第十三話 ラスト九十日
平川くんとのデュオ結成プロジェクトはつつがなく進んだ。お互いが比較的真面目な性格、かつ、情熱を傾ける音楽に対してだからだろう。理系と文系、同じクラスにいても顔を合わせることは少ないし、三年生になってからは無事、はぐれ文系の八人も文系クラスに入れたため、もちろん違うクラスになった。
それでも、事あるごとに報告、連絡、相談はチャットでしていたし、楽譜のすり合わせをするための音源も目安とした日付の前後には上げてくれた。スケジュールを守ってくれてありがとう、とメッセージを送れば、平川くんからは「糸井さんが頭良いのわかる気する、スケジュールを立てるのも管理するのも上手い」などと返ってきたが、管理と言われてもリマインダーの設定くらいで、私自身が平川くんに対して何か働きかけをしたわけではないので、平川くんもスケジュールを守るのが上手いのだと思う。
チャットではデュオに関する話題以外だと基本的には音楽、もっと言えば器楽の話をしている事が多いが、たまには純粋な雑談も挟む。模試の結果の話、最近のハナちゃんの様子、親がオウムになったのかと思うほど顔を見れば勉強しろとしか言ってこないという愚痴など。ただし、音楽大学の話は全くしない。話題に出せば行きたくなるから触れないようにしよう、と最初にルールとして決めた。
このルールは、なぜ文化祭でデュオを組むのか、というのに掛かっている。この先の人生がずっと平凡というレールの上を転がることを受け入れるために、高校最後の文化祭という非日常の日に、自分たちも非凡な存在になる、人生のお土産を得るために組むのだ。だから、日常では平凡な話しかしない。非凡への憧れは封印する。
(まったくの夢物語なら、良かったのに)
楽譜を修正しながら、私はため息をついた。
音楽大学に行く、演奏家になる、作曲家になる。それがまったくの夢でしかなく、実現可能性がゼロであるなら、妄想として話をしても楽しかっただろう。けれど、私たちはそうではない。希望的観測かもしれないけれど、実現可能性は模試でいうB判定くらいはあると思う。
平川くんはピアノも習っていたし真面目に吹奏楽をやっているだけあって音楽の素養はあるし、絶対音感があるから入試のソルフェージュには有利だ。私もそこそこピアノは弾けるし、初見演奏は得意な方だし、曲のポートフォリオもある。県内の私立音楽大学の入試は(何せ最近は定員割れなので)突破できるだろうし、ちゃんと準備できれば国立や有名な音楽大学も夢というほど遠くはないはずだ。
でも、手を伸ばせば届きそうなのに、その手を伸ばす環境がない。挑戦すれば手に入りそうなのに、スタートラインにも立てないというのはもどかしくて、悔しい。野良の音楽家としてやっていく志向があれば良いが、2人してそうではなくアカデミックな、体系ある教育を受けたオーソドックスな音楽家に憧れを持っている。となれば、一旦は諦めるしかないだろうし、周りの目がある以上はこの大学受験の段階で、私たちにとって平凡な道を選べば、その道を歩き続けることになるだろう。
別に平凡が悪いかと問われればそうではない。そもそも私たちが言う「平凡」は私たちにとっての「平凡」というだけで、他人から見たら違うこともあるだろう。音学大学への進学や演奏家、作曲家になる道は私たちにとって、というよりかは私たちの周囲の人たちが思う「平凡」から外れる、というだけだ。
(平凡のレールにもメリットはあるけれど)
親、親族、学校の先生たちが提示してくるような先が見えた安定した生活を送れるなら、趣味も充実するだろう。安定した収入を得て、多少なりとも余裕がある生活の中で趣味として音楽をする。長い目で見ればそれはそれで良いのかもしれない。一般に賢い生き方と言われるやつだろう。今のご時世、楽器を趣味にできる人生が平凡の選択肢に残っている時点で感謝すべきなのかもしれない。だからといって納得はできないが。
(でも、あの日だけは平凡から外れて楽しむんだ)
楽譜の修正は今回が最後で、あとは練習するだけだ。なんとか夏休み中に楽譜が仕上がるから、休み明けからは曲の変更を考えることなく集中して練習する時間が取れるだろう。スマホアプリで楽譜が作れるものは見つけたが、さすがに手書きではない綺麗な楽譜にする時間はなさそうだ。ステージの照明の下で手稿は読みにくいから、暗譜するのが安心だろう。頭に詰め込むものがたくさんある中で、間に合うか。
文化祭まで、あと三ヶ月。
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