第十話 デュオ結成
やるせない気持ちを慰めるように、しばらく二人でハナちゃんを撫で回していた。
「……散歩、続きしなくて良いの?」
「いや、するよ。長話してごめん」
「ううん、全然」
「そういや、曲の録音ってあるの?」
「あるけど……いるの?」
糸井さんが怪訝な顔をした。それはそうだろう。人に聞かせる音じゃないと言っていた。
「糸井さんが良ければ、だけど……」
「……出どころが私だとバラさないなら、いいよ。クラスのグループから個人チャットに追加して、送っておくから」
「ありがとう」
「音質は保証しないけどね」
糸井さんはいつのまにかスマホを手に持っていて、「アカウントこれだよね?」と確認される。イニシャルなのになんでわかったんだろう、と思っていたらアイコンがサックスじゃない、と言われた。顔に出ていたらしい。
「あーっ、でも、このまま燻るのも嫌なんだよな」
俺は立ち上がりながら伸びをする。趣味としてサックスは続けられるだろうし、今どきネットにコツは転がっているから極めるのも一人でできるだろうけど、人前で、ステージで、奏者として吹きたい。一緒に演奏する人や聞いてくれる人と一体感を感じたい。良い音楽だったって言ってもらえる機会が欲しい。
「わからなくはないよ。このまま曲を書き溜めてどうしたらいいんだろう、とは思ってる」
糸井さんもベンチから腰を上げて、名残惜しそうにハナちゃんを一撫でする。ハナちゃんは今日一日、たくさん撫でてもらってご満悦だ。
(でも、糸井さんもそう思ってるから……)
「文化祭、一緒に出ない?」
思った瞬間、口に出していた。糸井さんはポカンとする。
「来週なのに?」
「いや、来年」
「来年?」
「来年の文化祭、デュオで出ない?」
俺の突飛な発言に、糸井さんは怪訝な顔をした。数十分ぶりに目が鋭くなる。
「お互い受験生でしょ?国公立目指すなら指定校はないんだし」
「そうだけど……もう、曲はある」
「いやまぁ、サックスに合いそうな曲はあるけど、持ち時間を考えたらあと1曲は欲しいし、今ある曲も編曲はいるし、そもそもサックスって何菅?E♭菅?」
「サックス用の楽譜はこっちで直す。持ち時間は実行委員に相談すれば良いし、最悪はチューニングで間を持たせても良い」
「チューニングはシュールすぎない?」
「サックスが一本とは限らない。ピアノとデュオするなら基本はアルトだけどテナーやバリトンの方が良さそうならそっちでもやってみる。短い曲ならサックスの持ち換えでリフレインしても、サックスの魅力を伝えるには良いと思う」
「まぁ、それはそうかも……。それなら追加で間奏を作ればいいだけになるし」
「いい感じに曲名をつけて、作曲者はアノニムとでもしておけばバレないよ、きっと」
「なら、普段は音源を送り合って調整して、今年の合唱コンシーズンにある程度作り上げれば、あとは一ヶ月前くらいから合わせれば間に合う?」
「いけると思う。どうせ俺は文化祭が終わるまで部活を引退できないから、受験生でもずっとサックスは吹いてる」
「私も受験生だからってピアノを辞める気はないけど……」
「なら、いけるんじゃない?」
「いける、か……」
メガネの奥の糸井さんの目が光を取り戻す。言い出しっぺの俺もワクワクしていた。
糸井さんの曲は本当にいい曲ばかり、吹きたくなるし、ハミングしたくなるような曲ばかりであるし、糸井さんの伴奏の腕は誰もが認めるところだ。糸井さんはきっとソロ奏者としても素晴らしい音を奏でるだろうけど、伴奏者としての才能があると思う。元チューバゆえなのだろうか。周りの音をよく聞いていて、一緒に奏でる相手を支え、引き立てるのが上手い。かといってピアノ側の主張がないわけじゃなくて、前奏や間奏なんかは本当によく聴衆を惹きつける。どこでどれだけ楽器を鳴らし、どこで主役を譲るのか、その塩梅が上手いのだろう。一緒に音楽を奏でられたらどんなに楽しい相手か。
「来年のことだから、今から取り組んで仮に計画がぽしゃったとしても痛手はない、よね?」
「そうね。無理なら早い段階でわかると思うし。どうせ文化祭シーズンは模擬店の準備で忙しいんだし、出演者になったところで負担に大差はないか」
「文化祭なんて非日常なんだから、俺たちも一瞬だけ、平凡から外れたっていいんじゃない?」
「上手いこと言うね……やってみようか」
糸井さんの口角がキュッと上がる。どことなく好戦的な笑みだ。俺もつられてにっと笑う。ハナちゃんもつられてニコニコ笑顔を浮かべる。
「じゃあ、また後で」
「また後で」
俺はハナちゃんの散歩に戻る。随分待たせたと思うけれど、あれだけ撫でてもらったら、待ち時間というよりはご機嫌チャージ時間だろう。ぶんぶんと尻尾を振りながら、軽快にハナちゃんは歩くのだった。
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