第7話 ハナちゃんは人間ホイホイ

「ハナちゃん、散歩行くよ」


 文化祭前の最後の日曜日。寒くなってきたので早めにハナちゃんの散歩に出発した。来週の日曜日は文化祭2日目で、ばあちゃんも丸一日、文化祭を堪能する気らしい。ただ、校内に犬は入れないからハナちゃんはばあちゃん家でお留守番となる。


「今日いっぱい散歩するから、来週は許してね」


 ハナちゃんに向かって言うが、ハナちゃんはわからないフリ、あるいは、都合の悪いことは聞いてないフリをするので、知らんフリしてテッテッテッテッと歩き始める。軽快な足取りで、急な坂を降りる道を選んだ。


(結局、糸井さんに聞けてないな……)


 糸井さんに話しかけられないまま2週間が過ぎ11月になった。俺がチキンすぎると言われればそれまでだが、そもそも話しかけられるタイミングが少ないのだ。俺は移動教室ばかりの毎日だから教室にいる時間は限られるし、糸井さんは帰るのが早くて、逆に朝は、家が近いからか割とギリギリにやってくる。言い換えれば糸井さんの学校滞在時間は短い。英語部の活動日は知っているが、とはいえ部活に押しかけてまで聞くことでもない。


(ばったり会えたら1番いいんだけど)


 あの日から2回、ハナちゃんの散歩であの住宅街の中を歩いたが、ピアノの音は聞こえなかった。1回は家の前庭に停まっていた車自体がなかったから、糸井家は家族で外出していたのではないかと思われる。週1回の散歩で糸井家に住んでいるのが本当にクラスメイトの糸井さんなのか、確認できる確率はかなり低い。


「あ、ハナちゃんだ」


 住宅街に差し掛かったところで顔見知りの小学生に囲まれる。ハナちゃんは嬉しそうだが、俺はちょっとゲンナリしない。


「かわいいねぇ〜」

「服着てるよ」

「はは、こんにちは」


 11月になって風も冷たくなってきたからと、ハナちゃんにも服を着せている。ばあちゃんがじいちゃんのシャツをリメイクした服は秋らしく、どこか英国ちっくな赤地のチェック柄は、ハナちゃんの黒い背中によく映えている。


「もふもふだね」

「あんまり触ると服が毛だらけになるよ」

「いいよ全然」

「ハナちゃん冬毛になったの?」

「あひゃひゃ、舐められた〜」


 わしゃわしゃとハナちゃんに触る(そして袖を毛だらけにしている)小学生に一応声はかけるが、アレルギーがないことは知っているし、ハナちゃんもかわいいかわいいと褒められて満更でもなさそうなので、しばらく立ち止まってハナちゃんと小学生を交流させる。


 〜♪あーきのゆうひーに

 てーるーやーまーもーみーじー♪〜


 午後5時を告げる町内放送が流れ始める。11月になったから、先週まで「とんぼのめがね」だった曲が「紅葉」になっていた。


「帰らないと怒られるんじゃない?」

「ほぼ家だよ」

「そうだよ、すぐそこだもん」

「ハナちゃんあったかーい」


(毎度のことだけど困るよなぁ)


 全く、どれだけ立ち往生していれば良いのだろう。ハナちゃんが嫌がってくれれば良いが、ハナちゃんは全然ウェルカムな態度で、小学生に撫でられている。尻尾もぶんぶん振っている。本当に柴なのか。


 どうにかならないかなぁ、と周りを見渡していると、車の後ろから出てきた大人と目が合った。おじさんなので、ハナちゃんを取り囲んでいる小学生たちの親というわけではないだろうが、俺が困っているとわかったらしく口を開いた。


「そろそろ子供たちは帰りなさい。5時の音楽鳴ったし、犬も散歩したいんだから」

「犬じゃないよ、ハナちゃんだよ」

「はいはい、ハナちゃんね。かわいいのはわかるけど、いいから帰りなさい。お兄さん困ってるから」


 渋々と子供たちがハナちゃんから離れる。ありがとうございます、と頭を下げて、俺はハナちゃんの散歩を再開する。ハナちゃんはたくさんチヤホヤしてもらったからか機嫌が良くて、「へっへっへっ」と口角を上げて笑っているような顔で、人間ならスキップしそうな足取りで住宅街の中を歩いていく。


「よかったね。たくさん可愛がってもらって」

「へっへっへっへっ」

「またばあちゃんに服作ってもらおうか」

「へっへっへっへっ」

「まぁ、でも次に散歩に行くときに着るのはセーターかもね。去年のセーター、伸び伸びだからどうかなぁ。先生に褒められるくらいスリムになったもんね」

「へっへっへっへっ」


 何を言っても「ヘッヘッへっへっ」しか返ってこないが、一応聞いてはいるのだろう。耳は俺の方を向いてピクピクしている。


「今日はピアノ、聞こえるかな」

「ワンッ」

「わっ……なにハナちゃん」


 ハナちゃんは、家にいる時は番犬として吠えるけど、散歩中は滅多なことで吠えない。小学生が群がってくるのもそれが原因だ。少々雑に撫でられても、ほっぺたを揉まれても、尻尾を弄ばれても、吠えない。そんなハナちゃんが吠えたものだからびっくりした。ハナちゃんが見つめる先に、俺も目線を向ける。


「平川くん、平川拓也くんだよね。同じクラスの」

「い、糸井、さん……」


 センター分けの肩までの黒髪に、キリッとした眉と菫色の眼鏡。メガネの奥の茶色の瞳がまっすぐこちらを見つめていた。

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