2 僕と彼女のはじまり
どこであろうとも、噂を絶やさないような有名人となった者にはファンというのが付き物だけれど……久森も例外ではない。星野を含み、この学校には彼女のファンが大勢いる。彼らの言う久森の魅力というのは、確かに大多数の人間が認めるところではあるのだった。
そして星野曰く、彼女を好いても嫌ってもいない、興味すら持っていない僕は絶滅危惧種だとか。
「けれど星野。彼女に興味を持てない男が僕だけだとしたら、この世は終わりだろう」
「そうかもしれない」
星野はあっさり認めたが、その目は恐ろしいほど笑っていない。
「だがな九堂よ、噂の絶えない女なんて、まさにアイドルじゃないか。もちろん彼女にも欠点はある。だがあんなふうに不思議な女が、俺たち健全な男子には必要なのだよ」
件の彼女は窓の外を眺めている。僕の席は最後列なので表情はよく見えないが、その横顔は退屈そうに見える。今すぐにでもここから出て行きたい、というような。その姿は、さながら城に閉じ込められたお姫様だ。確かに久森は美人である。
「アイドルねぇ……」
ついでに、彼女を端的に言い表すなら『謎の女』が適当か。成績は常に学年トップ、運動神経もそこら辺の男子より優秀。しかも、さらさらと流れる長い黒髪となんとも言い表せない神秘的な雰囲気を纏っているという曖昧なオマケ付き。
これだけ聞くと、完全無欠な優等生である。実際のところ人気も人並み以上にある。ならばなぜ、悪い噂が絶えないのか。僕が思うにその原因の一つが……その中身。
「星野。君の言う彼女の欠点は、アイドルとしては致命的だと思うけれど」
「そうか?」
「だって彼女の欠点って、あの協調性の無さだろ?」
僕は久森と接する機会を持ったことなどないのだが、それでも彼女の欠点は目に余る。要するに人当たりが悪く、毒舌。総合的な評判は決してよろしくない。簡単に言ってしまえば、能力は飛び抜けているが人間性に問題がある、ということだ。
それでも、見た目と雰囲気に惹かれて突撃し、玉砕する者たちも数知れない。先の殺される噂が真実ならば、行方不明者が多過ぎて休校は免れないと思う。
僕の指摘を前に、星野は不適に微笑み、高らかに言った。
「ならば言い方を変えよう。彼女は泥棒だ」
「泥棒?」
「社会的には好意的な見方をされない。けど、俺たちの心は確実に奪われているのさ」
「名言だね……」
もちろん棒読みだけど。
僕らの話を聞いていたらしい、周りの男子連中も頷いている。このクラスにも久森のファンは多かった。
「ところで、君たちは噂の真相を聞いてみたりはしないの?」
僕の問いに、星野たちは化け物でも見たような顔をする。
「そんなことできるわけないだろう。本当だったらどうするんだ」
「それは大変だろうけれど……アイドルに付き纏う悪い噂を追い払おうとは思わないの?」
「……なら、おまえが聞けばいいだろ」
……その台詞は予想していなかった。
言ったのは星野ではないにだが、誰かが提案したその言葉に、彼らは「そうだ! そうだ!」と完全に同調する。そして割と寛容である星野も、ついに僕を見捨てた。
「そうだな。そこまで言うなら、おまえが聞け」
滅茶苦茶である。
「なんでさ。僕は彼女のファンでもなんでも……」
「九堂ぉ」
星野がニヤリと笑って、僕の肩に手を置く。
「悪いな。だが……聞いてこれなかったら、おまえの小学生のときのあだ名をバラすぞ」
「な……!」
完全に墓穴を掘ってしまった。このままでは体よく使いっ走りにされるが、あのあだ名をバラされたら……もう生きていけない。たとえ大人気ないと言われようとも。
「わかったよ……善処はするさ」
「そうか。頼むぞ、同志よ」
誰が同志だ。完全に脅迫じゃないか。
なんだかもやもやしたモノが胸に残った。とはいえ、恐らく誰も僕に期待などしていないだろう。今までだって、誰も確かめることができなかったのだから。
「あんな女のどこがいいんだか……」
そう呟いたのは、隣の席の蔵前。星野たちの天敵の一人である女生徒だった。
「あんたたちは、見た目と頭がよければそれでいいわけ? あんな、他人を見下してるような女でも?」
途端に蔵前と星野たちの言い合いが始まる。肯定派と否定派の口喧嘩はこの学校の名物だ。誰も見たくないだろうけれど。
それにしても、蔵前の言い分は尤もだ。今のはただの嫉妬ではなく、久森否定派の意見だと言える。全生徒の約半分が彼女を嫌悪し、残りがファンとなるのが、この学校の現状である。
そんなふうに、久森緋奈は賛否両論な人間だった。良く言えば高嶺の花。悪く言えば厄介者。逆方向の言葉であるが、どちらも似合っているというのも久森の魅力なのだろう。とにかく、この学校の生徒のほぼ全員が、良くも悪くも彼女を意識しているというのは僕にも理解できた。まさに芸能人。
星野と蔵前の言い合いを視界の外へ追いやりながら、再び久森を見る。
暗闇のように長い髪と、月のように白い頬。それは退屈な毎日を繰り返す日常の中で唯一、色を持ったコントラストに見えた。
「……久森緋奈か」
星野に触発されたのだろうか。一度、話をしてみようかと思った。それが日常に色をつけるきっかけになるかもとか、そんな下らないことを考えていると、担任の篠田が教室へ姿を現した。ようやく喧噪は収まり、ホームルームが始まる。
もう一度、久森へ目をやる。
――彼女はまだ外を見ていた。外はいつの間にか、雨が降り出していた。
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