16 緋奈の決意

 暗闇の中で、緋奈を探して駆けずり回っていたことを覚えている。走っても走っても、緋奈どころか人一人見つからない。上も下も右も左も真っ暗闇。

 それでも走り続けていたら、いつしか誰かが僕の名前を呼んでいることに気づいた。僕の大好きな、かわいくて静謐で、さざ波のような声だ。

 その声のするほうへ走っていく。走る。走る。そして、どれだけ走ったかわからなくなった頃。突然現れた真っ白な光が暴風となって、僕の視界を被い尽くした──。


「……」


 目を開ける。眩しい光は、どうやら窓から降り注いでいるようだ。身体中がダルい。頭がボーッとしている。僕は……どうしたんだっけ。


「まゆき!」


 視界の隅から現れたのは……えっと、母さんだ。母さんは悲壮な面持ちで、柔らかく僕を抱き締めた。


「馬鹿! もう、心配させて……!」

「……ここは……?」

「病院よ。あんたは二日以上眠ってたの。今日は月曜日。どう? 変なところとかある?」

「……大丈夫」

「そう、よかった……じゃあ、先生呼んでくるね」


 そう言って、母さんは部屋を出ていった。

 そうか……僕は神崎さんにお腹を刺されて…… 緋奈は……緋奈はどうなったんだ。水上さんは……零次さんは……。

 部屋を見回す。どうやら個室みたいだ。窓の外から聞こえてくる鳥の声が心地いい。

 その後、主治医の先生と話した僕は、退院まで数週間かかることを知った。退屈な日々がしばらく続くことになりそうだ。

 それと、現場から逃走した神崎三咲については、警察が行方を追っているらしい。なぜかはわからないが、警察はだいぶ前から神崎さんをマークしていたそうだ。

 先生が帰ったあと、母さんは僕の耳に顔を寄せ、小さな声で言った。


「あのね、実は緋奈ちゃん部屋の外にいるんだけど……やっぱり顔を合わせ辛いみたいで……あの子、あたしや父さんにも謝りっぱなしでね。あの子も疲れてるだろうに……」

「……僕のスマホ、ある?」

「あるけど……大丈夫?」

「うん」


 母さんにスマホを渡してもらい、緋奈の番号を呼び出す。呼び出し音が少し長くて不安だったけど、緋奈は出てくれた。


『……』

「もしもし」

『……』

「緋奈。返事を……してくれ」

『……』

「僕は、君を助けたかったんだ。助けられてよかった。……それじゃ駄目かな」

『……ごめんなさい』

「うん」

『私のせいよ』

「うん」

『私がいなければ……あなたが傷つくこともなかった』

「うん……」


 暗く沈んだ声。僕がもっとしっかりしてれば、彼女が傷つくこともなかったのかも。だからお互い様なんだ。


「あのさ、緋奈。僕は確かに刺されたけれど……もし、この上で君にいなくなられたら一生君を恨むと思う。僕は君を恨みたくない。好きでいたい。好きでいさせてくれ。だから……顔を見せてくれないか?」

『……』


 通話が切られた。それから、待つこと数分。扉がゆっくりと開き、緋奈が入ってきた。半袖のシャツにホットパンツ。これも似合うなぁ。


「緋奈……!」


 緋奈はおずおずとベッドの傍まで歩いてきてくれた。だけど、視線を合わせてくれない。困ったような表情で床を見ている。本当は抱き締めたいけど、まずはこれでいい。

 僕は手を伸ばし、緋奈の手のひらを掴んだ。緋奈は一瞬驚いたようだったけれど、すぐに両手で包み込んでくれる。愛おしい気持ちが胸に広がっていく。


「あ、じゃあジュースでも買ってこようかなー」


 母さんがそう言って病室を出ていった。……あとでお礼を言っておこう。


「緋奈。僕はこれからも……君と一緒にいたい。僕の隣にいてほしい。……駄目かな」

「……駄目じゃない……でも」

「うん」

「次心配させたら、引っぱたくから」


 僕の瞳をまっすぐ見つめてそう宣言した。僕らは笑い合う。願わくは、こんな時間が続きますように。

 それから、僕は緋奈から色々なことを聞いた。神崎さんを逃してしまった零次さんにたくさん謝られたこと。水上さんは事情聴取のあと、噂を流したことについては学校の処分待ちであること、緋奈は被害者側として、処分が軽くなるよう学校に働きかけたこと……。


「緋奈は水上さんと友達になること、諦めてないんだ?」

「ええ。本当はいい子なのよ、あの子は……問題はまだあるけれど……いつかね」


 以前水上さんが緋奈に同じことを言っていたな。二人は本当に気があっているのかもしれない。


「……ところで。私、ちょっと思ったのだけど」


 真剣な表情で緋奈が言う。


「うん」

「突き刺しジャックの正体って神崎さんだと思うの」


 心臓が強く脈打つのがわかった。確かに僕もあのとき、出で立ちから想像したけれど……。


「もしもあのとき、あなたが飛び出さなかったら……ナイフは私の左胸に刺さっていた。これって突き刺しジャックの手口と一緒よね? それに……警察が以前からあの人をマークしていたのは、捜査線上にあの人が浮かんだからだと思うの。そうでもないと、同僚を疑ったりしないでしょう?」

「ありえなくはないけど……確信は持てないな」

「そうよね。今のはただの想像よ」


 突然大きなため息をついてから、緋奈は僕の手を離した。


「緋奈?」

「あなたの顔を見たら安心したわ。だから、学校に行こうと思うの。まだ午前中だしね」

「ああ……そっか」

「……まゆきくん……」


 互いを見つめた。切なそうに潤んだ瞳。赤らんだ頬。漆黒の髪。それらが光の筋となり、僕の心と身体を縛りつけた。

 なんだろう、この微妙な違和感は?

 光の眩しさのせい……ではなさそうだけど。


「ありがとね」


 緋奈は頷いて、ゆっくりと病室を出ていった。

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