとともに書かれている。
まさか、あれが欲しいのか?
「久森……」
たぶん僕はぐったりした表情をしているに違いない。
「な、なによ。私たち、確かに結婚するような関係じゃないけれど……」
久森は唇を尖らせ、不満げに僕を睨んだ。ああ、その表情すらも……すらも……なんだ。
「お揃いのものを、なにか持っておきたいのよ。ダメかしら?」
それ以上『すらも』の先を考える前に、僕は頷いていた。提案した久森のほうは即答に見えたらしく驚いていたが、結局僕らは重ねると一つになるイルカのネックレスを購入してしまった。
近くにあったモールの出口から外へ出ると、そこはデートを始めた広場だった。ちょうど一周してきたみたいだ。時計塔を見ると、ちょうど十七時になるところだった。暗くなり始めの空が、心地よい風を運んでくる。……心地よいのは、久森がいるせいかもしれないけど。
「涼しいわね。あ、ちょうどいいかも」
久森はさっき買ったアクセサリーを取り出すと、その美しい首にかけた。彼女の魅力が、何倍にも引き上げられる。ネックレスと共に緩やかな風に揺れる長い黒髪。それでどう? なんて首を傾げるものだから、僕はもうなにがなんだかわからなくなってしまって。
「うん……いいと思う」
なんて、やっぱりそんな言葉しか出てこなくて。
「ありがと。九堂くんも付けてみてよ」
「はぁ!? ここで!?」
そ、それは……勘弁願いたい。
いや、付けたいけど……無理だろう。無理無理無理。
というか……付けたいのか、僕は?
「それはちょっと恥ずかしすぎるというか……財布の中にでも入れておくよ」
「そう? 意地悪ね」
プイと顔を背ける仕草も……かわ、いい。
……ついに、かわいいと思ってしまった。久森緋奈のことを。まあいいか、もう。僕は久森に関する様々なことを諦めていた。
「それじゃ、そろそろ帰ろうか」
「そうね……私は零次さんが迎えに来てくれることになっているのだけれど、九堂くんは?」
「電車で帰るよ。駐車場まで送ってく」
そう言って、駐車場へ向かい歩き出す。隣に並んだ久森はスマホで零次さんの場所を把握すると、僕の肩をちょんちょんと啄いてきた。
心臓に悪い。かわいすぎる。
「あなたさえ良ければ、零次さんに頼むわよ。九堂くんも乗せていってって」
「それは……遠慮しておくよ。電車で帰りたい気分なんだ」
本当は、これ以上君といるとどうにかなりそうだから。いい意味で。
「そう? あなたがそれでいいのなら……あ、そうだわ」
「今度はどうしたのさ」
久森はちょうど背後に見える黄昏のように、切なくひらりと微笑んだ。
「感謝を伝え切れてなかったと思ってね。九堂くん、私、今日はとっても楽しかったわ。あなたとの思い出がまた一つ増えた。本当にありがとね」
なんだか……今生の別れのようなセリフだな。
「いや……明日も学校で会えるだろ、大げさだ」
「そうね。でも言ったでしょ。私にこんなに近づいてくれたのは、あなたが初めてだと」
「そっか。そうだな……僕も楽しかったよ、ありがとう。久森」
久森の笑顔が、焼き付くように眩しい。それと同時にほぼ確信めいたものを、僕は胸の内に抱いていた。
今日の感想を言い合っているうちに、僕らは零次さんの車が停めてある場所に到着。零次さんはわざわざ運転席から降りて待っていた。
「おかえりなさいませ、緋奈さん。本日は楽しめましたか?」
「ただいま、零次さん。もちろん楽しかったわ。まだ帰りたくないくらいだけれど……お父さんを心配させちゃうものね。あのね九堂くん。あの人ったら、今日出かけるとき号泣する勢いだったのよ。少しは子離れして欲しいものだわ」
そう言って苦笑する久森。零次さんも少しだけ笑みを浮かべている。……本当に、今日はいい日だったのかもしれない。
零次さんがどうぞ、と後部座席のドアを開くと、久森はまたねと手を降って車に乗り込んだ。零次さんは僕にも一礼してから運転席に乗り込む。それから、僕は二人を乗せた車が駐車場を出ていくまで見送っていた。黄昏の残り香が僕を包み込む。
いい匂いがする。久森の匂いだ。
今日は本当に楽しかった。久森の一挙手一投足が僕の心を温かくしてくれた。だから僕は、ほとんど確信に近い想いを抱いたんだ。
もしかしたら僕は、久森のことを……。
ちなみに。
今回は忘れずにLINE登録しておいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます