第3話 束の間の息抜き

 両親のいない週末ほど、楽しいものはない。


 午後6時頃までに帰宅できる日は、私は欠かさずピアノを弾く。週末も丸一日出かけるようなことがなければピアノを弾く。ピアノのレッスンは普段は月2回、合唱コンクールの前の2ヶ月は毎週通う。幼稚園の頃から習い始めたピアノは今や生活の一部となっていて、日々のちょっとした楽しみだ。


 とはいえ、この時間も息抜きと言えるほどの自由はない。


 自宅1階のリビングにあるのは母のお下がりのアップライトピアノ。電子ピアノではないから音を小さくするにも限度があって、弾けるのは午後7時まで。もちろん何時間弾いているか、何を弾いているかも両親が家にいる間は筒抜けだ。1時間程度練習する分には、両親は何も言わない。レッスンに通っているのだから相応の練習はするべきだと思っているからだ。ただ、これが2時間、3時間と弾き続けたり、レッスンで習う曲とかけ離れたものを弾き始めると怪訝な顔をされる。


 だから、親がいる間は自由に弾けない。


 この週末は、両親は旅行に行っている。某機関の国家公務員は勤続年数で、代表が何人か記念に皇居に呼ばれる行事があるらしく、父が今年その行事に当たったらしい。配偶者も一緒に、とのことで母も参加できるのだという。詳しいことはよく知らない、というか説明されたのかもしれないが、数日親がいないというワクワクが勝って覚えていない。両親は東京など行く機会が滅多にないから、行事があるのは火曜日なのに土曜日の朝、出発していった。3泊4日の東京旅行を楽しんでくるらしい。ありがたいことだ。


 鍵盤の蓋を開けて、フェルトでできた鍵盤カバーを外してアップライトピアノの天板に乗せ、代わりに天板からミントグリーンとブルーの表紙の教本を手に取る。ハノン、そしてツェルニー。ピアノ弾きなら欠かせない指練習のための2冊はルーティーンだ。収録されているどの曲も弾き飽きているので面白みはないし、今日は親の目もないが、ウォーミングアップは怠らない。


 ハノンやツェルニーの練習曲で手を慣らしたあと、私は英語ノートを開いた。中学時代に予備を買いすぎて余らせた英語罫ノートは、今や一本線を足して五線譜ノートとなっている。学校に持っていくのも、家で開くのも、英語ノートなら英語の勉強をしているとしか思われない。毎ページに15本、ボールペンで線を追加するのは面倒だが、隠れて作曲するためには仕方がない。


 そっと、新曲の最初の音の鍵盤を押した。ぽーんっ、と柔らかく音が響く。その音が身体にも響いてぶるり、と身震いした。自分が書いた曲の最初の音を弾く時は、いつもこうだ。ゾクゾクする。興奮のゾクゾクと、誰かに聞かれていないか、そこから親にバレないかという恐怖のゾクゾク。


(大丈夫、絶対大丈夫。弱音にしているし、窓だって開けてない)


 アップライトピアノの3本のペダルのうち、真ん中の1本は弱音装置のもので、踏むとハンマーとピアノ線の間にフェルトの幕が降りてきて音が小さくなる。自分で作った曲を弾くときは、弱音装置を使わないと落ち着かない。思わず目でペダルを確認するが、ちゃんと真ん中のペダルは下がったまま固定されている。加えて窓も閉めている。完全に音漏れがしないとまでは言えないにしろ、何の曲を弾いているかバレるほど近所に音が響かないはずだ。母がほぼ毎日、庭の水やりの時にお喋りしているお隣は耳の遠い老夫婦だから、聞こえるはずがない。


 何度か深呼吸を繰り返したのち、私は楽譜の次の音の鍵盤を押す。ぽーん。ぽぽーん。


 書き溜めた楽譜をピアノで一音一音、一小節一小節、確認して修正を加える。やはり頭の中だけで奏でられるものを正確に書き取るのは難しい。頭に響いた時、その場その場で書き込んだ譜面も実際にピアノで弾いてみると頭の中の音とは違って首を捻ることは多々ある。普段の週末、両親が2時間程度買い出しに出ているくらいの時間では作業は進まない。


 だからといって空き時間でスマホのピアノアプリで確認しようとしても、スマホの小さな画面では右手左手両方を一度に奏でることはできないし、本物のピアノで弾いては「これじゃない」となることもあり、結局書き留めたものは全てピアノで弾いて確認しなければならない。酷い時は一小節を完成させるのに1時間かかることもある。だから親がいない時にしかできない作業だし、1番苦しい作業かもしれない。


(今日はこれ以上粘っても無理か……)


 親がいなくても近所迷惑防止のため、午後7時までしかピアノに触れないという制約は変わらない。結局譜面の修正は土曜日だけでは終わらず、日曜日の午前中までかかった。


 譜面の修正は1番辛い作業とはいえ、ぼんやりと頭の中で流れていた音がきちんと音符として五線の中に固定され、旋律や和音が顕になる過程に楽しさはあるし、何より清々しい気持ちになる。普段の私の脳内が、音符のオタマジャクシが脳髄液の池を泳ぎ回って水を濁らせている状態だとすれば、今は全てのオタマジャクシが捕獲されて水が澄んでいる状態だ。そう考えれば晴れやかな、スッキリした気持ちになるのは当然だろう。


 何度か片手ずつ音をさらって、両手で音を合わせる。響きを確認して音の最終決定をしたら、あとは何度か通しで弾いて速度や強弱を書き込んで譜面を確定する。私の頭の中だけにあった曲が楽譜という物理的な存在になる達成感が好きだ。自分の頭の中のものが、ちゃんと形を持ってこの世に留まっている。それだけで満足だ。


 他人に聞かせようなんて思わない。動画でも音楽配信でもSNSでも、公開すれば誰かには刺さるのかもしれないが、仮に刺さったとしても私は作曲家にはなれない、なるつもりもない。身の丈に合わない夢は持たないし、自分の頭の中を他人にさらけ出す勇気は、私にはない。


 何度か練習したのち、私は英語ノートを閉じてピアノの天板の上に乗せた。楽譜はちゃんと覚えている。何せ曲の出どころは自分の脳内で、自分で楽譜に書き起こしたのだから暗譜するのは容易い。


 一つ深呼吸してスマホのボイスレコーダーアプリを起動する。静かにスマホを譜面台に置いて、鍵盤に手を這わせる。最初の一音が肝心だ。一音目が上手く鳴れば、あとは最後まで集中して弾き切れば良い。いつもは親の帰宅時間が早いか、演奏が自分の納得できる出来になるのが早いかの戦いだが、今回は親は火曜日まで帰ってこないから思う存分弾き直しもできる。


 ただ、こういう余裕がある日ほど演奏はうまくいくもので、3回目にして満足の演奏ができたのでレコーダーアプリを止める。2回目までのデータを削除して、タイトルに何曲目かを示す数字を入れれば、作曲は終了だ。今回の曲で26曲目。といっても、短いものは英語ノート1ページに収まってしまうから、演奏時間が3分を超える長い曲でいうと7曲目だ。


(伴奏の練習もしなきゃだけど……せっかくの機会だし、明日は丸一日模試だからピアノ弾けないし、過去の曲も弾こうかな)


 私はピアノのあるリビングから、2階の自室に向かう。机の引き出しの奥底に隠している英語ノート3冊。2冊は中学時代のもので、残りの1冊が高校1年生の頃のものだ。


 作りかけで曲を投げ出したり、あまりにも書いたり消したりを繰り返しで読みにくいからとページを変えたり、カモフラージュのために英単語練習をしているページがあるから、曲数に対してノートの冊数は多い。時には楽譜の途中に英単語の書き取りが数ページ挟まってしまい、ノートを使い終わった後に破いたところもある。ただし、ページの片面が楽譜で片面が英単語だと破くにも破けないので、見開き1ページで片面が楽譜、片面が英単語というページもあるし、見開きで丸々英単語練習になっている場合は糊で貼り付けていることもある。


 私は3冊のノートを持って再びリビングに戻る。今日は午後7時まで、1人リサイタルだ。

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