8 尋問

 例の集団殺人事件の犠牲者が三人増えたらしい。今回も左胸の同じ位置を刃物で刺されていたらしいが、僕にはそれを気にするより優先すべきことがある。

 少しだけ期待に胸を膨らませながら登校する。階段を上り切ったところで、教室のほうから駆けてきた星野と目が合った。


「お、九堂。ちょうどいいところに。お待ちかねのあいつ、来てるぞ」


 それを聞くと同時に、膨らんでいた期待が弾けて喜びに変わった。

 ……いよいよだ。

 今回のことについて思う存分聞かせてもらおう。非日常の復活に好奇心は打ち震え、自然と早足にさせる。

 教室に入ると、窓際の席に腰掛ける久森の黒い髪が目に入った。その姿は以前と全く変わっていない。違いは、周りの生徒が話している話題だ。一週間ぶりに姿を見せた彼女に対する慈悲と同情と、嘲笑。この中の何人が、『彼女が殺したのかもしれない』と本気で思っているだろう。

 彼女を問い詰めたい、その衝動を押さえ込む。待て、昼休みまで取っておけ、今はいつもと同じように挨拶だけにしておくべきだ。

 僕が久森とまともに会話をするのは昼休みと放課後くらいだった。朝は軽い挨拶程度しか話さない。だから、この場で早々と彼女に疑念を抱かせるのは得策ではないと僕は考えた。それに、他の人間には聞かれたくない。

 いつも通りに、鞄を机の横へ掛けてから久森の席まで歩く。

 いつも通りに、窓の外を眺める彼女の前に立つ。


「おはよう、久森」


 けれど久森は、いきなり疑惑の眼差しを僕に向けた。


「神崎さんに会った?」

「え……?」


 次には一応気遣いの言葉を用意していた僕は唖然とした。開口一番にそんなことを聞かれるなんて、思っても見なかったのだ。

 久森は黒い瞳で真っ直ぐに、僕を見つめている。息が詰まった。


「どうして、そんなことを聞くのさ」

「会ったの? 会ってないの?」


 僕だけが感じているであろう有無を言わさぬ迫力に、誤魔化しは通じないと悟る。


「会った、けど……どうして」

「別に」


 そっぽを向く。立ち尽くす僕に久森は、


「どうせ、今日も図書室に来るんでしょ」


 そう言った。十分だった。

 僕は無言で頷き、自分の席へ戻る。周囲の視線が居心地を悪くするが、気にしている余裕などなかった。昼休みに彼女とどんな会話ができるか。それが楽しみだった。

 ホームルームが始まる直前に星野が、


「おまえ、別人かと思うくらい活き活きとした顔してんぞ」


 そんなことを言ったが、深く突っ込むと面倒そうなので無視した。



 弁当を急いで食べ終えて、図書室へ向かう。

 なんとなく心が浮ついているのを自覚していることが悔しい。すぐ近くにあった非日常と離れていた数日、確かに僕は、星野に指摘された通り退屈だと感じていた。

 当たり前だ。灰色の日常から逸脱した存在である久森との会話を楽しいと感じてしまった僕は、簡単には後戻りできない場所にいるのだ。

 ……という自分の内心に呆れながら、図書室へ入る。

 久森は図書室でも窓際の席にいることが多い。今日も定位置に座り、本を読んでいた。

 なにも言わぬまま、僕も自分の定位置──彼女の向かいの席に腰を下ろす。


「それ、なんの本?」

「ミステリー小説。今いいところだからちょっと黙ってて」


 僕が図書室に来たとき、彼女は大抵読書をしている。邪魔をすると容赦なく詰って来るので読書が好きなのだろう。『僕と趣味が一緒だね』とは……口が裂けても言えない。気づいてしまったこと自体が悔しかった。

 視線を落とす彼女を見つめたまま、数分。読み終わったらしい彼女は本を閉じると、ようやく僕の顔を見た。


「久しぶりね。会いたかった?」

「うん」


 僕が頷くと、久森は少しだけ頬を紅くした。……なんで?


「なによ……普通に頷かないでよ。……恥ずかしいじゃない」


 ……。よくわかりません久森さん。


「君自身から聞きたいことがあってね。それでわくわくしてたよ」


 捻くれた僕の答えに、久森は大きく溜息をついた。


「神崎さんのせいね、きっと。私、あの人は苦手だわ。話していて、なんだかお腹の中を弄られているような気分になったのよ。自分で言うのもなんだけれど、私は母を亡くしたばかりなのに、落ち込む時間すらなかったわ」

「それは……同感だね」

「それで、あなたはあの人にどんなことを言われたのかしら?」


 彼女が長い髪を揺らし、首を傾げた。なにから言おうか。


「どうやらこの学校では、僕と君は親しい間柄ということになっているらしいと聞いたよ」

「あら、そうなの。誰が言ったのかしら。殺意を覚えるわね」

「神崎さんが言うには満場一致だそうだ。大変だよ、もしかしたらこの学校の生徒全員を殺すことになるんじゃない?」


 僕の皮肉めいた物言いに、久森は楽しげに笑みを零した。


「それは骨が折れそうね」

「君にそれほどの体力があるとも思えないしね。その殺意はそっとしまっておくべきだ」

「熟慮するわ。……ところで」


 僕を試すように、その目を細める。


「九堂くんは、私を疑っているのかしら?」


 心臓が勢いをつけ波打った。彼女のほうから核心に迫って来るのは予想外だ。


「……どうしてそう思う?」

「神崎さんとの会話でなんとなく感じたの。この人は私が母を殺したと思っているんじゃないかって。神崎さんがわざわざあなたに話を聞くなんて、そういう理由しか思い当たらないわ」

「なるほどね」


 そこまで自覚しているのなら否定しても意味はないか。が、『君が殺したのか』と尋ねたところで頷くわけがない。


「まあ、全く疑っていないと言えば嘘になるさ。でも、仮にも女子高生である君が殺人を犯すなんて、証拠がない限り信じられない」

「そう?」

「ただ、聞きたいことがある。二つほどね」

「なにかしら」


 細い目と、笑っている口元は変わらない。


「──君は、今回のことを本当に悲しんでいるのか?」


 久森が二度、瞬きをする。


「それは失礼というものよ。愛する家族を失ったんだもの。いくら私でも悲しむに決まっているでしょう」


 神崎さんは言っていた。『久森は悲しんでいるようには見えない』と。

 けれど、贔屓目かもしれないが、久森が嘘を言っているようにも見えない。


「君はそれを、隠したりした?」

「そうね……したかも。他人に自分が泣いている姿を見られるなんて屈辱だから」

「そういうところを気にする程度の余裕はあったんだね」


 僕の指摘にも、彼女は表情を崩さない。


「少なくとも、会ったばかりの人に気づかれない程度に誤魔化せるくらいの余裕は持っていたわ。そのために、自分の部屋で余分に泣いておいたから」


 器用なことをする。それとも大人びていると受け取るべきか。


「もう一つは?」

「ああ。お母さんが亡くなる直前、君は電話で話していたそうだね」

「ええ」

「どんな話をしたんだ?」


 その問いに、久森が息を呑んだのが分かった。彼女は小さく息を吐き、顔を伏せた。前髪が揺れ、その儚げな表情を暗い影で装飾する。


 逸る気持ちを抑え、彼女の言葉を待つ。やがて彼女は俯いたままで話し始めた。


「信じてもらえないかもしれないけれど、母は少し前から『死にたい』って……私に訴えるようになったわ」

「……それは」

「最近、父に愛人ができたらしくてね。父は否定してたけれど、母は確信していた。父が母に冷たく当たるようになったのは事実だったし……きっと、そのストレスも原因の一つだったのだと思う」


 それが、神崎さんの言っていた動機だろうか。


「私は母を助けてあげたかった。けれど私にできることは、説得力のない慰めを言ってあげることくらいしかなかったわ。『死なないで』、とね」


 微かに声の震えを感じる。


「あの日の朝、私を学校へ送り出すとき、母は疲れ果ててしまったような顔をしていたわ。だから、学校にいる間も何度か連絡して……無事を確認していた。けれど説得することはできなかった……。今思えば、母の反対を押し切ってでも学校を休むべきだったのよ。それか電話を切らなければ良かった。……母は父を愛していたの。だからそのショックは、私の想像よりも大きかったのかもしれない」

「……じゃあ、君のお父さんはどうだったんだ。その……」

「悲しんでいたかどうか? 私と違って、よりそう見えるように振舞っていたわ。納骨のときに泣き崩れていたけれど、あれは演技だと私は確信している。根拠はないのだけれど……とにかく父は世間体を気にする人なの。だから、誰も父が不倫なんて危険なことをするとは思わないでしょうね」


 そっか、と頷いておく。話を聞いていると、着々と彼女への疑心を潰されていくような気がする。もちろん全てを鵜呑みにしているわけではないが、事実、矛盾点は見当たらない。

 それに、やはり彼女が嘘を吐いているようには見えない。他人と違う部分はあれど、声の震えと寂しげな表情は年相応の少女のものであると思えた。しかも彼女の言ったことが事実ならば、神崎さんが言っていたことの全てを説明できるのだ。

 ──そういえば、神崎さんは『もう一度話を聞く予定だ』と言っていたな。


「久森。今の話は、神崎さんにも話した?」

「ええ。信じてくれたみたいだったけれど、納得はしていないみたいよ」

「どういうこと?」

「あの人、どうしても私を犯人にしたいのかしらね。『辻褄は合うから一先ず信じるけれど、多分また会うことになる』──そう言い残したわ」


 なんだそれは? 負け惜しみか? それとも……まだなにか、あるのか。

 けれど、僕の元に残された要素は、殺人衝動のことしかない。それ以外の疑念のことごとくを打ち砕かれた今では、久森が人殺しであると仮定することが、僕にはできない。これでもまだ彼女を疑うならば、この考察は以前と同じ、下らない妄想の産物と成り下がる。


「一応聞いておく。今君が言ったことは、全て本当のこと?」

「好きに判断して。あなたに信じてもらえるとは思えないから」


 どうやら『本当だ』と主張しているらしい。素直に言わないところをかわいらしいと思ってしまったのは僕の落ち度か。それが追い討ちとなり、さらに疑心が萎んでいく。

 神崎さんも証明できるとは思っていないと言っていたし、この件はこれで終わりにすべきなのかもしれない。そう思った。少し拍子抜けしていた。

 とりあえず……そうだな。面白味のある話題だったことは確かだし、この件に関する彼女への嫌疑は、新たな事実が現れてくれるまで心の隅にしまっておくことにしようか。そうして今まで通り、非日常に触れた少しだけ有意義な時間を過ごそう。

 久森が本当に殺人を犯したならば、それを暴くのは楽しいだろう。けれど、行き詰まりの推理というか妄想を抱えたまま彼女と接するのは面倒だし気怠い。機会があれば、くらいの心構えでいたほうが気楽だ。

 そんな自分本位な結論を出して、僕はそれに納得する。


「分かった」

「え?」


 唐突な僕の言葉に、久森は目を丸くした。


「現時点では、君を疑うのに十分な要素が見当たらない。君を信じるよ」

「……」

 

 彼女はしばし、まじまじと僕の顔を見つめた後、やっぱり頬を紅くして。


「──ありがとう」


 少しだけ視線をそらしそう言った。初めて聞いた気がする、彼女の素直な感謝の言葉だった。

 ……なんだろう。またしても胸がざわつく。鼓動が速くなっている……気がする。どうやって誤魔化そう。


「──さて」


 僕はいつものノートを机に広げる。


「それじゃ、今日も噂の真相を聞こうか」

「ちょっと懐かしいわね」

「そう? えっと……『去年卒業した島田って先輩の精神をズタボロにしたのは本当か』?」

「ああ、そんなこともあったわね。しつこく交際を迫ってきた人よ。あまりにしつこいから、二種類の小さいメモ用紙を用意してね、片方には『愛してるわ』、もう片方には『久森と別れなければ●●(自主規制)』って差出人が別だと思われるように工夫して書いて、それぞれを毎日十枚ずつ彼の下駄箱に入れてったら一週間で姿を見せなくなったのよ。日に日に顔が青白くなっていくの。面白かったわ」


 ……。サディストめ……。



 充実した一日だった。下駄箱で靴を履き替えつつ、そう思った。

 久森は不思議な存在だ。彼女と話したというだけで、僕の心は充足している。ただ噂の真相を聞き、その間につまらない雑談を挟んでいる……それだけなのに。こんな経験は理解の範疇を超えていて、僕には上手く整理することができない。それは悔しいとは思えど、不可解なことに腹が立つことはなかった。


「……はぁ」


 自分の中にある、説明できない感情。それを持て余し、僕は溜息をついていた。


「九堂、考え込んでるとこ悪いんだが」


 振り返ると、星野と蔵前が並んでいる。


「君たち、一緒にいて大丈夫なのか?」

「人があまり来ないうちに聞いておきたいんだ。久森はどうだった?」


 ああ、なるほど。


「母親の死を悲しんでいるようだったよ。あれに対し嘲笑を送るのは人としてどうか、という結論を僕は導き出したね」

「ちゃんと慰めたんだろうな?」

「ちゃんと、とは言えないだろうね……けど、感謝はしてもらえたからいいんじゃないかな」

「感謝ぁ? 久森が?」


 声をあげたのは蔵前のほうだ。星野は僕の言葉に納得してうんうんと頷いている。


「信じられない。あの久森が、誰かに感謝するなんて」

「そこまで傲慢な人間じゃないよ、久森は。少しは見直してやってくれ」

「……うーん……でもまだ、あたしは大っ嫌いだ。行こう、一成」


 すごく不機嫌そうな蔵前が星野の腕を引っ張っていく。ずるずる遠ざかるまま、星野が首をこちらへ巡らせた。


「あー、気を悪くしないでくれよ九堂。こいつもいい奴だからさー」


 そうして二人で、橙の向こうへ消えていく。

 分かっている。蔵前が嫌な奴じゃないってことは、普段の学級委員長としての真面目な振る舞いを見ていれば分かる。けれど……。


「……気を悪くするなってのはちょっと無理だよ」


 思わず零したその呟きを。


「あら、嬉しいこと言ってくれるわね」


 彼女は聞き逃さなかった。


「……いつからそこにいた?」

「あなたが来るより先に。あなたを待っていたのよ」

「全部聞いてたのか。趣味が悪いね」


 久森は笑っている。微笑んでいる。……心地いい微笑みだった。

 心臓が大きく跳ねる。非常に不味い……かもしれない。

 僕も、彼女が美人であることは否定しなかった。けれど、その裏にあるサディストとしての顔を警戒していたからこそ、今まで道を踏み外すことなく付き合ってこれたのだ。

 だというのに。この素直な笑顔はきっと……誘惑じゃなく、普通の女の子のものだ。


「そうかもね。けれど、あなたが私のことをどう思っているか知ることができたわ。素直に感謝すべきよね。ああでも……あなたも私との会話を楽しんでくれてるみたいだし、おあいこかしら?」


 ──見抜かれている。それに加えてさっきの僕の言葉を全て聞かれていたと思うと……不味い。屈辱だ。体温の上昇を自覚する。

 話題を変える必要がある! 迅速に、急速に、高速で。


「それより、久森。なぜ僕を待っていたんだ」

「そうそう。九堂くん、一緒に帰らない?」


 自然な笑みのままの、いつかと同じ問いかけ。あのときと違って、企みや謀の一切を感じさせない。僕の感覚が麻痺しているのか、それとも彼女が純粋に尋ねてくれているのか。


「遠慮するよ」


 久森が一瞬だけ眉尻を下げた。けれど、すぐに元に戻す。


「どうして?」


 どうしてだろう。悪魔の誘惑という表現ができなくなってしまった今、僕が彼女を拒絶する理由はどこにあるか。探せ、探せ、探せ──。


「……僕の勇気が足りない、ということにしておいてくれ」


 眉根を寄せて首を傾げる久森。なんというか、本当にかわいらしい。


「つまりさ。君と共に帰ると、君のファンが怖いってことさ。誰にも見つからずに帰るなんて、君には不可能だ。それで納得してもらえると有り難い」

「……そうね。分かったわ。今日のところは一人で帰るわね」


 それじゃ、ときびすを返す久森。黒髪が橙を弾いて、光り輝いて見えた。

 よかった。今の僕の台詞で余計に彼女のサド心を刺激してしまうかとも思ったのだが、上手くいった。

 胸に手のひらを当て、深呼吸をする。素直な笑み、というものが持つ破壊力は想像の遥か彼方を行き、僕の心を揺らした。なんて恐ろしい……。

 さっきも思ったけど、『外見は美人』だと──そう判断したのは僕自身だった。

 なら、彼女が今のように素直な笑顔をまた見せ、想いのまま、ありのままの気持ちを打ち明けてくれるようになってしまったら……。内面まで、美しく変わっていくなら……。

 もしもそうなったら、僕は彼女のことを──。

 非常事態だ。非日常どころじゃない。

 彼女は危険だ。危険過ぎる。

 これ以上、余分に踏み込まないよう、注意しなければ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る