第9話 同志発見

(ヤバい、糸井さんが黙っちゃった……)


先ほども、ピアノの音が聞こえたという話をした時に少し顔がこわばっていたが、今回は強張った上で完全に沈黙だ。伴奏を弾くくらいだし、人に演奏を聞かれるのが嫌ということではないだろうけど、どうしたのだろう。


「あ、えっと、ごめん。答えたくなかったらいいんだ、別に。なんか聞いちゃいけないこと聞いちゃったみたいで」

「いいの。自分で作った曲だから、どう答えようかと思って」

「え……糸井さん作曲するの!?」


思わず大きな声が出る。ハナちゃんがワーイ!と飛びかかってくる。待ってハナちゃん、今そういう時じゃない。


「シーッ!……言わないで、誰にも」

「ごめん……。言わないけど、え、でもめっちゃ良い曲書くじゃん」


糸井さんに眉を顰められて、俺も小声で返答する。言わないで、と糸井さんは言うが、正直自慢して良いレベルに良い曲を書いていると思う。言われなければ、プロの作曲家が作った曲としか思わない。


「音楽配信とかYouTubeとかしてるの?」

「まさか。誰にも聞かせる気はなかったの。たまに頭の中で流れる音楽を書き起こしているだけで……」

「あ、そうなんだ。でももったいない……」

「もったいない?」

「いや、まぁ、公表するかは作った人の考えだしね。でも、俺はどれも良い曲だと思ったし、ハナちゃんもずっと聞いてたし……もったいないなって。素敵な曲なのに」

「そう……ハナちゃん、音楽わかるの?」


糸井さんがハナちゃんの顔を覗き込んだ。あ、と思った瞬間、ハナちゃんはすでにペロリと糸井さんの頬を舐めていた。


「こら、ハナちゃん!ごめんね」

「いいよ。この時期は日焼け止めも何も塗ってないから」

「え、あ、そっちの心配」

「別に私が舐められるのは問題ないから」

「そ、そっか。話戻るけど、発表してみようって思ったこと、ないの?」


頭の中に浮かんだ曲を弾いたと言ったって、あれほどの完成度ならある程度、構想を練ったり調整をしたりしているだろう。そこまでして形にするなら、発表しようと思わなかったのは不自然だ。


「発表しようと思ったことがないと言えば、嘘になる。高校生になってから自分のスマホも持ったしね。ボーカルのある曲じゃないから、そう広く拡散されることもないってわかってるし、音源だけなら身バレの心配もない。そこまでわかってたのに、そんな勇気はなかった」

「なんで……」

「1番の理由は、ちゃんとした音源が録れない。弱音器で小さくした音はくぐもっているから、録音に向かない。自分が聞き返すように録音するなら良いけど、人に聞かせられるような音じゃない」

「そういや、なんで弱音ペダル踏んで演奏してたの?6時くらいなら普通に弾いたって全然近所迷惑じゃないと思うけど」

「誰にもバレたくなかったから」

「え……なんかごめん。っていうか、親は知らないの?」

「あの日は親も旅行に出掛けていて、家には私1人だった。私1人の時しか弾かないの」

「どうして……」


糸井さんの曲は、確かに耳に残る特徴的なフレーズもあるけれど、奇を衒ったものでも、退廃的なものでもない。親から理解されない、なんてことはないだろうに、どうしてなのだろう。


ずっとハナちゃんを撫でていた糸井さんの手が止まる。メガネフレームのせいでわかりにくいが、軽く伏せられた目は地面に向けられているらしい。どことなく悲しそうに見える。


「昔、親に咎められたことがあるの。音楽なんて平凡な人間は食べていけないんだから、のめり込むのはやめなさい。音符がご飯を食べさせてくれるわけじゃないんだからって」

「糸井さん、平凡かな……どちらかというと非凡な方だと思うけど」

「人より少し、できることが多いかもしれないけど、それは親がお金をかけたもの。私は平凡だよ」

「お金かけられても身にならない人もいるけど」

「まぁね。……呪いみたいなものだよ。非凡な可能性は1割くらいあるかもしれないけど、それを試す気力はない。バレたら面倒臭い。だから親の前で自作した曲は弾かない」

「そっか。さっき書き起こすって言ってたと思うけど、楽譜はどうしてるの?」

「音楽ノートなんて持ってたら怪しまれるから、中学生の時に買い溜めして使いきれなかった英語ノートに書いてる。わざわざノートを一冊一冊開いてまで探せば別だけど……親は多分、私が作曲するなんて知らないと思う」

「じゃあ、学校で何か書いてる時って……」

「他言しないでね。周りからは英語の勉強をしていると思われてるんでしょう?」


糸井さんは諦めたように笑った。目に光はない。どんな気持ちでこの話をしているのか、俺にはよくわかる。


「だからちゃんとした音源はないし、所詮はおままごとでしかないのに、うっかり人目についてしまったらどうしようとも思った。ネットなんて、何が当たるかわからないもの。だから、人前には出さない。身の丈にあった、平凡なレールを行くしかないから」

「わかるよ」


気がついた時には俺は思わず言っていた。糸井さんはメガネの奥の目をぱちぱちと瞬かせた。


「俺もそうだから。本当は、高校から音高に行きたかったし、今だって本当は大学だって音大に行きたい。けど、それは親が許さない。音楽で食べていけるわけがないって」

「そっか。同じだね」

「本当、どこの親も同じことしか言わないんだなぁ。まぁ、そりゃ、わかってるんだけどさ、音楽で食べていける人たちは一握りだって。俺の場合は特にサックスだし。オーケストラには所属できない、自衛隊のブラスバンドも毎年サックスを募集してくれるとは限らないし、募集されてもほんの数人だし、そもそも親が自衛隊を嫌がるし。警察の音楽隊は警察官になってからの配属で、となると本当に希望したところで音楽隊に入れるかはわからないからギャンブルだし。そうなると残る道で安定収入なのは講師くらいだけど、平均年収低いから反対されて」

「確かに。サックスってメジャーな楽器ではあるけど、少し立ち位置が難しい楽器だよね。メジャーだけどピアノほど普及しているわけじゃないから、個人で教室をやるのは難しいし」

「結局会社員になるなら、音大はただ学費が高いだけだし、地元の国公立を目指せって。兄ちゃんたちに金かかってるから県外に出す金はないって。そのくせ奨学金は取れないしさ」

「世帯年収か。お兄ちゃんいるんだ」

「2人もね。2人とも県外に出た。と言っても1番上は今年で卒業するし、国立だし地方だから仕送りするにもまだ良かったけど、2番目は都内の私立。スポーツ推薦だから大学から多少奨学金が出るとはいえ、本当にもう……」

「はは、なるほど。……私も音大、行きたいなって思ったことはある」

「やっぱあるよね!?」

「楽器ガチ勢なら一度は行きたいと思うよね。けど、本当、同じようなこと言われて。作曲やりたいって言った時は、『作曲家なんて名乗れば誰でもなれる』って返されて」

「うわ、キッツ……」

「その通りだけどね。演奏家も作曲家も資格がいるわけじゃないから、名乗ればなれる」

「まぁ、その通りだけど……」

「私も世帯年収で奨学金は引っかかるからさ。まぁ、私の場合は一人っ子だから、経済的に無理ということはないだろうけど、それは親を説得できたらの話。説得できるとも限らないし、そこまでにかかる労力を考えるだけで嫌」

「詰むよなぁ……」

「詰むよね……」


はぁ、と2人揃ってため息をつく。ハナちゃんは「どうした?どうした?」と言わんばかりに濡れた鼻先でつついてくる。俺はなんでもないよ、とハナちゃんの頭をわしゃわしゃと撫でた。


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