9 なぜこうなったのか、誰か僕に教えてくれ
翌日。近づいてくるゴールデンウィークの話題で周囲が沸き立つ中、僕と久森は食堂で向かい合って弁当をつついていた。
久森は当然のように僕の向かいに座り弁当を広げたのだが……彼女は危険だと判断したばかりだというのに、拒絶できなかったのはなぜだろう。
「ねえ、九堂くん。ゴールデンウィークの予定はあるかしら」
いつかと同じシチュエーションだ。
「いいや……」
「じゃあ、どこかへ出かけない?」
「どこへ?」
どこへじゃないよ。乗り気だと思われたらどうするんだ。僕はいったいなにを言っているのか……。
「そうね……映画とかどうかしら!」
久森はわくわくしているのか、目を輝かせている。なんだこの、かわ──いやいや。こんな久森を見るのは初めてかもしれない。
「あのね、『君が奏でる明日なら』っていう映画を見に行きたいの。知ってるかしら」
「いや。どういう映画?」
聞いてどうする。本当に一緒に行くことになるぞ……。
「青春映画よ。ファンタジー要素も入ってるんだけど……泣けるって誰かが言ってたわ」
そういえばあのノートを通して、映画観賞も彼女の趣味の一つだと僕は知っている。
けれど、じゃあ行くか、なんて気軽に答える勇気が僕にはない。
「……どうして僕を誘うのさ」
「え、それは……その」
珍しく口ごもる久森。そして彼女は顔を真っ赤にして、とんでもないことを口にした。
「私たち……もうお友達かと思って」
──かわ──かわ──い、いや待て。
周囲の視線が痛い。とても痛い。
僕はバクバクうるさい心臓を気取らせないように押さえつけながら、真っ赤なままの久森に問いかける。
「友達なのか、僕たちは」
「し、知らないわよ。距離感とか……わからないし……そ、それで行くの!? 行かないの!?」
お箸を突きつけられる。
あー……なんだこれは。
彼女は本当に久森緋奈なのだろうか。そして、僕は僕なのか。わからなくなってきた。
了解しても断っても誰かにコロされそうだ。どっちにしろコロされるなら……。
「行こうか」
深く考えずにそう答えていた。
やはりなにかがおかしい。
僕たちは昼を食べ終えたあと、連れ立って図書室へ向かい、いつもよりかなりぎこちない質問タイムもそこそこに、出かける予定について話し始めた。
「三日はどうかしら?」
「うん、いいよ」
「決まりね。楽しみだわ」
微笑む久森。一方の僕は、果たしてどんな顔をしているのだろうか。
「君、本当に久森だよね?」
「どういう意味よ」
「いや……別人みたいだからさ」
うーん、と考え込む久森。これまた珍しい。そんな彼女も画になるなぁ、なんて思ってしまった。
「あのとき……」
久森が呟くように言う。
「あなたが私のことを信じると言ってくれたこと。それが本当に嬉しかったのよ。強いて言えばそれが原因かしら」
「……それだけで?」
「心からそう言ってくれたのは、あなただけだから。こんなに長く私とお話ししてくれたのもね」
暖かな言葉、仕草、瞳。魅惑的な彼女の一挙手一投足が僕を冒す。なんと言えばいいか……とにかく、難しいことを考えたくなかった。
「わかった。ありがとう、久森」
普段言えないような言葉がすらすらと。恥ずかしさも気だるさも、彼方へ飛んでいってしまった。
僕のお礼にはにかむ久森。なにかがおかしくなってしまった僕らは、友達であることを確かめるように頷き合った。
そして、これまた当然のように二人で教室へ戻る。ひそひそと声が聞こえてくるが、もはやあまり気にならない。
じゃ、と手を振り合って席に着く。
「おい」
早速、星野が僕の前に仁王立ちになった。なんだか楽しそうに目を細めている。
「どういうことかな九堂クン?」
「どうやら僕らは友達になったらしい」
その瞬間、静まり返る教室。みんな仲良く固まっている。その雰囲気が、僕に恥ずかしさを少しずつ取り戻させる。……どうしよう。
そして静寂を破ったのは、意外にも。
「……私だって、友達くらいつくれるんだから……」
さて。様々な噂の真偽を暴き、久森って思ったよりまともなのでは、という感想を抱く生徒が増えてきたような気がする昨今。特にここ数日は話しかけてみる女生徒が結構いるらしい。
とはいえ、当の久森がそれを望んでいないのは変わらず、友達を増やすには至っていないようだ。友達が欲しいのかそうでないのか。信じて欲しいのかそうでないのか。全く……わからない。
彼女の本心を聞いてみたいところだが、僕にはその勇気が足りていない。
「はぁ……」
喧騒の中、映画館の看板を見上げながらため息をつく。結局来てしまった。悩むことはなかったが、散々家で悶絶した。
スマホの画面を確認する。約束の時間の一時間前だ。本当、なにをしてるんだろう、僕は。彼氏か。
──彼氏?
思い浮かべたその言葉に、なぜか僕は恐怖した。
いや……ありえない、ありえない。流される形で友達になったけれど、いくらなんでも彼氏なんて。あの久森の。まだ出会ったばかりだし……いやそういう問題か!? そうじゃなくて……僕は彼女のことを面白がって近づいただけだ。だからそんな関係になることを僕は望んでいない。彼女もそうだろう。僕らは互いを楽しむために、共に時間を過ごしてきたはずだ……。
白昼堂々人前で悶絶しそうになったそのとき、あまり聞きたくない声が聞こえてきた。
「あらまー九堂くんじゃないの。奇遇だねぇ」
相変わらず人を不快にさせるニヤニヤとした笑み。
「……神崎さん」
「お姉さん運命感じちゃうなぁ~。ねぇ? せっかくだし、一緒に映画でも見に行っちゃう?」
「なんでここにいるんです?」
「ゴールデンウィークを満喫中さ。映画を見に来たわけじゃないんだけど、九堂くんを見かけたからつい、ね」
そんな彼女の服装はまさかの上下ジャージ。部屋着のまま出てきたような雰囲気だ。化粧もほとんどしていないように見える。
ある意味似合っていると言えなくもないが……。
「九堂くんも楽しんでる? これから楽しむところかな」
「……まあ……」
「そっかそっか。……ねぇ、緋奈ちゃんに関する新情報、ないかな?」
この人もしつこいな。久森が来る前に追い払いたい。
「久森から聞きました。どうしても自分を犯人にしたいんじゃないかと傷ついてましたよ」
「ま、そうだろうね。けど疑うのがあたしらの仕事だからねぇ」
にひひ、と嘲るように笑う。
「久森と話したんですけど、彼女が言ったことが本当なら、あなたが語った疑問を全て解き明かせるんです。嘘をついているようにも見えなかった。僕には、久森が殺したとは思えません」
「へぇ……いっちょまえに彼女をかばうんだねぇ」
そのとき、神崎さんの目がスッと細められたのがわかった。同時に周囲の空気がどろりと濁るように重く、固く、冷たくなったような気がした。
「ねぇ、九堂くん」
その口から発せられる言葉は、怖気がするくらいに鋭く、精神に食い込んでくる。
「あたしら警察の人間を騙し通せるような完璧な演技が、いくらなんでも彼女に出来ると思う? 君は言ったよね。緋奈ちゃんが言ったことがすべて本当なら、あたしの疑問を全て解明できるのだと。嘘をついているようには見えなかったと。──完璧じゃないか」
「……なにが言いたいんですか」
空気は冷たいのに、汗が止まらない。
「当然だけど、君が緋奈ちゃんと話すより前にあたしの事情聴取があったわけだ。ってことは緋奈ちゃんは、どういう理由で自分が疑われているのか解っていた。当然、君に問い詰められることも想像できたはずだ。事実、彼女は君の疑念を簡単に打ち砕いた。完璧な答えと自然な仕草で。……なら、どうしてそれらが、予め用意された虚構だと思わなかったの?」
全身に悪寒が走った。いつかのそれとは違う、身体中を射抜かれたような嫌悪感。
その感覚は、神崎さんの言葉を肯定してしまったことを意味していた。
「君が納得する答えを用意する時間。君が受け入れてしまう仕草を考える余裕。どちらも彼女にはあったんだよね。答えも仕草も……嘘である可能性が、十分あると思わないかい?」
「……」
「アハ! じゃ、お姉さんの考えを理解してもらったところでぇ……お姉さんは散歩に戻ろっかなぁ~」
手を振りながらスキップで去っていく神崎さん。酔っているようなテンションの癖に、突き刺すような言葉を残していった。本当、なんなんだ、あの人は。
とりあえず深呼吸。大丈夫だ、たぶん。神崎さんは知らないんだ。久森の、暖かな言葉や仕草、瞳を。僕だけが知っている彼女の一面を。きっと、あれは本物だ。
──でも。
嘘である可能性。完全に忘れていたわけではなかったけれど、それでも。
久森への疑いを、もう少し思い出してもいいのかもしれなかった。
うつむいて息を整えていると、また久森とは違う声がした。
「こんにちは、九堂くん」
顔を上げると、水上さんが立っている。
「水上さん……なんでここに」
「もちろん映画を見に来たんだよ。九堂くんは久森さんとデートなんだってね?」
「別にデートとかじゃないよ。ただの……ただのお出かけ?」
「なんで疑問系なの? ……あ、それにしても……」
満面の笑みを浮かべる水上さん。
「羨ましいな」
……なんだろう。笑っているはずなのになんだか……?
「あ、時間だからあたし行くね! それじゃ」
「うん」
走り去る水上さん。どんな映画を見に来たのだろう。
いやそれより、今の違和感はなんだ。あの笑顔に込められていたものは。祝福でもなく嘲りでもない。応援でも、ましてや愛情なんかじゃない。
あれは……敵意。敵意だ。そんな気がした。
でも、どうして……?
柱に身を預け考え込んでいると、突然ちょいちょいと袖を引っ張られた。見ると、久森が自信なさげな表情で立っていた。
黒いカーディガンにデニムという装い……クールな彼女らしい服装だ。
「久森」
「あの……ごめんなさい。待たせたみたいで……」
今来たところだとか言うべきだろうか。わざとらしくないか……?
「あ、いや……大丈夫だよ。約束の時間まで大分あるからさ」
「ええ……」
ハンカチで汗を拭い、深呼吸。それから僕に目を向ける。なぜかジト目。
「人を待たせるなんて醜態、見せるつもりなかったのに……屈辱だわ……」
「醜態ってほどのことでもないよ。君にはなんの落ち度もないだろ? それにたぶん……人を待たせることなんてこれからもあるよ」
なぜか久森をかばうような言葉を並べる僕。
「……ありがと。……それにしても九堂くん、顔色が悪いわね」
「そう? ま、暑かったからね」
あの人のせいだ。確実に。
「じゃあ、とりあえず中に入ろうか。パンフレットとか、買うだろ?」
「そうね。行きましょう」
久森おすすめ(?)の映画『君が奏でる明日なら』は、吹奏楽部に入部した高校生の純愛と戦いを描いたファンタジー青春映画だ。面白かったけれど……それよりも、隣の席の久森が見てて飽きなかった。
ギャグシーンでは笑ったり目を輝かせたり。シリアスな場面では祈るような表情で、両手を胸の前で組み合わせたり。クライマックスでは涙ぐんだりもしていた。表情がコロコロ変わる様は本当に普通の女の子みたいで……見ていると、不快感が段々消えていくような気がした。
上映が終了しロビーに戻ってくると、久森は大きく身体を伸ばした。
「あー、面白かった。九堂くんはどうだったかしら?」
「うん、面白かったよ」
正直内容はあまり覚えてないけど。
「そう、良かった。大いに語らいたいところだわ。このあとはどうしましょうか」
「そうだね……」
帰りたい。なぜなら、これ以上彼女と一緒にいるとなんかこう……なんかこう……アレがアレで……。
全く、なんで僕がこんな目に……。
「悪いんだけど、今日はこの辺で……」
いい加減、勇気が欲しい。
「そ、そう?」
久森が苦笑する。肩を落としたのがよくわかった。
「わかったわ。九堂くんも駅よね?」
「うん、行こうか」
その後は特になにもなく、駅まで歩いて電車に乗り、僕が先に降りた。
──気を遣わせたな。さっきのは僕が悪い。あとで埋め合わせをしたほうがいいかもしれない。
……埋め合わせって。だから彼氏か僕は……。
とにかく。久森との初めての外出は、邪魔が入りつつも充実したものになった。久森は、どう思っただろうか?
そういえば……LINE登録でもしておけばよかったかな……。
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